かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

奈良伊勢その4 不退寺

2010年07月11日 | Nara ( Japan )


佐保路は、平城宮から、東の東大寺の転害門(てがいもん)エリアに向かう一帯。昨年、法華寺と、海龍王寺には、行ったが、その先までたどり着かなかった。そこで、今回は、その先に行ってみることとした。

まず、行ったのは、不退寺。平安初期に、平城(へいぜい)天皇が”萱の御所”を造営し、孫の在原業平(ありはらなりひら)が、寺に改めた。バス通りから、ちょっと入った閑静な小路の先にあった。



正式な、寺名は、不退転法輪寺。衆生済度(しゅじょうさいど)のため、「法輪を転じて退かず」と発願(ほつがん)したことから、この名となった。不退寺は、略名だ。業平寺とも呼ばれる。
この門は、南大門で、重文に指定されている。鎌倉末期のもの。



入口近くに、石館がある。近くのウワベ古墳の南側にある平塚古墳から発掘されたものという。



本堂も重文に指定されている。鎌倉時代のもの。
不退寺の目玉は、この本堂内にある聖観音像。平安初期のもので、色が一部残っている。業平自身の作と伝えられる。優しいというよりは、人々を救うために、真剣な表情という感じ。
法華寺、海龍王寺の観音像と合わせ、佐保路の三観音と言われるが、その内の二つを見たことになる(海龍王寺を訪れた時は、公開されていなかったので、見れていない)、両方ともすばらしいものだ。
その他にも、立派な仏像が多くある。五大明王像も、藤原時代のもので、迫力がある。



これは、多宝塔。やはり、鎌倉時代もので、重文に指定されている。上層は、失われており、平安時代のものとは、趣が異なる。



寺内の小川に”なりひらばし”が、架かっていた。



黄色い棒がフラフラしていると思ったら、糸トンボだった。羽は、透明で、飛んでいる時は、ほとんど見えない。黄色の胴が、回りの緑に映えて、美しい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする