かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

身延山久遠寺奥之院

2012年05月21日 | Other Eastern Japan


シバザクラの後、メインの久遠寺へ。
天気のいい内にと思って、まず奥之院に向かう。
奥之院へは、ロープウェイで行ける。
日蓮聖人のころは、ここを毎日歩いて登ったというから凄い。
今でも、歩いたら2時間半かかるそうだ。ロープウェイだと、7分。



上から見下ろすと、こんな感じ。凄く急だ。高低差763m。



ロープウェイから久遠寺を見たところ。本堂と、五重塔が見える。



奥之院には、三つ展望台があって、ロープウェイ乗り場に一番近いところから、富士山が見えた。30kmぐらいの距離だそうで、頭だけちょこっと出している。
こんな暖かい日に、これだけきれいに見えることは珍しいとのこと。
ダイヤモンド富士の名所でもある。



奥の方の展望台からは、南アルプスが一望にできる。これも絶景。
この時期、頂上付近には、まだ雪が残る。



奥之院思親閣の門。



奥之院思親閣祖師堂。山頂は麓に比べ、5~6度低い。



日蓮聖人手植えの杉が4本あるというが、内1本は、唐黷トしまったようだ。見るからに、老木だ。



富士山と、富士川が、同時に見れる。これまたすばらしい眺め。



そういえば、今日は、金環食フィーバーだった。私も、早起きして、日の出桟橋近くで、鑑賞。ここだけで、100人以上はいた。
東京湾クルーズ船にも、大勢の客が乗っていた。
曇りがちだったけど、バッチリ見えて、大満足だったろう。
こんなに見れるのは、平安時代以来ということだから、貴重な体験を共有できた。



スナップショットを試みたが、ほとんどだめ。明るすぎた。その中で、1枚、雲で、遮られたため、かろうじて写っていたのがこれ!
雰囲気はわかる?
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富士芝桜祭り

2012年05月20日 | Other Eastern Japan



無事、身延山旅行?から帰還。
最初に行ったのは、富士芝桜まつり。
今日が最終日だったようだ。本栖湖のちょっと南にある富士本栖湖リゾートというところで毎年開催されているらしい。私が訪れたのは、もちろん初めて。



ご覧のとおり、なかなかのもの。
一言で芝桜といってもいろいろ種類があるそうで、パンフレットの説明には、スカーレットフレーム、マックダニエルクッション、オータムローズ、多摩の流れ、モンブランの5種が紹介されていた。
見えているのは、竜神池。



祭りの期間は、4/21から5/20とのことだが、遠くから見ると、1カ月の中でも、開花時にばらつきがあり、苦労の跡がわかる。
富士山が、逆光でいまいちながら、すばらしい景色だった。



80万本の芝桜が植えられているとのこと。



これは、スカーレットフレームかな?派手な色。



本栖湖に行ったついでに、千円札のデザインになった”逆さ富士”のポイントに行ってみた。
これまた、すばらしい!

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今日は、下部温泉

2012年05月19日 | Other Eastern Japan
今日は、約1年振りの山梨。
快晴で、ずっと富士山が綺麗だった。
最初は、本栖湖のシバザクラ。
こ覧のとおり、見事なもの。
80万本もあるという。
逆光だけど、富士山が、見えるかな?
それから、身延山ロープウエイで、頂上から富士山を。
南アルプスも、雪が残っていて、綺麗だった。
最後は、久遠寺。日蓮宗の信者の方々が、大挙いらっしゃっていた。凄いパワーだ。
そして、今、下部温泉に着いた訳。
今日は、年に一度の、松葉杖供養祭があるという。
湯治で治癒された方々が置いていった松葉杖の供養をするのだという。
どんな祭りか、夕食後、見に行ってみようかな?



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平城京の時代

2012年05月18日 | Books
ドナサマーさんが、亡くなった。ホイットニーさんといい、ドナさんといい、若い?ころ、流行していたミュージッシャンが立て続けに亡くなった。ホイットニーさんは、映画でヒットしたけど、歌手としては、ドナさんと、どっちが流行ったのかな?



岩波新書の日本古代史シリーズの第4巻。

奈良時代を中心とした話。実際は、大宝元年(701)ぐらいからの話となる。大宝は、実質的に初めて使われた年号だ。それまでは、干支で年を表した。
この時代からは、比較的にリアルに記録が残されている。続日本紀は、記録として極めて優れているのだそうだ。これまでは、推理小説的な面白さとすれば、ここからは、歴史的な面白さを追及するステージに入ったと言えようか。

当時は、中国の制度をそのまま日本に導入していた時期だが、その一つに、律令がある。有名なのが、大宝律令だ。律令を国家を治める基本に置いた。これが、なかなか凄い。何にもなかったところに、こんな制度を入れて、いきなり運用しようとしたのだから、凄いエネルギーがかかったろう。今読んでも、なかなか面白い。
官僚制も整ってくる。五位以上が、貴族とされたが、最下の位階から、貴族寸前の正六位上まで15階あり、毎年「中上(9段階評価で4番目)」の評価で、20年かかるという。しかし、木簡の研究から、中上の評価はなかなかもらえず、今は、30年~40年かかったのではないかと考えられているという。貴族の子弟は、末端からスタートする必要はない。今の昇進制度に似ているではないか?

今話題の女帝の話も面白い。皇位継承の方法については、まだ定まっていない時期だが、女帝が生まれたのもこのころ。皇位継承が円滑に運びそうもない時に、女帝が中継ぎに立てられる慣例があったという。当初は、天皇の后が立てられたというが。皇位継承問題を研究する際に、是非、皇位継承の歴史をよく研究した上で、議論してもらいたいものだ。
継承の方法は、グローバルスタンダードなどなく、日本の皇室独自のものである。

有名な和同開珎もこの時期だが、なかなか流通しなかった。蓄銭叙位令など、工夫もしたが。結局、調や、雑徭を銭で代納することを認めた。これにより、平城京造営の予算の問題を片付けたという。まさに、日本事始めなのである。

この時期は、天平時代とよく言われるが、実際は、天平宝字、天平神護など、四字年号が多かったそうだ。武則天の影響だ。その他、唐に追いつけ追いつけの時代だった。陸奥で、金が見つかったのもこのころだ。このように、造都、造寺、造仏ができたのも、このころ天災が少なかったためという。平安に入り、たいへんな天災が続くことになる。仙台市の大津波(869年)の記載もあるが、3.11後に書かれたものかぎりぎりだ(本書は、昨年5月発行)。

まさに日本国家の枠組みができた時期であった。日本国の版図、その区分方法、法律、戸籍、税金、通貨。この100年足らずの間にだ。

明日から、ちょっと小旅行予定。
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飛鳥の都

2012年05月17日 | Books



岩波新書の日本古代史シリーズの第3巻。

飛鳥時代というと、飛鳥に都があった時代というイメージがあるが、とんでもはっぷん。でも、本書は7世紀のお話ということで、その辺は割り切っている。天智天皇は、この時期の中心的天皇だが、都を近江に移している。当時の都が、今のイメージと随分違っていたことがわかる。斉明天皇にいたっては、九州で亡くなっている。

この時代で、際立つのは、アジアとの関係が深まったことと、その影響もあり、律令統治への足固めができてきたという。
遣隋使は、日本側で記録されているものよりも前に派遣されていたが、初回は、対新羅戦争の一環だったらしい。
本書を読むと、隋、唐周辺の情勢により、できたばかりの日本が翻弄されていたようだ。

そもそも飛鳥時代と言っても、飛鳥にずっと都があったということではまったくなく、初期は、難波方面への指向が強かったようだ。
面白いなと思ったのは、この時代に、地方豪族のモニュメントが、古墳から寺院に移ったという表現だ。確かに、この時期以降、古墳は作られなくなり、残っているかどうかは別にして、寺院がその地位を引き継いだのである。

今、皇族が女性ばかりになってしまい、話題になっているのが、皇位継承のルールの問題だが、現在の皇位直径継承は、この時期に始まった。その前は、兄弟だったりして、定まっていなかったらしい。持統天皇(=女帝)だった頃の話だ。

この辺まで来ると、今の日本の基礎がこの時期あたりにできたのかななどと思う。でもそんな単純な話でもない。
近時の考古学上の発見で、説に裏書されたり、逆になったりということが、平気で起こる世界ではあるのだ。

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