かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

飛鳥の覇者 推古朝と斉明朝の時代

2012年03月20日 | Books



今日は、彼岸の行事で、お寺さんに行ったが、ここも梅が満開。梅が咲くと、いよいよ春という気分になれて嬉しいが、まだちょっと寒い。
行事の後、歌丸師匠の二番弟子?の歌助師匠の落語タイムがあった。流石、プロ。面白いし、若手倹lの撃ニ違って、味わいがある。ご近所にお住まいらしい。
落語はもともとお寺で、説教をする前に、場を盛り上げるために始まったとのこと。説教の前座ということか。確かに難しい説教ばかり聞かせられたら、お寺に行く人が減っちゃうかも。



本シリーズも佳境に入って、聖徳太子の時代。とは言っても、まだまだ謎だらけの時代。

天皇という言葉はいつから使われたの?法隆寺って再建されたの?聖徳太子って本当にいたの?飛鳥にはなんで変な石像があるの?

これらの疑問に対し、徹底的に解説してくれるので(すっきり感があるわけではないが)、飛鳥に興味のある人は、読んでみたらいかがだろうか。

飛鳥の亀石は、人気のスポット。断片が残る天寿国繍帳の図柄のモチーフも亀。これらには、道教の影響も考えられるのではという。松本清張の小説では、ゾロアスター教の影響にまで、思考が膨らんでいたが。
聖徳太子が仏教を定着させたというが、まださまざまな宗教の影響が、仏教とごっちゃになって、中国、韓国から、流れてきていた可能性を指摘する。

そもそも飛鳥って不思議な名だけど、元は、「ア」という接頭語に、「スカ」(州処)がくっついたものということで、湿地状の土地であったことが推定されるのだという。
だから、飛鳥には、水をテーマにしたと思われる謎の建造物が多いのだ。
亀型石造物のようなものがこれからも見つかると、少しづつ当時の飛鳥の様子が明らかになってくるのだろう。

高松塚古墳や、キトラ古墳の謎にも迫っている。この辺にもちろん古墳は多いのだが、壁画が確認されているのは、この二つのみ。筆者は、百済王家の人物の墓ではないかと推理する。百済の墓との類似性からの推測だ。
ちなみに、斉明陵は、牽牛子塚古墳と見られているそうだが、天皇陵と思われている古墳はほとんど、八角形で、高松塚やキトラのような円墳はないという。
それにしても、キトラの星天図や、十二支の顔をした人物像が、中国や、韓国で見つかっているものより古いものとは知らなかった。

最初の質問で言えば、天皇というのは、元々道教における天皇大王(てんこうてたいてい)から来ているという。だから、当時の天皇の古墳は、八角形であった。それにしても、天皇の名が、神道でも、仏教でもなく、道教の最高神の名の部分をとってできたとは。

亀と八角形が、本巻のキーワード?


コメント
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