かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

縄文人と弥生人

2022年08月12日 | Books
常に、異常気象?
今朝も、突然のスコール。
台風もまた出来たし。



今は、縄文ブームと言えるだろう。
世界遺産にも指定された。
今まで日陰の存在だったが、いろいろな発見が相次ぎ、科学的な測定により、以前考えられていたより、はるか昔から、長い期間、それこそサステイナブルな世界を維持できたいたことが分かってきた。
私も、ブームに乗って、博物館に行ったり、史跡に行ったり。

本書は、そのようなブームもあってか、縄文人と弥生人という概念がこれまでどういう風に論争されて来たかを分析した本と言える。
縄文時代、弥生時代そのものを議論しているわけではなく、ちょっと変わった本だと思うが、面白かった。

そもそも明治維新頃は、記紀以前の世界は全く知られていなかった。
それを、明治政府が招聘した西洋人の学者が、貝塚を見つけたりする中で、それ以前の世界があることを知らしめ、研究が始まった。
土器が大まかに2種類に分かれることや、縄文より、弥生の方が古そうだと分かってきたのもそう昔ではない。
また同じように発見されてきた骨が、どうも違った人種ではないかという議論や、土器が作られるようになる前にも、人間が住んでいた痕跡が見つかり、その議論は、どんどん深化・変遷していく。

我々が、学校で習った古代は、まだ縄文時代、弥生時代と言われ始めた段階だったが、当時の考え方を踏まえての内容であり、まだ研究の過渡的な世界をさも確認された事実であるかのように習っていたことがわかる。
縄文、弥生が始まった年代など、記紀の年代を参考にした当てずっぽに過ぎなかったのだ。

そもそも縄文、弥生というのは、時代をさしているのか、土器の種類をさしているのか、文化をさしているのか、それともその時々の日本人のことを指しているのか、哲学的な話にもなってしまうが、議論は、変遷していく。

例えば、コロボックル。
小さい頃は、よく聞いた言葉だが、最近は、全然聞かない。
コロボックル→アイヌ→日本人という議論もかつてはあったという。
そもそもアイヌが縄文人の名残なのか、関係ないのかも、実は定かではない。
エスキモー、米大陸の原住民の姿を見ると、ユーラシアから渡って行ったことは、間違いないと見えるのだが。

縄文と弥生を分けることが可能なのか、その基準すら曖昧だ。
大陸とは無関係ではなく、徐々に混血が進んだということはわかってきた。
ただ、それ以前に住んでいた人間は、いったい誰だったのか?
そこに、大東亜戦争という日本をアジアの中心に置こうという時代が入ったりする。

DNAによる研究、日本語の変遷の探求、いろんな角度から、議論を深めることができるはず。

古代史以前の世界のミステリーは、より深い。
日本人とは、何者かを問う書?
コメント
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