本書は、表紙のインパクトで、衝動買いした。ところが、5冊シリーズで、順不同での発売だったので、結局、5冊買いそろえてから、そろそろと読み出した。
表紙が一般受けするのに、中は、相当専門的。最先端の情報が満載だ。
一方、考古学関連の新聞記事をそのまま載せたり、後半は、対談方式になっていて、私のようなアマチュアにも、興味が続くように工夫されている。
本書が出たのは、ちょうど纏向遺跡で、大規模な建物群跡が発見された時であり、そこそこのヒット企画になったのではないか?
それにしても、謎のいかに多いことか。謎が謎を呼ぶという感じだが、粘り強く、発掘して、研究していくしかないのだろう。
本書を読むと、海外の文献や、今も残る海外での風習も、謎を解く大きなヒントになっていることがわかる。発掘と、研究の、両面からのアプローチが、今後も必要だ。
対談のメンバーである片山さんは、ポリネシアで調査活動と続けておられ、ポリネシア語が話せるそうだが、日本語の発音と基本的に同じそうだ。オーストロネシア系の言葉が縄文語のベースになっているとすれば、宗教観や、メンタル面でも、オーストロネシア語的な要素があってもおかしくないと考えておられる。
つまり、縄文人は、南方系のバックグラウンドを持っていた可能性があるということである。
本書の著者の石野さんは、東北出身で、中学の頃、石巻の貝塚を発掘し、その時発掘した土器とそっくりの土器を、鹿児島で、発掘して驚いたという。
縄文と弥生の区別は、明確につけられるものではなく、また、南北の交流も、通常考える以上にあったと推測されるという。
縄文時代の人口って何人ぐらい?という議論もしていて、26万人という推測があるそうだ。人口が、百万人を超えてくるのは、弥生時代に稲作が定着してからという。日本にたった26万人?
謎の金印の話ももちろん出てくる。倭の奴の国(わのなのくに)とばかり思っていたが、これを倭奴国(いとこく)と解する説もあるそうで、これも、謎だらけ。いと国と言えば、この前行ったばかりではないか。
卑弥呼が鬼道(きどう)に事え、衆と惑わしたというフレーズは、有名だが、この鬼道は、道教であるという考え方が有力なのだという。これらは、銅鏡などのデザインを研究した結果らしい。
邪馬台国がどこにあるかは、永年の謎だが、唯一明らかになる可能性があるとすれば、封泥の発見だという。当時、印は、物を送る時、泥で封をし、そこに印を押すのに使われており、その封を開けた時に捨てられた封泥が見つかったところが、邪馬台国だというわけだ。
その他の銅鏡とか、金印とかが見つかっても、後に移動したと考えられてしまうが、封泥は、そこで、中国からの贈り物が開けれたと判断できるからだ。
やはり、永遠の謎は解けそうにもない。