かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

壬申の乱

2020年01月21日 | Books


今日の昼は、宇和島風鯛飯。
絶品!



本書は、本屋で見つけた。初版が、1996年で、19刷とあるが、あまり見たことはなかったので、古代史ブームの中、急に増刷したのではないか。
帯からも、そのように、読み取れる。

最初は、記載が細か過ぎると思ったが、読み進める内に、リアル感の深い内容で、あっという間に読めた。
記紀以外からの情報も交え、壬申の乱の実態に迫っている。
そもそも論、当時の天皇(その呼び名すらまだなかった)の継承は、弟へが普通なところに、天智天皇が、息子を指名し、息子が育つまで、女性天皇を繋ぎにした段階から、この乱は、起こることが、セットされていた。
であるから、双方、万端の準備をしていた訳だが、いざ戦争が始まると、想定外のことが、立て続けに起こり、勝敗は、一進一退となり、なかなか見極められなかった。
ただ、奈良を大海人が、ギリギリ制したことにより、大きな流れができ、最後、大津の戦いで、勝敗が決した。

記紀において、詳しく語られるのは、当時の天皇家の正統性をよりはっきりと残すためとするが、その通りだろう。
天武・持統天皇は、その後の、大和朝廷の基礎を作ってくことになった。

面白いのは、後代、戦国時代の武将や、2.11事件の将校達が、壬申の乱を意識して行動していたかもしれないという考察だ。
それだけ、日本の姿を形作った重要な事件だった。
天皇家の継承は、昔も今も、たいへんなことだった。

大化改新と共に、古代史のハイライトである本事件に焦点を絞った本書は、古代史ファンには、是非一読してもらいたい1冊と思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

華麗なるドイツ浪漫紀行 その10 ハンブルグ レーパーバーン

2020年01月20日 | Europe・Middle East・Africa



ビスマールとリューベックを回って、ふたたびハンブルクに戻ってきた。
夜は、自由時間だったので、ビートルズゆかりの地を早周り。
レーパーバーンは、悪名高き?歓楽街。
ホテルから地下鉄を乗り継いで行ける。
歌舞伎町をもっと猥雑にした感じ。
ちなみに、地下鉄は、改札がないのだが、チケットをちゃんと購入したかどうチェックしていたのか不明だった。



ビートルズプラッツ。
ビートルズ4人の姿が、モニュメントになっている。
実は、当初は、5人だったが、ステュが脱退し、4人編成になった。
その後、ドラマーがピートからリンゴに変わる。
正面に見えるのが、グローセフライト通りで、ビートルズが演奏したクラブはほとんどがこの通り沿いにある。
ちなみにグローセフライトは、大いなる自由という意味らしいが、ビートルズは、ここで、自由を謳歌していたのだろうか。



グレーテル&アルフォンスは、当時のミュージシャンたちがたむろしていたバー。
今も現役。
ほとんど徹夜の演奏が続いたという。



スタークラブのモニュメント。
クラブ自体は、取り壊されたが、有名歌手が多数出演していたことが、わかる。
ちなみに、取り壊された時のステージの切れ端を所有している。
営業していたのは、1962年から1969年と、短かったことがわかる。
ちょうどビートルズが活動していた時代と一致する。



カイザーケラーもビートルズが演奏していたクラブ。
こちらは、まだ現役のようだった。
カイザーケラーから、スタークラブへ移籍した。
店主のブルーノ・コシュミダーは、映画のバック・ビートで悪役で描かれるが、結果的には、ハンブルクでの過酷な経験がビートルズの底力になった。



大教会。
立派な教会だが、この猥雑な地域のど真ん中にある。
そういえば、当日も、男性のストリップショーに群がる若者たちが奇声を上げていた。



インドラは、ビートルズがハンブルクで最初に演奏したクラブ。
建物は、残っているが、営業はしていないようだった。
ここでの環境は劣悪だったと伝えられる。



バンビキーノ。
かつての映画館だが、このスクリーンの裏で寝泊りさせられていた。
今は、アパートに見えるが、かつての姿とうまくつながらない。



ジョンレノンの、ロックンロールのカバーで使われた写真の撮影された建物。
かなり荒れているが、当時の姿はわかる。
立ち入り禁止のようになっていたが、近くで、家族パーティをやっていたので、まだ住人はいるようだ。



ポールやジョージが世話になった警察。
室内で暖をとるために物を燃やしたのが、放火扱いされたというが、コシュミダーが、他のクラブに移籍したことへの腹いせだったとも伝えられる。
この事件で、一旦イギリスに強制送還された。
この警察署の右手の通りが、赤線地帯になる。
世界一忙しい警察署とも言われる。



トップテンクラブがあった建物。
当時の建物が残るが、店名は変わっている。
ピザハットも入っている。
ここでの演奏を最後に、ビートルズは、世界に羽ばたっていった。



夜は、前日にも行ったハードロックカフェでディナー。
ビートルズと縁の深い街だが、ビートルズ関連の展示は、ジョンのジャケットのみ?

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

華麗なるドイツ浪漫紀行 その9 リューベック②

2020年01月19日 | Europe・Middle East・Africa


今日は、地元でゴルフ。
昨日の荒天から一転好天になった。
スコアは普通。



中央に見えるのが、市庁舎。
1230年に建設が始まり、14世紀にほぼ完成したという。
4階建てに見えるが、実は2階建てで、上部は、ファサードで壁のみ。



市庁舎の左に見えるのが聖マリア教会。



リューベックの町並みの模型。
リューベックのほぼ中心部にある。



聖マリア教会の内部。
1250年から100年かけて建設された。
ゴシック建築の大教会で、他の教会のモデルになった。
レンガ作りでは、ドイツ最大という。
後ろには見事なパイプオルガン。



正面。
天井が高い。



戦争で、破壊された後、修復されて今の姿がある。



戦争で破壊された鐘楼がそのまま展示されている。



1705年に20歳のバッハがこの教会のオルガン奏者であるブクステフーデの演奏を聞くため、アルンシュタットから400kmの道のりを歩いて来たという。
レリーフが残されている。
本旅行中、バッハには、その後各所で出会うことになる。



ユニークなステンドグラス。



こちらもユニークな骸骨のステンドグラス。



骸骨踊りの絵。
現物は、戦争で破壊された。



天文時計。
巨大。
見所の多い教会だった。



リーダーエッガー。
リューベックのマルツィパンを代表する店で、大混雑。



明るい町並み。
当時の賑わいを彷彿とさせる。



ちょっと甘いが、見た目が綺麗。



ハンザ同盟の盟主にふさわしいすばらしい街だった。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

杉真理さん

2020年01月18日 | Music


今日は、今年初めてのコンサート。
新装なったモーションブルーでの杉真理さん。
杉さんのコンサートは、ビートルズ絡みばかりだったので、本人メインのコンサートは初めて。



楽しかった。
MCは自制されていたが、日吉にいたが、西谷に一時移り、同居の医学生に、ギターがうるさいと追い出された話とか。

曲は、80年代のオリジナル中心。
私より、5歳年上だが、あまり変わらない。
まさに、フォーク、ロックから、さまざまなジャンルの歌が花開いた時代だった。
今回のメンバーも、若手のキーボードを除いて、当時からのメンバーで、息もぴったり。
リラックスした雰囲気も伝わり、楽しいイベントになった。
本人も、プロデューサーではなく、1シンガーソングライターとして、久しぶりのステージで、楽しいと言っていた。

70年代から音楽会を引っ張ってきたメンバーだけに、でも、当時の若々しさを失わず、心底楽しめるステージだった。
アンコール3曲の中で、a面で恋をしてでは、鈴木さんもボーカルを。
ラストは、杉さんの最新アルバムから、キャッチーな曲を。

客席と一体となったステージは、いやでも楽しめるものだった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

華麗なるドイツ浪漫紀行 その8 リューベック①

2020年01月17日 | Europe・Middle East・Africa


ビスマールの次に訪れたのは、リューベック。
海に面しては、いないが、ハンザ同盟の盟主的な都市だった。
トラヴェ川の中洲的な場所にあり、河川港を形成している。
5つの教会と7つの尖塔がある。
いかにも中世的な景観が保たれている。



街の入口にあるホルステイン門。
旧50マルク紙幣のデザインにもなった。
厚さ3.5mの壁の重さで門は中央に傾いている。
デンマークに対する軍事圧力として1478年に建設されたという。



内側から見たところ。
門は、すぐに閉鎖できるようになっている。
凄い重量感。



ホルスタイン門の隣にあるかつての塩の倉庫。



街の中は、小路が多くあり、尖塔も見える。
これは聖ペトリ教会の尖塔。



美しい町並みが残されている。



聖ペトリ教会はホルステイン門から一番近い教会。
12~13世紀に建てられた。
戦争で破壊されたが、外部は修復されている。



内部は、白と紫で統一され、このような感じで、現代美術の展示場になっている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする