かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

倭国から日本国へ 画期の天武・持統朝

2012年03月21日 | Books
symbol5なかなか春めいてこない。高知では、桜が開花したそうだけど。



新・古代史検証 日本国の誕生シリーズも、いよいよ?最終回。天武・持統期の話。
本書は、本シリーズ全体の監修もされている上田正昭さんの執筆。他巻との重複も感じられるところがあるが、流石、重みがある。
戦前に、津田左右吉博士の発禁本の『古事記及び日本書記の新研究』を読んだのが、この道に入るきっかけというから、年季が違う。

当時の奈良を今に如実に伝えるものと言えば正倉院御物だが、雅楽は生ける正倉院だという。雅楽は、当時の音を今に伝えるレコードのようなもの。
中国、韓国を経由して伝えられた文化が、見事、花開いたころの話だ。

日本という国名が使われ始めたのもこのころ、2004年に見つかった、井真成の墓碑に日本という言葉があり話題になったが、その前から日本という名が使われていて、670年から700年であることは間違いないようだ。たぶん天武のころ。

では、天皇の称号が使われたのは?
日本版中華思想は?ちなみに、えみしは毛人、くまびとは肥人、あまみは阿麻弥と書かれ、夷狄として設定されていたという。
みんなその頃。

そういえば、神の語源が載っていたが、隠身(カミ)とする案が有力なのだという。カミは目に見えないのだ。ちょっと話がそれた。

持統のころには、七夕伝説があったとされるが、中国の西王母信仰に由来する。これは、シリーズでも、何度か出てきた道教文化に根付くものだが、筆者の上田氏は、高句麗(今の北朝鮮)の古墳で、七夕の図を見たという。

万葉仮名が使われだしたのも、天武・持統のころ。

キトラ古墳の十二支像な獣面人身で武器を持つのは、日本独自で、かつ一番古い。天文図も一番古いのだという。この辺は、さらなる研究が必要なのだろうが。

天武・持統のころの文化は、白鳳文化とよばれていて、すばらしい仏像群で有名。672~710年の飛鳥と天平の間だが、白鳳という年号の存在も不明だそうだ。白鳳+天平=奈良という表現の方が、妥当という考え方もあるらしい。

だらだら書いてしまったが、まさに、倭魂漢才が花開いた時代だったと言えるのだ。明治維新後の和魂洋才をイメージするとわかりやすい。
大和魂という言葉を最初に使ったのは、紫式部で、日本人の素養や判断力を意味しているが、まさにこの時代が、今の日本の文化の成立を考える上での出発点だったのだ。

書いているとキリがないのでやめるが、説得力があり、たいへん面白かった。
新・古代史検証と銘打っているだけあって、ちょっと素人には難しいとこもあるけど、読み応え十分。
特に各巻後半の対談部分は、平易だし、古代史ファンにはお勧めしたいシリーズだった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする