今日も伊豆。
大河ドラマが、当地にちなんだ話になり、久しぶりに外出。
天気は、晴れたり曇ったりだったが、温度が快適。
まずは、願成就院。
3回目だが、本堂に入れたのは2回目。
運慶の若い頃の阿弥陀仏など5体が、祀られている。
全て国宝。
阿弥陀仏の光背が、加えられていた。
時政が、頼朝の奥州征伐の戦勝を祈願して建てたという。
阿弥陀仏は、やや傷みが見られるが、毘沙門天、不動明王など、見事である。
宝物館には、時政像や、地蔵菩薩像がある。
地蔵菩薩は、泰時が、政子の7回忌に奉納したと伝えられ、政子地蔵と呼ばれる。
境内には、時政の墓がある。
晩年、義時に幽閉され、当地で、亡くなったと伝えられる。
この時代、生臭い話が多すぎる。
普通の桜が咲き始め。
隣に守山八幡宮。
当時の願成就院の境内は、浄土庭園も有する壮大な伽藍だった。
守山が、背後に控える。
ちょっと北に行くと、光照寺がある。
東大寺の再建に尽力した重源が創建したと伝えられる。
頼家の面相を写したとされる"病相の面"があるそうだが、通常非公開。
さらに進むと、政子産湯の井戸がある。
普通の古井戸だが、長い間そう伝えられて来たのだろう。
さらに行くと、狩野川に面したところに、北条氏邸跡がある。
願成就院とは、守山を挟んで、対角になるか。
北条氏滅亡後鎮魂のために建てられた円成寺跡とも呼ばれる。
ドラマのセットで、当時の様子が再現されているが、ここでは、ただの原っぱをガラス越しに見ることにより、当時のイメージが掴めるように工夫してある。
当時の武士は、農民に近い生活をしていたと考えられているとのこと。
そうは言っても、多くの建物が立ち並び、池なども発掘されている。
次に、韮山駅に近い蛭ヵ島へ。
頼朝が、14歳から、34歳まで、20年間も過ごしていたとされる。
この像は、蛭ヵ島の夫婦とある、明らかに、頼朝と政子をイメージしている。
狩野川に近いところで、この辺には、多くの中洲があったと考えられている。
休憩所で、昼食のそばをいただいたが、やたらに出るのが遅い。
こんなに、客が、来たことはなかったのだろう。
昭和40年に、この地を植木等が映画の撮影で訪れたらしい。
鶴瓶とか、いろんな人が、この公園が出来てから、訪れている。
韮山の古民家が移築されている。
のどかな、農村だったのだろう。
最後は、伊豆の国の方の大河ドラマ館へ。
鎌倉と両方訪れた人は、、まだ、少ないのではないか。
こちらも凄い人で、入場制限をしており、1時間近く待った。
行列の途中に、時間潰し?のために、これまでの大河の手書き一覧。
結構初期から、お世話になっていることに、気がついた。
展示は、パネルによる説明と、撮影で使った衣装や小道具の展示が中心。
こじんまりしているが、十分楽しめる。
衣装も、鎌倉時代の東国武士にこだわり。
西は、絹だったが、東は、木綿で、色も地味だったとのこと。
4K映像では、メイキング、時代考証、所縁の地紹介の、3本立て。
義時館も。
改めて、激動の一生だったことがわかる。
いまいち具体的なイメージが湧かなかった北条家のイメージが見えて、楽しい1日だった。
明日は、帰る予定。
大河ドラマが、当地にちなんだ話になり、久しぶりに外出。
天気は、晴れたり曇ったりだったが、温度が快適。
まずは、願成就院。
3回目だが、本堂に入れたのは2回目。
運慶の若い頃の阿弥陀仏など5体が、祀られている。
全て国宝。
阿弥陀仏の光背が、加えられていた。
時政が、頼朝の奥州征伐の戦勝を祈願して建てたという。
阿弥陀仏は、やや傷みが見られるが、毘沙門天、不動明王など、見事である。
宝物館には、時政像や、地蔵菩薩像がある。
地蔵菩薩は、泰時が、政子の7回忌に奉納したと伝えられ、政子地蔵と呼ばれる。
境内には、時政の墓がある。
晩年、義時に幽閉され、当地で、亡くなったと伝えられる。
この時代、生臭い話が多すぎる。
普通の桜が咲き始め。
隣に守山八幡宮。
当時の願成就院の境内は、浄土庭園も有する壮大な伽藍だった。
守山が、背後に控える。
ちょっと北に行くと、光照寺がある。
東大寺の再建に尽力した重源が創建したと伝えられる。
頼家の面相を写したとされる"病相の面"があるそうだが、通常非公開。
さらに進むと、政子産湯の井戸がある。
普通の古井戸だが、長い間そう伝えられて来たのだろう。
さらに行くと、狩野川に面したところに、北条氏邸跡がある。
願成就院とは、守山を挟んで、対角になるか。
北条氏滅亡後鎮魂のために建てられた円成寺跡とも呼ばれる。
ドラマのセットで、当時の様子が再現されているが、ここでは、ただの原っぱをガラス越しに見ることにより、当時のイメージが掴めるように工夫してある。
当時の武士は、農民に近い生活をしていたと考えられているとのこと。
そうは言っても、多くの建物が立ち並び、池なども発掘されている。
次に、韮山駅に近い蛭ヵ島へ。
頼朝が、14歳から、34歳まで、20年間も過ごしていたとされる。
この像は、蛭ヵ島の夫婦とある、明らかに、頼朝と政子をイメージしている。
狩野川に近いところで、この辺には、多くの中洲があったと考えられている。
休憩所で、昼食のそばをいただいたが、やたらに出るのが遅い。
こんなに、客が、来たことはなかったのだろう。
昭和40年に、この地を植木等が映画の撮影で訪れたらしい。
鶴瓶とか、いろんな人が、この公園が出来てから、訪れている。
韮山の古民家が移築されている。
のどかな、農村だったのだろう。
最後は、伊豆の国の方の大河ドラマ館へ。
鎌倉と両方訪れた人は、、まだ、少ないのではないか。
こちらも凄い人で、入場制限をしており、1時間近く待った。
行列の途中に、時間潰し?のために、これまでの大河の手書き一覧。
結構初期から、お世話になっていることに、気がついた。
展示は、パネルによる説明と、撮影で使った衣装や小道具の展示が中心。
こじんまりしているが、十分楽しめる。
衣装も、鎌倉時代の東国武士にこだわり。
西は、絹だったが、東は、木綿で、色も地味だったとのこと。
4K映像では、メイキング、時代考証、所縁の地紹介の、3本立て。
義時館も。
改めて、激動の一生だったことがわかる。
いまいち具体的なイメージが湧かなかった北条家のイメージが見えて、楽しい1日だった。
明日は、帰る予定。