かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

北条家縁の地巡り

2022年03月20日 | Other Eastern Japan
今日も伊豆。
大河ドラマが、当地にちなんだ話になり、久しぶりに外出。
天気は、晴れたり曇ったりだったが、温度が快適。



まずは、願成就院。
3回目だが、本堂に入れたのは2回目。
運慶の若い頃の阿弥陀仏など5体が、祀られている。
全て国宝。
阿弥陀仏の光背が、加えられていた。
時政が、頼朝の奥州征伐の戦勝を祈願して建てたという。
阿弥陀仏は、やや傷みが見られるが、毘沙門天、不動明王など、見事である。

宝物館には、時政像や、地蔵菩薩像がある。
地蔵菩薩は、泰時が、政子の7回忌に奉納したと伝えられ、政子地蔵と呼ばれる。



境内には、時政の墓がある。
晩年、義時に幽閉され、当地で、亡くなったと伝えられる。
この時代、生臭い話が多すぎる。



普通の桜が咲き始め。



隣に守山八幡宮。
当時の願成就院の境内は、浄土庭園も有する壮大な伽藍だった。
守山が、背後に控える。
 


ちょっと北に行くと、光照寺がある。
東大寺の再建に尽力した重源が創建したと伝えられる。
頼家の面相を写したとされる"病相の面"があるそうだが、通常非公開。



さらに進むと、政子産湯の井戸がある。
普通の古井戸だが、長い間そう伝えられて来たのだろう。



さらに行くと、狩野川に面したところに、北条氏邸跡がある。
願成就院とは、守山を挟んで、対角になるか。
北条氏滅亡後鎮魂のために建てられた円成寺跡とも呼ばれる。
ドラマのセットで、当時の様子が再現されているが、ここでは、ただの原っぱをガラス越しに見ることにより、当時のイメージが掴めるように工夫してある。
当時の武士は、農民に近い生活をしていたと考えられているとのこと。


 
そうは言っても、多くの建物が立ち並び、池なども発掘されている。



次に、韮山駅に近い蛭ヵ島へ。
頼朝が、14歳から、34歳まで、20年間も過ごしていたとされる。
この像は、蛭ヵ島の夫婦とある、明らかに、頼朝と政子をイメージしている。
狩野川に近いところで、この辺には、多くの中洲があったと考えられている。


  
休憩所で、昼食のそばをいただいたが、やたらに出るのが遅い。
こんなに、客が、来たことはなかったのだろう。
昭和40年に、この地を植木等が映画の撮影で訪れたらしい。
鶴瓶とか、いろんな人が、この公園が出来てから、訪れている。



韮山の古民家が移築されている。
のどかな、農村だったのだろう。



最後は、伊豆の国の方の大河ドラマ館へ。
鎌倉と両方訪れた人は、、まだ、少ないのではないか。
こちらも凄い人で、入場制限をしており、1時間近く待った。



行列の途中に、時間潰し?のために、これまでの大河の手書き一覧。
結構初期から、お世話になっていることに、気がついた。



展示は、パネルによる説明と、撮影で使った衣装や小道具の展示が中心。
こじんまりしているが、十分楽しめる。



衣装も、鎌倉時代の東国武士にこだわり。
西は、絹だったが、東は、木綿で、色も地味だったとのこと。
4K映像では、メイキング、時代考証、所縁の地紹介の、3本立て。



義時館も。
改めて、激動の一生だったことがわかる。
いまいち具体的なイメージが湧かなかった北条家のイメージが見えて、楽しい1日だった。
明日は、帰る予定。
コメント
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