秋山さんの本シリーズは、たぶん全部持っている。
正直、あまりのマニアックさについていけないところもあるのだが、乗りかけた舟?
今回は、1986年~1996年の、ソロ作品について。
ジョン以外の3人の作品を、そのまんま発表順に、歌詞を分析していく。
歌詞カードがついているもの、翻訳あるもの、何にもないもの、いろんなパターンがあるが、秋山さんの耳と、知識をフル動員して、歌詞を読み解く。
昨日の対談を見ていると、歌詞を深堀りすることに、どれほどの意味があるのかと思ってもしまうが。
特に、歌詞カードと翻訳、間違っているところは、徹底追及!
この時期のアルバムは、当然?全部持っているわけではないので、確かなことは言えないのだが、本書を読む限り、かなりいい加減な翻訳が、平気でなされていることに唖然とする。
翻訳者の名も挙げられているので、翻訳者の方は、本書を読んで、どう思うのだろうか。
もちろん秋山さんの訳が正しいとは限らないのだが、どう見ても誤りというケースも少なくない。
時間に追われ、歌詞の背景も知らずに末キると、頓珍漢になる。
一方、深読みし過ぎ?と感じるとこもあり、じっくりと、CD聴いて、原詩、末A本書を比べて読んだら、また新たな発見があるかもしれない。
3人の、この時期のソロ活動は、ジョンの死の影響もあり、活発だったとは言えないし、作品的にも地味なものが多いような気がする。
勢い、歌詞も、そんなに輝いているものはないように思う。
秋山さんの本に対しての反論本などがあると、盛り上がっていいのだが。
次作にも期待。
今日は、3/20に行われた対談のアーカイブ映像を見た。
藤本さんが、司会で、川原伸司さん、杉真理さん、松尾清憲さんがゲスト。
このメンバーのトークイベントには、何度かお邪魔している。
当日は、外出中だったので、見れなかったが、最近は、リアル+ネット+アーカイブということで、その気になれば、いろんな方法で、アプローチできる。
リアルが、もちろん理想なのだが、日程が合わないと諦めたケースも見れるようになった。
今回は、そのパターン。
コロナリスクもゼロ。
定例とあるが、2009年、2011年、2017年に続いて、4回目という!
前半は、ゲットバックセッションに関しての討論。
みなさま、総じて良かったというご意見。
その根拠は、やたらに明るくし過ぎなかった、前作からのトラウマからの回収ができた、曲作りの過程が見れた等々。
ドキュメンタリーは、そのままではなく、演出が入るのは当たり前で、本作は、ピーター・ジャクソンのドキュメンタリーととらえるべき。
まさにそうなんだろう。
マイケル・リンゼイホッグは、結構粘っこいが、最終的にルーフトップまでこぎつけた。
ピーター・ジャクソンは、その場にいれば、あれまではできなかったろうとのこと。
お酒を飲みながら曲作りをしているが、通常は考えられないとのこと。
ただ、裕次郎さんは、飲みながら録音していたとのこと。
川原さんのコメントが、当時の様子を一番知る人として貴重。
14曲、2週間で作ってライブで披露するというのは、無理だったのでは?という問いには、後期のビートルズは、曲が湧き出るという感じではなく、何等かの企画、動機付けがないと、前進できない状況だったの見立て。
確かに、後期は、アルバム毎にテーマが作られた。
一人一人は、まだまだ才能があふれ出ている時期で、それがあふれ過ぎて、グループとしては、収拾がつかなくなったのが、ゲット・バック・セッションだったのではないかとの意見も。
普通曲作りは、コード譜、コード展開を作ることから始めるが、歌詞カードを作ることから、始めていることも、発見の一つ。
歌詞の意味よりも、韻、曲への乗せ方を工夫する様子が見られる。
当時のビートルズは、最先端を走っていたわけではなく、ルーツミュージック、グラムロック、ハードロック、プログレ、ウッドストック等様々な分野で、様々なグループが、新たな世界を切り開いていた。
ゲット・バック・セッションは、ルーツミュージックの方向感だったが、4人の思いはばらばらだった。
そういった意味では、当時のビートルズは、必ずしも、時代の最先端ではなかった。
サイケ路線を、もっと追求しても良かったのではという意見も。
川原さんのご意見では、バンド内で、アルバムに入れる曲決めや、シングルカットする曲決めは、ひじょうに難しいそうで、その観点からも、今回のGet Back は興味深いとのこと。
結構辛辣に批評する場面も見られる。
杉さんは、ほめたろうほめのすけだそうだ。
ジョージが、Get Back がシングルだという発言に、ポールがにやりとしたというシーンは象徴的。
映像を見ていると、ジョージは、ジョンを慕っており、ポールは、ジョンをリスペクトしつつも、相棒として見ているようだとのこと。
ルーフトップでの素晴らし演奏は、たぶん前日に猛特訓したのではないかとの見立て。
久しぶりの有観客演奏で、いい緊張感の中で演奏できたのではないかとの意見も。
後半は、1969年にできた曲で、アルバム1枚を作ればどうなるかとの大放談会。
1部よりも、ざっくばらんな感じだった。
ビートルズとしても、ソロとしても、ミュージックメイカーとしても油が乗り切っていた時代だけに、意見大錯綜。
ただ、日本人としての、好みの傾向は似ている。
リンゴ1、ジョージ2という縛りで始まったが、リンゴ1は、ドラミングで活躍してくれていうことで、割愛することになり。
その後、放談会も進み、お酒も進みとなるのだが、一致するのは、ビートルズの曲が、みな個性が強いとのこと。
同じパターン、他の曲を連想させる曲が、極めて少ない。
川原さんの見立てでは、当時、反戦・イデオロギー優先の時代で、ビートルズは、大きくは、方向感を表さなかったが、ジョンがソロで、その方向感を鮮明にした。
Let It Be 、Abbey Road、その他と、バランスの取れた選曲にもなった。
大激論の末のセットリストは以下。
Get Back
Don't Let Me Down
I've Got a Feeling
Two Of Us
ジョンとヨーコのバラード
Oh Daring
Give Peace A Chance
Come Together
Something
Let It Be
Across The Universe
Here Comes The Sun
Two Of Us
Long Winding Road
シングルは、
Give Peace A Chance
You Know My Name
確かに強力。
アビー・ロードのメドレー曲などは、曲数が多くなってしまうので、収録しにくかった。
一方、参加者4名の意見の違いも面白かった。
議論の中で、各曲の制作の背景なども語られた。
最終的には、杉さんの意見がほぼ通る結果になった。
豪華メンバーでの対談だったが、結構本音が出て、楽しい対談だった。
昨日は、電力ひっ迫警報ということで、初体験だった。
昔は、日本でも、停電がよくあったが、送電トラブルが原因だったと思う。
インドでは、大ホテルでもしょっちゅう停電があったが、これは、まさに電力不足によるもの。
インドネシアでも、いつもぎりぎりで、電力を多く使う工場は、自家発電設備を有するのが常だった。
一方、シカゴでは、電力会社が不要な発電所を建設したと訴えられ、敗訴して、電力料金の一部を還元するはめになった。
いろんなケースがあるが、今の日本でいえば、環境問題と、原発問題で、八方ふさがりになりかけている。
タブーなしの議論が必要。
防衛問題についても、言うまでもなく。
デビットボウイの伝記映画のBDをゲット。
2019年の映画だから、まだ新しい。
スペイス・オデッセイが、出た後のアメリカツアー??を題材に、スターダムへの足掛かりを掴むまでを描く。
内容は、予想とは全然違った。
エルトンジョンのロケットマン的な映画を予想していたのだが、全編が暗い。
売れるためにもがき続ける。
そのために自分がやるべきことと、やりたいこととのギャップが埋まらない。
そして、ひたすら探し続ける。
セックスと麻薬まみれ。
当時、ジョン・レノンやウォーホルとの写真が残るが、薬で、痩せぎすだ。
兄が、精神病院に入ったことも陰を落とす。
そして、マークボランのグラムロックも参考にしながら、スペイスマンのイメージで、スターの座を掴んだところで、突如映画は、終わる。
我々は、その後、変化を続けていくことになるボウイを知っているが、当時のボウイは、未来を知らない。
変わるたびに、もがき続けた。
スターになる前を描くという似たテーマの映画で、ビートルズのバックビートがあるが、こちらの方が、内省的かな。
面白かったが、この映画に何を求めるかで、評価が分かれるだろう。
私は、好きだ。
おまけのカード。
ボウイファンはマスト。
どうなってる?
本BDは、2016年に公開されたドキュメンタリー映画。
初期のプラス・ロック時代は、聴きまくっていたが、その後は、ベストアルバムで聴くぐらいだったので、その変遷に驚かされた。
ギターのテリーキャスが、亡くなった時から、変わったと思っていたが、その後も、変遷を繰り返した。
メンバーも変わるし、デビットフォスターが、プロデュースした時の変化も凄い。
デビットフォスターが、チームに加わる前は、レコード会社との契約も切られ、どん底だった。
それからの復活は.奇跡的に見事だし、その流れを作った、ピーターセテラまで、首にしてしまう。
今でも恨んでて、本映画の悪口も言っている。
同じグループと言えるのかは、別にして、これだけ長く続いているのは、素晴らしい。
薬も、徹底的に?
初期に、ジャニス・ジョプリンや、ジミヘンと交流があったことも知らなかった。
1967年2月15日が、グループ結成日だそうで、この日本版BDは、55周年に出た。
ロックの殿堂入りの時のスピーチ、演奏も、感動的。
特典映像も、サービス満点。
本編に入れられなかったオリジナルメンバーの対話や、途中加入メンバーのインタビュー。
メンバーチェンジの状況がわかる。
私が、唯一行った2011年の来日コンサートでの、オリジナルメンバーが、ロバート・ラムと、3人のホーンセクションだったことが、やっとわかった。
ホーンセクションのメンバーは、バラード・バンド?になりかけた時は、どうしようかと思っただろう。
2013年5月のカナダでのコンサート映像もたっぷり。
たぶん私が見たのと近い演奏だと思うが、40年前の音が急に蘇り、興奮してあまり覚えていない。
やはり、オリジナルメンバー3人によるブラスセクションがいい。
この映像からもずいぶん経つが、今はどんな感じなのだろうか。
とにかく、当時は、よく聞いた。
編集でカットされたトークも面白い。
長さの関係で、カットされたというが、あまりの放言で、カットされたのではないか?
シカゴに、6年半も住むことになった。
偶然なのだが、シカゴの元の名が、CTA (Chicago Transit Authority)であったことを思い出して、笑ってしまった。
訴えられて、シカゴというバンド名に変えたのだそうだ。
ロックに興味のある人に、広くお勧めできる。
今日は、さっさと伊豆から、戻って来た。
途中、しとどの窟へ。
情報が少なかったが、大観山から湯河原に下りていく途中にあるようだったので、行ったら、椿台という駐車場から、歩いて行けた。
このトンネルまでは、平だが、そこから、急な山道になる。
石橋山の合戦に敗れた頼朝一行がこの窟に身を潜めたとされる。
地元の土肥実平が案内したといい、ここから安房への小舟も、土肥氏が手配した。
土居実平は、今でも湯河原の英雄だという。
天気は、まずまずだったので、滑るほどではないが、かなり急な山道を下っていく。
ハイキングコースになっているが、かなりの山道ではある。
途中、距離を示す石碑がある他、仏像が並んでている。
たぶん、地元の人が奉納したのだろう。
最後、50メートルぐらい登ると、しとどの窟がある。
確かに大きな窟で、数人が潜むには十分なスペースだ。
仏像が並んでいるが、江戸から、大正に奉納されたものだそうだ。
なかなか趣のある石窟だった。
大観山に戻っていく途中に、土肥の大椙跡の石碑があった。
その大椙はそこから400メートルほどのところにあるそうだが、大正時代に、唐黷トしまったというから、今はないのだろう。
この大椙に頼朝が身を潜めていたところを、梶原景時が見つけたが、見つけなかった振りをしたため、頼朝は、逃げることができたと伝えられる。
大河ドラマでも、重要な場面として出て来た。
ここで、平家に打ち取られていたら、歴史は変わっていたことになるが、どうか。
帰りに寄った干物屋。
2回目だが、場所がいいし、大きい。
これから、リピーターになるか。