かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

ビートルズ・ファン・クラブ 大全

2022年08月07日 | The Beatles
今日もゴルフ。
今日は、前半まずまずで、後半崩れた。
バットが安定しているのが救い。



本書の出版イベントに行った話はした。
かなりの大著なので、なかなか読み切れていなかったが、やっと読了。
期待通りの内容で、完璧だ。



これは、当時の会報の復刻折込。
現物は、イベント会場で希望者に配られていた。
私は、イエローサブマリンのポスターの方を選んでしまったが。
ビートルズ来日の時に、初めてオフィシャルファンクラブになった。
当時、様々なファンクラブがあり、特に、LGBなど、うさんくさいファンクラブも存在した。
その点についても、わかる範囲で触れられている。
そういうBFCも、松竹の映画館の支配人であった下山さんが、勝手に始めたものだ。
勝手にではあったが、その取り組み姿勢は、一貫してまじめで、SHOCHIKUという芸能に関係する会社に所属していたことも、ファンクラブのその後の活躍につながった。



驚くのは、そんな私的ファンクラブ的な存在であった、BFCが、ビートルズのマネジメントと連絡をとる中で、直接ではないかもしれないが、来日コンサートを誘致し、その場で、公式ファンクラブと公認されるまでに至ったことだ。
レコード会社や、どこかの芸能事務所が主催するのならわからないでもないが。
そういった意味では、ML中心に語られることが多かった、日本におけるビートルズ熱の歴史の裏街道歴史と呼べるものかもしれない。

この絵もあまりにも有名だが、来日時に、ファンクラブに寄贈されたもの。
ファンクラブは、当時最先端のラジオ4台を寄贈している。
この絵は、その後転々とし、某ショップで実際見たことがある。
そのショップの社長が、笑っていいともに出演した時の絵が残っていると思うのだが。
その後、あの絵は、どこに行ったのだろう。
それとも、まだあのショップに秘蔵されているのだろうか。
4人が暇つぶしに描いた絵だが、確かに4人で1枚の絵を仕上げた例を他に知らない。



本レターは、今回の発掘の中でも、最高の1枚。
来日時のファンクラブからのチケット融通要請に対し、エプスタインが、支援を約束する内容。
その結果、協同東京から、2,000枚のチケットを獲得。
ファンクラブでの競争率は、2倍強と推測している。
かなりの効率で、席の場所も調整できたことが推察されるという。

その他にも、当時の日本からアメリカツアーを見に行く等驚くべき企画があるが、実現したかは、確認できないものも多い。
ビートルズをネタに夢を追い求めていた時代を感じる。

大村さんの著作は、資料がしっかりしているだけではなく、周辺証拠もかき集め、真実に迫るところが秀逸だ。
書きぶりも、ユーモアも交え、ひじょうに読みやすい。
また、登場人物の気持ちに寄り添っているところもいい。
本書でもその特徴が遺憾なく発揮されている。



フレーダ・ケリーさんから送られたレターも多く紹介されるが、同封されていたビートルズのサインについては、鑑定団でバッサリ偽物と判定された。
本書にも、そのサインが掲載されているが、真偽は不明とされている。
たぶん、マルあたりが、代理でサインをしたものだろうが、それでも、日本のファンへのサービスであったことには変わりないだろう。
ビジネス面では、先日、サインをゲットした、ウエンディ・ハンソンさんや、トニー・バーロウ、ピーター・ブラウンなどの名も頻繁に出てくる。
周りを親しい人で固めていた様子がわかる。
英国のファンクラブの事務を取りまとめていたアン・コニンガムは架空の人物と断言している。
彼女のサインも有しているが、そのサインをゲットした時から、アンと名乗る人物が別にいて、実在か不明と考えていたが、架空の人物というのが定説のようだ。
途中、活動中断等を経て、ファンクラブの活動は続くが、イギリス本国のファンクラブ活動の終了に伴い、日本のファンクラブの活動も終了した。

現在のファンクラブは、BFCの活動が終了した後に、シネクラブとして発足したものが発展したものだ。
やや商業的なイメージはあるが、すばらしい活動を続けており、世界に誇れるビートルズファンクラブと言える。

単なる史実発掘というだけではなく、当時のビートルズへの熱が伝わってきて、すばらしい1冊。
これだけの著をまとられた大村氏、制作スタッフに拍手。
コメント
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