かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

奈良を知る。日本を知る。

2023年10月26日 | Nara ( Japan )


今日は、何回目かの丸キャリTravel「奈良を知る。日本を知る。」。
テレビでもJR東海のCMをよく見るが、大キャンペーン中。
私は、そのずっと前からハマってるんだけど。



第一部は、奈良文化財研究所 都城発掘調査部 平城地区資料研究室長の馬場さんによる「ポスト壬申の乱を生きる-持統天皇の孫娘・吉備内親王と悲劇の宰相・長屋王の物語-」の話。
素晴らしく面白かった。

平城京の地図と、天皇家の家系図を片手の話だったが、地図は頭に入っているので、家系図を見ながら聞いた。
山川異域 風月同天 寄諸仏子 共結来縁と縫い込まれている袈裟を鑑真が見て、日本に行くことを決めたと伝えられているそうで、それは、長屋王の持たせたものだったそうだ。
その長屋王は、濡れ衣を着せられ自害したことは有名だが、その背景に深く迫る迫力ある話だった。
そもそもこの時期を振り返ると、アジアでの混乱が、唐が中国を、新羅が朝鮮を統一により、一服収束し、平和と共存を目指し、日本では、壬申の乱を経て、安定の時代に向かいつつある時期だった。
言わば、個・武・血から、官僚、法制度システムに移行しようとしていた時期だった。
今風にいえば、人治から法治へということだろうか。

そして長屋王ほ、血筋も、財力も、人的ネットワークも申し分のない人物。
その妻だった吉備内親王も、それに輪をかけたような血筋。
しかも仏教への信心も、深かった。
この辺の情報は、木簡発掘、寺院宮殿の諸発掘で、明らかになったところで、馬場先生の功績も大きい。

薬師寺に東院堂があり。その中の観音様が有名だが、建物の位置が,中途半端だなとは前から思っていたが、発掘の結果、最初は、建物は、90度違う南方を向いており、しかもその基盤は、奈良の中でもも、もっともしっかり作られていたのであることがわかったそうだ。
馬場氏は、吉備内親王の自意識の強さを感じたという。
吉備内親王が、母の元明天皇(天武・持統の直系)のために建てたと伝えられている。
聖武、光明、孝謙は、新たな国作りを,目指しており、長屋王、吉備内親王、膳夫王との決定的な亀裂に繋がったのではと見る。
そもそも薬師寺の本体は、聖武・持統中心に建設されていた。
長屋王は、記録からは、一級の文化人で、常識人だが、仏教にたいしては、正当な、より厳格な仏教を指向。
鑑真に贈った袈裟を作ったのも吉備内親王かもしれないとのこと。
一方、聖武側は、より大衆に寄り添った仏教を指向し、そこでも、対立が生じたのではないか。
ただ、より古い考えを持っていたのは、長屋王より吉備内親王で、長屋王の変の本当のターゲットは、吉備内親王ではなかったかと考える。

ところが、長屋王の変後、パンデミックが続き、それが長屋王の祟りではないかと考えて、聖武・持統は、大仏建立に走ったのではないか。
それが御霊信仰の始まりで、神仏習合の画期にもなったのではないか。
皮肉にも、その後の日本の歴史に大きな影響を与えた考え方のきっかけになっているように見える。

その後も政変が続き、皮肉にも、鑑真の来日に功績のあった大伴古麻呂は、謀反の疑いで獄死。
長屋王の変で、功績?のあった新田部親王の旧宅跡地に、鑑真による唐招提寺が作られたという。
鑑真も政変により、複雑な立場に陥ったのではないかと見る。
本来は、東大寺を任されてもおかしくなかったが。

奈良時代の一番ドロドロした時代が段々浮き彫りになってきている。

第二部は、シノラー(今は、ならラー)が加わったパネルディスカッション。
お題は、「自然と文化の地 平城宮跡・西ノ京を旅する」。
正直、時間も限られたし、奈良観光の宣伝的な感じで、新味はない。
ちなみに、西大寺で好きな仏像は、シノラーは善財童子、馬場氏は、愛染明王と駅近くにあるお堂の邪鬼。
この邪鬼は、奈良時代のものだそうだ。

馬場さんは、西大寺の線路好きで(私も)、ブラタモリに出演した時、タモリさんに強く賛同されたそうだ。
それと、平城宮ノ湿気を維持するため水を撒いているが、そのため、燕のねぐらになっているのだそうだ。

西大寺の発掘では、食堂院で、奈良最大級の井戸を発見したが、今は、マンションになっているとのこと。
後ほ、好きな食べ物とか、お土産とか、奈良の朝、夜の魅力とかで、要するに、奈良に泊まってねという話。
シノラーはソウメン好きだそうだが、ブランディングを可士和さんがやっているそうだ。
どうしても、京都の方が華やかだが、奈良も史跡以外の楽しみ方が増えていることは、分かった。

ということで、一部中心に、素晴らしいイベントだった。
また、機会があれば、参加したい。
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充実のドイツ・チェコ・オーストリア その22  ヴィ―ス教会

2023年10月25日 | Europe・Middle East・Africa
今日は、1日関西でお仕事。
スケジュールビッチリだった。



また、夏の,旅行の話。
ノイシュバンシュタイン城から、30分ぐらいのところに忽然と現れる教会。
ヴィ―ス教会。
牧草の教会を意味するという。
かつて、鞭うたれるキリスト像という寄木作りの像があったが(18世紀)屋根裏にしまい込まれてしまった。
その像を農婦のマリアが譲り受け熱心に祈ったところ、木造が涙を流したという。
この話が伝わり、大巡礼が始まったという。
教会が手狭になり、この立派な教会が建設されることとなった。



外観は素朴な感じに見えるが、中は、華やか。
ロココ様式。
18世紀の建立以降、多くの巡礼者が訪れる。

これは、左の脇祭壇。



天井画。
復活されたキリスト。
虹の上にキリストが座っている。



中央祭壇。
下方に見えるのが、鞭打たれる救い主。
涙を流したと伝わる。
上方には、キリスト自身と言われる子羊が見える。



鞭打たれるキリスト像。



すばらしい、美しい教会。



回りには、牧草地が広がる。
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安土 & 近江八幡

2023年10月24日 | Kyoto・Osaka・Shiga ( Japan )


今日は、関西にいる。
絶好の散策日和なので、前から行きたかった安土&近江八幡へ。
ところが、いろいろ見どころが散らばってて、32000歩。
散策どころか、大ウォーキングデイになってしまった。
まぁ、運動不足気味だったから、いいんだけど。



最初訪れたのが奥石(おうそ)神社。
安土駅から4キロ!
何故か、おうそと読む。
マンホールは、永楽通宝。



老蘇(おうそ)の森に囲まれており元は、老蘇と書いていたのかもしれない。
延喜式にものる神社。
根来の陣屋跡が入り口のところにあり、織田信長との縁も深い。
神主さんが、この辺りは、元々蒲生家の所領だったとおっしゃっていた。



社殿は、重要文化財に指定されているが、織田信長が、柴田家久に造らせたという。
小ぶりだが、落ち着いた佇まい。



次に訪れたのが、信長の館。
また4キロ近くで、かつ山越え。
不思議な建物が現れた。



築城後わずか3年で焼失してしまった安土城の最上部の5階6階部分を忠実に再現した実物大の建物が展示されている。
元は、1992年のセベリア万博で展示されたものを移築し、屋根や外壁を追加復元したそうだ。
見事だが、アップ不可とのことで、説明のみ。
隣に映像で再現するシアターがあり、これまた見事。
安土城跡に行く前に、行ってて良かった。 
素晴らしいし、信長の規格外の発想に脱帽。
部下は、さぞ大変だったろうが。
これを見ないと、なかなかイメージするのが難しい壮大な城だ。



とにかくバカデカく、バカ高い初めての天守閣を持った城で、とんでもない労力が費やされた。



そしてまたしばらく歩いて安土城跡へ。
今は、城跡内に総見寺が残り、安土城は、石垣のみが、残る。
この石垣自体も、明治以降に、整備されたらしく、それまでは、荒れ果てていた。



この大手道が整備されたのも、そう昔ではないらしい。
急で、ほとんど山登り。
守るのにはいいが、水、兵糧が、しんどい城?



大手道の両側には、有力戦国武将の館が建ち並んでいた。
手前の左は、羽柴秀吉。



広くて別格扱い?
天守閣近くには森蘭丸邸まであった。
本当なのだろうか?
難攻不落であったことは、間違いない?



いろんなところから石を持ってきていて、貴重な仏足石も。



発掘は続いている。
金色の瓦などが発掘されたことから、安土城が、金色に輝いていたことが、わかってきた。



本丸跡の礎石は、見事に、立派に残っている。
謎が少しづつだが明らかになってきている。



琵琶湖も一望。
天守閣はもっと高かったから、もっと素晴らしい眺めだったろう。



下りは、別ルートで、お寺の中を通る。
やや痛んでいるが、室町時代のもので、重文に指定されている。



二王門も室町時代のもの。



金剛力士雑も、重文に指定されている。



安土駅から、隣駅の近江八幡駅へ移動。



またまた3キロ近く歩いて日牟礼(ひむれ)八幡宮へ。
結構、団体客も来ていた。



立派な、楼門。



拝殿、本殿も立派。
祭神は、誉田別尊。
伝えられる歴史は古いが、本格的には、平安時代から鎌倉時代の建立と見られるという。



今日のラストは、八幡山ロープウェイ。
来たら、登りたいと思っていた。
15分毎なので、便利。



登ると、八幡城跡が広がる。
豊臣秀次の城だったが、秀頼が誕生したため、自害させられた後、廃城になった。
なんと残酷なことか。
またまた山登り。
安土城にも匹敵する規模?



西の丸跡からの眺め。
琵琶湖方面が絶景。
比叡山もばっちり。



出丸跡からは、近江八幡の街が一望。
凄いところに城を作ったものだ。
安土城を見下ろすような感じになる。
できた時は、焼失していたことになるが。
左方には、伊吹山が、望める。



天守閣跡には、村雲御所瑞龍寺が移築されている。
回りの石垣は、八幡城時代からのもの。



本殿。



六角堂。
紅葉が始まっている。



無事、八幡城から降りて、八幡堀。
お堀巡りはしなかったが、素晴らしい光景。



逆光だが。



白雲館。



仲屋(すわい)町通り。
昔ながらの通りが続く。
近江商人の街。



旧八幡郵便局(ヴォーリス建築)。



アンドリュース記念館(ヴォーリス建築)。

充実の1日だった。
コメント (2)
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家族生活

2023年10月23日 | The Beatles


今日は、久しぶりに、ファブ4ギャラリーへ行ってみた。

毎日開いているわけではないが、開館期間中、とんでもないお宝が、ファン向けに展示されている。
今日の目玉は、このバイク。
ブライアン・エプスタインがジョンに贈ったという50㏄のペダル付原付(モペット)。
日本にあること自体が奇跡かつジョンが使っていたと思われるバッグ付きで、保存状態も極めてよい。

その他に、ジョンが、実父のフレディや、悪名高井アラン、ポール、ファンなど、様々な人に贈った直筆レターが展示されている。
人間ジョンに、直に触れることができる。



行くとなんかゲットしているのだが、今回ゲットしたのは、本書。

英語版は持っているのだが、日本語版は、持っていなかったので。
1990年12月発売の初版本。

結構いい値段したが。
赤帯ものものあるようだが、発売当時、どんな感じだったのだろうか。
赤帯のものとは、表紙の写真も違うし、たぶんこちらが初版だったのだと思う。

説明を見ると、1982年に日本版初版が出て、1990年に英語版が出るのに合わせて、日本版が改めて出版されたようだ。
最初は、角川、本書は、小学館から出版されている。
改訂版初版という表現が正しいのかもしれない。

1977年から1978年まで、日本滞在中の写真を中心に、惜しげもなく掲載されている。
ビートルズ解散後のジョンの最高に幸せだった時期の写真がこれだけ残されていいるとは、当時誰も知らなかったろう。
写真家の西丸さんの貢献も大きい。
ショーンが、どれだけ愛されていたのかもよくわかる。

ジョンファンは、必見。
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賃金の日本史

2023年10月22日 | Books


今日は、好天下ゴルフ。
後半、やや回復した。
グリーンが早くなって、強く打てずに緩みがち。



本書は、書評で見つけて、読んでみた。

果敢な取り組みだが、1500年通しで分析しようとすると、やはりかなり無理が出てくる。
そもそも賃金を受け取って仕事をしていた人の仕事の内容が全く異なり、それを比較しようとしても....
例えば、最初は、写経や、寺社の建設に賃金が支払われていたが、その後、職業の種類が急拡大。
もちろん農業従事者の比率が圧倒的に高く、これは、分析の対象外。
古代には、一旦貨幣経済が導入されたが、ワークせず、物々交換に逆戻り。
その後、渡来銭が流通したが、公的なものではなく、全国統一的に流通したものではなかった。

その他の職業には、猫の蚤取りとか、耳かきとか、怪しげな職種も加わってくる。
しいて言えば、大工の賃金が、比較的長期間比べられるものと言えるかもしれない。

100年単位位で、見れば、興味深い考察も可能だ。
意外と、賃金の上下が少ないが、これは、生活が安定していたというよりは、物価の上下に、賃金があまり連動しなかったというところが真相のようだ。
そのため、金貸しがいた訳だが、その金利は、とんでもなく高い。

海外では、もう少し違う分析法で、賃金の変遷を追う方法が開発されていたが(生活水準倍率報)、それにも限界がある。
日本の賃金の歴史は、渋沢栄一がトレースを初めてからの資料はかなり使えるようだが、これは西洋の手法を生かしたもの。

ということで、興味深い内容だが、賃金の変遷を追うというよりは、それぞれの時代の庶民の仕事と暮らしの様子が垣間見えたという感じ。
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