今日も伊豆。
大河ドラマが、当地にちなんだ話になり、久しぶりに外出。
天気は、晴れたり曇ったりだったが、温度が快適。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/e7/4f0dd5120a3f228d5f696db986ea81a2.jpg)
まずは、願成就院。
3回目だが、本堂に入れたのは2回目。
運慶の若い頃の阿弥陀仏など5体が、祀られている。
全て国宝。
阿弥陀仏の光背が、加えられていた。
時政が、頼朝の奥州征伐の戦勝を祈願して建てたという。
阿弥陀仏は、やや傷みが見られるが、毘沙門天、不動明王など、見事である。
宝物館には、時政像や、地蔵菩薩像がある。
地蔵菩薩は、泰時が、政子の7回忌に奉納したと伝えられ、政子地蔵と呼ばれる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/dc/b9d3fd3fc9fc9d5b00dd299c4b908be1.jpg)
境内には、時政の墓がある。
晩年、義時に幽閉され、当地で、亡くなったと伝えられる。
この時代、生臭い話が多すぎる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/a0/276ff86b4a48fdcfab0515578b88b470.jpg)
普通の桜が咲き始め。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/42/055ea49ebffe573014c18fffe81aed71.jpg)
隣に守山八幡宮。
当時の願成就院の境内は、浄土庭園も有する壮大な伽藍だった。
守山が、背後に控える。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/6c/1de65760c067f64e0ff41df826f78db4.jpg)
ちょっと北に行くと、光照寺がある。
東大寺の再建に尽力した重源が創建したと伝えられる。
頼家の面相を写したとされる"病相の面"があるそうだが、通常非公開。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/ca/0200c6325802fb41b4892b7a86ab1f0e.jpg)
さらに進むと、政子産湯の井戸がある。
普通の古井戸だが、長い間そう伝えられて来たのだろう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/48/66f16509e95e1c26ac0ac0fc58c4331d.jpg)
さらに行くと、狩野川に面したところに、北条氏邸跡がある。
願成就院とは、守山を挟んで、対角になるか。
北条氏滅亡後鎮魂のために建てられた円成寺跡とも呼ばれる。
ドラマのセットで、当時の様子が再現されているが、ここでは、ただの原っぱをガラス越しに見ることにより、当時のイメージが掴めるように工夫してある。
当時の武士は、農民に近い生活をしていたと考えられているとのこと。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/fd/a2e7abc17e216515e2036b821f445e9e.jpg)
そうは言っても、多くの建物が立ち並び、池なども発掘されている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/d9/e655bafa0150d8906eaf2e3e90d9a62f.jpg)
次に、韮山駅に近い蛭ヵ島へ。
頼朝が、14歳から、34歳まで、20年間も過ごしていたとされる。
この像は、蛭ヵ島の夫婦とある、明らかに、頼朝と政子をイメージしている。
狩野川に近いところで、この辺には、多くの中洲があったと考えられている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/f4/db9ce3dba91806074c6fca09ab19f2ad.jpg)
休憩所で、昼食のそばをいただいたが、やたらに出るのが遅い。
こんなに、客が、来たことはなかったのだろう。
昭和40年に、この地を植木等が映画の撮影で訪れたらしい。
鶴瓶とか、いろんな人が、この公園が出来てから、訪れている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/bd/35bc5fc241c5ebcf79a9408606850712.jpg)
韮山の古民家が移築されている。
のどかな、農村だったのだろう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/63/61c5aeaf72ac3f11ada5e60097ff1372.jpg)
最後は、伊豆の国の方の大河ドラマ館へ。
鎌倉と両方訪れた人は、、まだ、少ないのではないか。
こちらも凄い人で、入場制限をしており、1時間近く待った。
行列の途中に、時間潰し?のために、これまでの大河の手書き一覧。
結構初期から、お世話になっていることに、気がついた。
展示は、パネルによる説明と、撮影で使った衣装や小道具の展示が中心。
こじんまりしているが、十分楽しめる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/8f/ad01eb75fe96bd8ad1f0aa0d591a3560.jpg)
衣装も、鎌倉時代の東国武士にこだわり。
西は、絹だったが、東は、木綿で、色も地味だったとのこと。
4K映像では、メイキング、時代考証、所縁の地紹介の、3本立て。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/08/65cda9326391ad3c58bb9bcb2ec92962.jpg)
義時館も。
改めて、激動の一生だったことがわかる。
いまいち具体的なイメージが湧かなかった北条家のイメージが見えて、楽しい1日だった。
明日は、帰る予定。
大河ドラマが、当地にちなんだ話になり、久しぶりに外出。
天気は、晴れたり曇ったりだったが、温度が快適。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/e7/4f0dd5120a3f228d5f696db986ea81a2.jpg)
まずは、願成就院。
3回目だが、本堂に入れたのは2回目。
運慶の若い頃の阿弥陀仏など5体が、祀られている。
全て国宝。
阿弥陀仏の光背が、加えられていた。
時政が、頼朝の奥州征伐の戦勝を祈願して建てたという。
阿弥陀仏は、やや傷みが見られるが、毘沙門天、不動明王など、見事である。
宝物館には、時政像や、地蔵菩薩像がある。
地蔵菩薩は、泰時が、政子の7回忌に奉納したと伝えられ、政子地蔵と呼ばれる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/dc/b9d3fd3fc9fc9d5b00dd299c4b908be1.jpg)
境内には、時政の墓がある。
晩年、義時に幽閉され、当地で、亡くなったと伝えられる。
この時代、生臭い話が多すぎる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/a0/276ff86b4a48fdcfab0515578b88b470.jpg)
普通の桜が咲き始め。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/42/055ea49ebffe573014c18fffe81aed71.jpg)
隣に守山八幡宮。
当時の願成就院の境内は、浄土庭園も有する壮大な伽藍だった。
守山が、背後に控える。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/6c/1de65760c067f64e0ff41df826f78db4.jpg)
ちょっと北に行くと、光照寺がある。
東大寺の再建に尽力した重源が創建したと伝えられる。
頼家の面相を写したとされる"病相の面"があるそうだが、通常非公開。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/ca/0200c6325802fb41b4892b7a86ab1f0e.jpg)
さらに進むと、政子産湯の井戸がある。
普通の古井戸だが、長い間そう伝えられて来たのだろう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/48/66f16509e95e1c26ac0ac0fc58c4331d.jpg)
さらに行くと、狩野川に面したところに、北条氏邸跡がある。
願成就院とは、守山を挟んで、対角になるか。
北条氏滅亡後鎮魂のために建てられた円成寺跡とも呼ばれる。
ドラマのセットで、当時の様子が再現されているが、ここでは、ただの原っぱをガラス越しに見ることにより、当時のイメージが掴めるように工夫してある。
当時の武士は、農民に近い生活をしていたと考えられているとのこと。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/fd/a2e7abc17e216515e2036b821f445e9e.jpg)
そうは言っても、多くの建物が立ち並び、池なども発掘されている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/d9/e655bafa0150d8906eaf2e3e90d9a62f.jpg)
次に、韮山駅に近い蛭ヵ島へ。
頼朝が、14歳から、34歳まで、20年間も過ごしていたとされる。
この像は、蛭ヵ島の夫婦とある、明らかに、頼朝と政子をイメージしている。
狩野川に近いところで、この辺には、多くの中洲があったと考えられている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/f4/db9ce3dba91806074c6fca09ab19f2ad.jpg)
休憩所で、昼食のそばをいただいたが、やたらに出るのが遅い。
こんなに、客が、来たことはなかったのだろう。
昭和40年に、この地を植木等が映画の撮影で訪れたらしい。
鶴瓶とか、いろんな人が、この公園が出来てから、訪れている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/bd/35bc5fc241c5ebcf79a9408606850712.jpg)
韮山の古民家が移築されている。
のどかな、農村だったのだろう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/63/61c5aeaf72ac3f11ada5e60097ff1372.jpg)
最後は、伊豆の国の方の大河ドラマ館へ。
鎌倉と両方訪れた人は、、まだ、少ないのではないか。
こちらも凄い人で、入場制限をしており、1時間近く待った。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/ea/435e90aae81ef1abcefd48dbcfa3bbd8.jpg)
行列の途中に、時間潰し?のために、これまでの大河の手書き一覧。
結構初期から、お世話になっていることに、気がついた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/c8/6adde3bad7f04994174b27365d70e022.jpg)
展示は、パネルによる説明と、撮影で使った衣装や小道具の展示が中心。
こじんまりしているが、十分楽しめる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/8f/ad01eb75fe96bd8ad1f0aa0d591a3560.jpg)
衣装も、鎌倉時代の東国武士にこだわり。
西は、絹だったが、東は、木綿で、色も地味だったとのこと。
4K映像では、メイキング、時代考証、所縁の地紹介の、3本立て。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/08/65cda9326391ad3c58bb9bcb2ec92962.jpg)
義時館も。
改めて、激動の一生だったことがわかる。
いまいち具体的なイメージが湧かなかった北条家のイメージが見えて、楽しい1日だった。
明日は、帰る予定。