かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

新・国富論

2013年01月04日 | Books

今日は、仕事始め。
最近読んだ本のご紹介。
最近のマーケットを見てると、経済評論家のコメントなど、まったく無意味にも思えてくるが(1/4の株価、為替レートを当てた人などいる訳ない)そうも言ってられないので、久しぶりに、その手の本を読んでみた。



浜さんは、TVではよく見るが、著作を読んだのは、初めて。
世界中八方ふさがりの経済情勢の中、何か明かりが見えるのか。
最初に言ってしまうと、現在の経済の問題点と、そうなった原因については、整理された感じがするが、その処方箋のところで、肩透かしをくらった感じ。
理解力が足りないのか、元々解決策については、煙に巻いた本なのか。

アダムスミスは、分業論を説いた。高校時代、政治経済の先生が1億円あったら、ピン1本作れるかと訊いたことがあった。今から、考えると、アダムスミスの資本論からのパクリだったのか?
国富論というと、重商主義とイメージが重なっていたのだが、その逆だということも知った。儲けを貯めこんでは、経済は、成長しない。その富を、交換して富が、膨らむ。その交換を便利にしたのが、お金だ。
そしてリカードは、二国二財モデルを唱えた。ポルトガルがワインを作り、イギリスが毛織物を作り、お互い交換すれば、より高い生産性が達成できる。
ところが、今、その分業体制は、グローバルになり、製造メーカーの国籍と、その生産地は、一つのものを作る工程毎に、ばらばらになり、このスミスさんと、リカードさんが、描いた世界からは、遠く離れたものになっている。
羊羹チャートと浜さんは命名したが、確かに、なるほどとうならせるチャートだ。
一つのものを作る工程と、製造メーカーと、生産地を、3Dで分析したチャートと考えればいい。
こうなると、国富論の概念そのものが意味をなさなくなる。

国際化とグローバル化は意味が違う。国際化は、自分の国があって、そこを軸にした国際化だが、グローバル化は、自分の国自体すら、グローバル化してしまう世界だ。
では、それが、全富論になっているかというと、そうでもなさそうだ。もしかすると、全負論になっているのではないか。

そこで、論点を42にまとめて、5つのテーマ毎に、その論点を整理して、それぞれのテーマ毎について、方向感を整理していくのだが。
そこから先の理解ができなかった。

そこまで読むだけでも、今混迷を深めている経済情勢を理解するのには、多いに役立つ。
そこから、解を見つけるのは、ヒントはあげるけどあなた達だよと言っているのかもしれない。
ただ、今の金融マーケットを見ていると、確かにそうだなと思ってもしまう。

今の経済が、これまでとまったく違う次元に突入していることを理解したい人にお勧めできる本。

コメント
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