山の辺の道を歩んで以来、出雲に行ったり、古代史の本を読んだり、結構、はまっている。本書も、大きな書店では一時平積みになっていたから、読んだ方も多かろう。
作家の山形氏は、アマチュアだが、中国の正史24史と清史稿48冊など、総数289冊3668巻を読破したという。惜しくも、いろいろ大きな発見があった昨年亡くなられたが、本書は、1995年の著作の改訂版になる。
邪馬台国は、何故だらけ。魏志倭人伝に残る邪馬台国の記録を巡っては、特に江戸時代以降、激しい議論が戦わされてきた。その辺の書も多く読んだので、いつか紹介したいが、この本は、その論争の止めをさす?
邪馬台国は、日本ではなく、韓国にあったのだ!!
あまりにも突飛に思うかもしれないが、中国のいろんな本を読むと、そうなるらしい。
我々は、教科書で、今の北朝鮮が、高句麗、韓国が、百済と新羅。そして、日本は、百済に味方したが、唐をバックにした新羅が、朝鮮半島を統一するに至ったと、習った(と思う)。
しかし、山形氏は、膨大な中国の書を読み、高句麗は、今の中国にあったに違いないという。百済、新羅の位置は、ずり上がり(百済は、遼東半島辺り)、倭は、朝鮮半島にあったのだ。
何故こんなにずれるのか。
当時の中国にとっては、朝鮮半島、日本は、まさに秘境であり、その状況は、よく把握されておらず、中国の書においては、極めて曖昧な記述になったのだ。そうすると、邪馬台国の場所についての記載の謎も解かれる。
また、倭から、百済支援のために、たびたび軍を送れたという謎も解ける。
卑弥呼にぴったり該当する日本の王が見つからない謎も解ける。
では、何故、この説が無視され続けるかというと、この説によれば、韓国は、中国にあったことになり、日本は、韓国にあったことになり、日本は、空っぽたったことになり、各々の国史がぐちゃぐちゃになってしまうのだ。
うーーん。
でも、一昨日の本でも紹介した北朝鮮にある古墳群は、誰のもの?
慶州で見た古墳群は、倭のもの?
日本に残る古墳は、誰のもの?
倭は、いつどういう風に大和につながるの?つながらないの?
ちょっとの謎を解決するために、謎が百倍になって返ってきてしまうようにも思う。
中国の本と、韓国の本と、日本の本を全部読んで、3国の遺跡を全部調査しないと、真実はわからない?