かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

金沢 長町武家屋敷跡

2012年03月26日 | Other Western Japan


金沢の話をちょっと追加で。
今日は、長町武家屋敷跡の話。
武家屋敷に行ったのは、初めて。元々そんな観光地ではなかったと思うが、古い街並が残っているところに、古い武家屋敷を移築して来て、散策コースになった。
生憎の天気だったが、外国の方(何故かミシュランの星をもらってる施設が複数ある)も含め、散策している方も多い。

これは、足軽資料館。武家の中でも下級武士になるが、こじんまりとはしているが、ちゃんと一軒家に住んでいたのだ。2DKの平屋って感じかな?
二軒の屋敷に無料で、入ることができる。



次に訪れたのは、旧加賀藩士高田家跡。長屋門が復元されている。



庭も立派。中級武士の館というが、やはり足軽よりは、かなり立派なところに住んでいたようだ。門だけで、家の方は、復元されていない。



野村家武家屋敷跡は、流石入場料をとるだけあって、立派。前田利家の直臣だったというから、今までのところとはレベルが違う。



庭も立体的なもので、桁違いの豪華さを見せる。



雰囲気がよく残っている路地。



大野庄用水沿いに、趣のある家々が並んでいる。



これは、老舗記念館。昔の薬屋の家を移築してきたものだ。1579年創業というから、凄い。



その向かいにあるのが、前田土佐守家資料館。
ここには、前田利家とまつの二男が家祖の、伝統ある前田土佐守家に伝わる品々を展示しており、当時の殿様の生活を偲ぶことができる。明治に入ると爵位を与えられたという。

もうちょっといい天気の時に散策したかったが、街の雰囲気もいいし、江戸時代の武家の暮らしぶりもわかって面白かった。
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金沢ぶらぶら

2012年03月25日 | Other Western Japan
今日の金沢の天気は、時々時々時々。昨晩は、まで、鳴った。
要するに、ころころ変わる天気だったが、土砂降りにはならず、適当に楽しめた。
前回、と言っても相当前だが、超メジャーなところは、一通り回ったので、今回は、武家屋敷、金沢21世紀美術館、石川近代文学館など、ちょっとマニアックなところを、回った。
戦国時代から、江戸、明治、大正、昭和、平成を、駆け抜けた感じだ。
さすが、加賀百万石の城下町。
この街に住んでいらっしゃる方々は、幸せだ。ちょっと、気候が厳しいけど。
今小松。
これから、で、帰る予定。



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古民家再生プロジェクト

2012年03月24日 | Other Western Japan
今日は、前にもお話しした、古民家再生プロジェクトの関係で、金沢にいる。
冷たいだったが、プロジェクトの方は、順調に進捗し、ほぽ外側は、できかけていた。
ご覧のように、表は、煤けたこげ茶色から、できた90年前当時のベンガラ色になった。
見違えるとは、このことだ。
家は、全体で、10cmぐらい傾いていたという。
今は、しゃきっとした。
中も、極力、元の素材か、他の古民家から持ってきた素材を活用。
手間は、とことんかけているが、エコには、かなり貢献している。
あと3ヶ月ぐらいで、完成予定。
楽しみだ。



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インドなんて二度といくか! ボケ!!

2012年03月23日 | India・Sri Lanka・Nepal・Bhutan・Uzbekistan


本書の存在は、前から知っていたが、ゲテモノ感いっぱいなので、無視していた。
ところが、今度は、何故か平積みになっていて、思わずGET。
ゲテモノ感はあるものの、インドファン、アンチインドファンに、流し読みしてもらいたい本ではあると思った。読んだ人は、思わず吹き出してしまうだろう。
でも、これは、たぶん、すべて真実=ノンフィクションだ。

著者のさくらさんは、まだ相当お若いのだが、突如インドに行くことになったらしい。
そして、そこでの経験は、完璧に近く、私の経験に近い。
違うのは、それを、ゲテモノ風に表現するか、そこはぐっと飲み込んで、とにかくたいへんなところだと、お茶をにごすかの違いだろう。

私の場合、移動手段と宿は決めてから行くので、トラベルエージェンシーに何度も連れていかれるという経験はないが、その他の経験はほとんど重なる。ということは、インドに行かれる方は、本書に書かれている事象は、よっぽどの高級ツアーではない限り、かなりの確率で、経験すると言っていいだろう。行ったことのない人には、信じられないだろうけど。

一つ発見だったのは、ベナラシでの、大沢たかおボーイの存在だ。先般紹介した大沢たかおさん主演の深夜特急という不思議なドラマに出演した少年が、出演料として8000ルピーもらい土産屋の店長になったらしく、それにあやかってか、大沢たかおボーイが増殖しているのだという。確かに、あのドラマ?は、強烈だった。でも、大沢ボーイ?

さくらさんが行ったのが、2006年頃。そして、本書の改訂版が出る前に再訪したのが、2009年頃。私が、インドに行っていた頃と重なるのだが、その後のデリーに変貌は、流石のさくらさんの想像力をもってしても、予想をはるかに上回ったものになっていると思う。
まず、ノラ牛、ノラ山羊が、随分減った。物乞いも減った。難民キャンプ的な地区も減った。
単に、首都から追い出しただけかもしれないけど。

デリー・ベナラシ間の列車での移動は、私も経験したが、意外とさっぱりした記載になっている。あの環境で、ぐっすり寝られたのか?私の経験からは、もっといろいろな経験をされたと思うだが。
書いたか忘れたが、いつ来るかわからない列車、指定された座席が発表になる時に群がる人々、待ちくたびれて、線路の向こうの原っばに用を足しに行く人々(駅にトイレがない!)、寝台車にもかかわらず、乗ったり降りたりする人々、そのたびに現れる車掌、あの二等普通車への席確保のための乱闘(人のためではなく物のため)や、慟哭する若者(陳腐な恋愛ドラマでもあのような光景は見られない)、とてもこの世のものとは思えなかった。

デリー中心部以外では、この本に記載されていることが、今もなお、そのまま起こると思っていた方が、たぶん正しい(ツアーで行く場合は、いいけどね)。
でも、やっぱりまた行ってみたいんだよね。
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天皇陵の謎

2012年03月22日 | Books


本書は面白い。
古代史シリーズ5巻を読んでからでは、なおさらだ。
古代史シリーズは、いろいろな観点からの話だったが、本書は、陵墓(天皇陵と思われている古墳)の観点からの一気通貫だから、読みやすい。

この観点からだと、どうしても宮内庁への批判にもなってしまう。宮内庁の、陵墓への立ち入り禁止のおふれは、一見、それもありかなと思うけど、陵墓自体が間違っていて、本当の陵墓は、誰でも入れたり、勝手に公園化され、ただの丘が、陵墓化され、立ち入り禁止になっていたりする。
これは、いかがなものか?宮内庁の不作為の罪ではないか?

被葬者が正しい天皇陵は、5/40という。確率12.5%!これは、急進的な研究者の偏った意見ではなく、過去の文献を調べていくと、そうなるし、学者は皆そう思っている。たぶん宮内庁もわかってる!
天皇陵は、残念ながら、ずっと大事にされてきていたわけではない。再評価されたのは、江戸時代だが、そのころすでに史実はよくわからなくなっていた。当時不明とされた御陵は、たくさんあった。それらを、明治維新の時期に、ばたばた比定したのだ。
学術的に一番重要なのは、江戸時代の古図や絵画で、そのほかには、宮内庁の実測図がかろうじてあるぐらいという。それで、研究しろというのは、はっきり言って無理だ。盗掘の記録などが、貴重な資料になっている始末だ。

それにしても、著者の古墳への思いは凄い。私も知らなかった珠城山1号墳からみた景行天皇陵の写真などは、思い入れいっぱい。

古墳の研究は、特に江戸時代盛んだったようで、その中の蒲生君平の研究は、貴重な情報源になっている。奇人の一人になっているらしい。

それにしても、古墳の扱われ方は、厳しいものがある。周濠は、灌漑に利用されており、研究しようにも、厳しい状況がある。私も、釣り堀になっていたり、果樹園になっているのを見た。
でもそれにしても、えぇ!?という陵墓も多い。崇峻天皇陵などは、噴飯ものだ。2つの古墳を一つにしたりということが、平気で行われている。極めて、大事な天皇なのにだ。

去年行った百舌鳥古墳群の巨大な3古墳についても、議論は、終わっていない。石棺が、円墳部分にあるのか、方墳部分にあるのか、両方にあるのか、まったくわからない五里霧中状態なのだ。
継体天皇陵についての議論も終わっていない。継体天皇は、今の天皇の本当の祖先である可能性が高い天皇であるにもかかわらずだ。古墳については、古事記、日本書紀は、もちろんだが、延喜式の記述が一番参考になるそうで、総合的に判断すると今城塚古墳しかないのではと、著者は言う。

話題の多い斉明天皇については、牽牛塚古墳の発掘で、決着が着いたようだが、この古墳の八角形ピラミッドは、凄いものだったという。そして、私も訪れた謎の多い益田岩船だが、この牽牛塚古墳の発掘により、同時代に、同様の石室を作ろうとして、諦めた残骸であると考えられるようになったという。説得力があるし、たぶんそうだと思う。
火の路を書かれた松本清張さんに、ご意見をお伺いしたい。これと似た石が、兵庫県にもあるが、これも斉明天皇期のものと本書は言う。
発掘により、新たな真実が浮かび上がるし、それにより、本当の歴代天皇の御霊に祈りを奉げることができるのだ。

宮内庁の罪の最たるものが、近代の天皇陵という。近代の天皇陵は、古墳が作られた最後の天皇である天智天皇陵をモデルにしている。天智天皇陵は上円下方墳と思われていたが、近時の研究により、上八角下方墳であることがわかってしまったのだ。
宮内庁は、その事実を認めながら、結論は変えない。これで、皆いいかと言いたくなる。役所仕事、ここに至れりという感じだ。

掘ればいいというものではないが、10年に1つづつぐらいのペースで、日本の成り立ちについての洞察を深める機会があってもいいのではないかという感を強く持ったし、宮内庁の方々も、少しは理解すべきではと、本書を読んで強く思った。

素人にもわかりやすく書かれているので、古代史に興味のある人に、是非お勧めしたい。
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