かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

悠久のエジプトその22 エドフのホルス神殿①

2024年03月26日 | Europe・Middle East・Africa


今日から、関西。
ちょうど桜の季節かと思ったら、まだ開花さえしてなくて、おまけに土砂降り。
残念。



翌日は、ルクソールから、ナイル川沿いに、ひたすら南下する。
今日もいい天気(エジプトは、ほとんど雨が降らないので、当たり前なのだが)。



途中ナイル川を渡る。
インド製のトゥクトゥクが走っていた。



鉄道とも並行しており、時々すれ違う。
乗った人によると、結構ちゃんと走っているようだ。



そして、この日最初に訪れたのが、エドフ神殿。
ナイル川クルーズの最初の寄港地でもある。
入り口の前に、スフィンクスがお出迎え。



塔門が見えて来た。
この神殿も巨大だ。



塔門の前にも、倒壊した神殿跡が広がっている。



塔門の前には、椅子が並んでいるが、たぶん夜にプロジェクションマッピングでもやるのだろう。
一番右側が、異民族を打ち据えるプトレマイオス12世。
その左が、王を見守るホルス神。
その左がハトホル女神。
門の両側にも、ホルス神像がある。
レリーフも左右対称になっている。
入り口の左右の縦の溝は、元々ここに旗を立てていたのだそうだ。



これがハヤブサの形をしたホルス神像。
ホルス神殿と呼ばれている。
プトレマイオス3世の時代に建造が始まったが、完成したのは、あのクレオパトラの父の、プトレマイオス12世の時代だった。



塔門の中には、細かいレリーフが。
ホルスの目のデザイン?



神にお祈りする王?



天井にも、極彩色のレリーフ。



聖なる船?
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悠久のエジプトその21 ルクソール スーク

2024年03月25日 | Europe・Middle East・Africa
今日も冷たい雨。
温暖化も困るけど、この時期、春が恋しいかな。



6人のツアーで、催行が最低4人だから、なかなかオプショナルツアーが成立しないが、本ツアーは、ぎりぎり成立。
馬車で、スークと呼ばれる庶民の市場を巡るツアーだ。
本ツアーは、観光スポットしか行かないので、街中を手軽に巡れるこのようなツアーは貴重。
2人乗りの馬車で出発。



Winter Palace Hotel。
カイロのメナ・ハウス、アスワンのカタラクト・ホテルと共に、エジプトの3大老舗ホテルらしい。
アガサ・クリスティが執筆のために宿泊したという。



ナイル川沿いに列柱が。
まさに、古代から続く街だ。



ナイル川と西岸が見える。
左上のひもみたいのは、馬車用のむち。



まだスークの中ではないが、普通に香辛料の店が並ぶ。



ルクソール駅。
ルクソールからアスワンへは、我々は、バスで移動したが、クルーズ船や鉄道も、有力な手段になる。



ここは、屋根付きのSCのようなもの。



カルナック神殿と、ルクソール神殿を結ぶ道路。
まだ、ライトアップは始まっていない。



いよいよスークへ。
ちょうど、日没時間と重なり、写真が撮りにくいが、細めの道を挟んで、庶民的な店がひしめき合っていた。



正直、高級そうには見えない。



エジプトの庶民の生活は、まだまだか。
ルクソールは、カイロより裕福と聞いたが。



スークを通り抜けた後、ナイル川を見下ろせる喫茶店で、一服。
ナイル川の手前には、カルナック神殿と、ルクソール神殿を結ぶ道が。
ナイル川の夕日も綺麗。



ハイビスカスジュースをいただいたが、美味しい。



ジュースが美味しかったので、香辛料のお店で、ハイビスカスの乾燥したもの(ジュース以外に用途はあるのか?)と、サフランをゲット。
相場がわからないのだが、一応値切って、ファイナルプライスで。
ハイビスカスジュースは、帰国後、楽しみながらいただいている。



綺麗に展示された、香辛料。



マーケットでゲットしたベル。
結局、購入したのは、香辛関連と、このベルだけだった。



これは、ホテルのビュフェのデザートコーナー。
料理は、そう豪華ではないが、デザートの充実振りは、目を見張る。
エジプト人は、甘い物好き。
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悠久のエジプトその20 ルクソール神殿②

2024年03月24日 | Europe・Middle East・Africa
今日は、天気もやや回復し、墓参りなど。



さらに奥に進むとアメンへテプ3世の中庭につながる。
パピルス柱の列柱。
一部天井も残る。
奥が、アレキサンダーの間。



レリーフには、一部色も残る。
アレキサンダー大王が捧げものをしている場面と思われる。



コプト教徒により、礼拝堂に改築された広間。



教会として使われた時代の壁画も残る。



これも、神に捧げものをしている場面か。
神の局部に注目。



牛の捧げものレリーフ。
まるまると太っている。



ホルス神が、王に命を与えている場面?



一通り見たところで、自由時間になった。
この神殿も、増築が繰り返されており、やたらに大きくて回り切れない。



陽も傾いて来た。
思えば、午前中は、メムノンの立像から始まったわけで、何と充実した1日だったろう。
その後もおまけ(オプショナルツアー)があったのだが。



一旦第一塔門へ戻る。
素晴らしい!



これは、ラメセス2世の広間の右側の門。
こちらにも、立像が。
一体は、修復中。



鳥が、雁行。
その他、多くの壁画写真があるのだが、割愛。
個別に興味のある方は、コメントを。
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後期ビートルズの多様性

2024年03月23日 | The Beatles


今日は、冷たい雨。
お墓参りに行く予定だったが、明日に延期して、身の回りのことに集中。
夜は、高山博さんのオンライン講座。
前期、中期ときて、今回は、後期。
この時期もまさに怒涛の時期なのだが、解散に向かってまっしぐらと思うと、ちょっと寂しい時期でもある。

当時の社会現象や、ビートルズの動向については、かなり知っていることが多いのだが、回りの音楽の流行の状況と、ビートルズとの楽曲との関係については、初めての話も多く、本講座のポイントだと思う。

この時期、アルバム4枚と映画2本を作っているが、契約をこなすために追われながら作った感が強い。
その中で、これだけの名作を立て続けに出したビートルズは、やはり奇跡。

その第一弾が、アップル社設立後初のシングルで、大ヒットとなったHey Jude。
ジョンの息子のジュリアンを慰めた歌だが、もっと普遍的な意味を持つようになり、チェコのビロード革命でもテーマになったことは、NHKの番組でも取り上げられた。

面白いのは、ビートルズの歌は、結論を出さないのが特徴というコメント。
Hey Judeも最後スキャットで終わり、結論を出さない。
それが、楽曲が普遍的な価値を持つ一つの手法になっている。



そのB面が、Revolution。
これも、時代を反映する名曲だが、ジョンは、B面となったことをひじょうに不満に思っていたはずという。
それまで、節目節目のシングルのA面はジョンの歌だった。
しかもRevolutionの場合、シングルにするためにテンポを早めたり、後半をカットしたりしたのに、Hey Jude は、その逆を行ったにもかかわらず、A面となり、ジョンの苦労はなんだったのか?
そんなこんなで、ジョンの関心は、ビートルス以外のことに向き始める。



ちなみに、アップル社の最初のシングルは、ジャッキー・ロマックス、学生ブラスバンドによるイエローサブマリン、メアリー・ホプキンの悲しき天使だった。



そこにインドが現れる。
サイケデリックの次はインド!



そして、ヨーコ。
ヨーコの個展で、この”YES”でジョンは、参ってしまった。
ジョンはその後、アートシーンに近づこうとするが、ポールはずっと先を行っていた。

その結果の一つが、ホワイトアルバムの真っ白のジャケットだった。
そこには、ナンバリングがされたが、ポップアートは、大量生産されることが特徴だが、このナンバリングには、同じものは2つないという意味があった。
ちなみに、その桁数は、その後もアルバムは売れ続けたため、ナンバリングを続けていたら桁数が足りなくなっていた。



その1曲目が、Back In The USSR。
インドでも一緒だった(マイク・ラブ)ビーチボーイズのサーフィンUSAをもじった歌だが、こちらの方が、ハードロック色が強い。
ビートルズは、当時、回りの音楽との差別化を図るため、ヘビー化する傾向にあったと高山さんは言う。



ちなみにサーフィンUSAは、チャックベリーのSweet Littele 16とメロディが全く一緒。
ビーチボーイズは訴えられている。



チャックベリーの歌も流されたが、確かに全く一緒。
当時は、パクリの基準があいまいで、特にロックはメロディがシンプルなため、似た楽曲が多数存在した。



ビートルズはポップ過ぎるという批判を気にして、どんどんヘビーなものになっていった。
その時、最もハードと言われたThe Whoだが、ポールは、ヘルター・スケルターで、The Whoを上回る騒々しさを求めた。
クリームのブルースをベースにしたロックにも影響を受け、While My Guitar Gently Weepsなどの名曲も生まれた。



一方で、Black Birdのような楽曲も生まれた。
この辺は、方向感が定まらず、コントロールが失われた様子を反映している。
ジョージ・マーティンも、ビートルズをコントロールできなくなっていた。
ジョージ・マーティンは、ホワイト・アルバムを1枚のアルバムにしたら大名盤になったろうと後に語っている。



ちなみに、ポールはこのギタリストの影響を受けた曲だと言っているが、全然似ていない。



当時、人気急上昇中のS&Gを意識していたこともあったろう。

アップル社の経営もおかしくなっていく。

GET BACKセッションは、そんな中でスタートした。
大作ホワイトアルバム発表後まもなく、在庫もすっからかんになったところで、かなり無理があったが、映画製作の契約履行、アルバム制作の契約履行、久しぶりのライブという1石3鳥のプロジェクトということで、スタートした。

その前後、周辺に加わったメンバーには、今度来日するジェイムス・テイラー、バッド・フィンガーなどまともなミュージシャンもいたが、マジック・アレックスという虚言癖のある変人や、アレンクラインのような金の亡者もいた。
一方、ポールの新しい恋人になったリンダの父のイーストマンは、アレン・クラインと対立し、解散の一因となっていく。
ヨーコも含めて、NYとの関わりの強い人物が、ビートルズの回りに集まって来て、引っ掻き回された感が強い。
ロネッツなどを育てたフィル・スぺクターもその一人。
リバーブ(残響)効果を強調したサウンドで、一世を風靡した。
音の壁とも評される。

そのフィル・スぺクターの仕事振りをジョンが気に入り、Let It Beの編集を任せてしまったのが、解散の決定的な引き金になった。
ポールがR&B的な曲を志向していたThe Long and Winding Roadに、荘厳なオーケストレーションを加え、かつ最後のコードまで変えてしまった。
ポールは、マイナーコードだったのに、フィルは、メジャーコードに変えてしまった。
かつポールのソロアルバムの発売日が被ってしまった。

ジョンは、フィルの仕事の質と速さにほれ込み、その後しばらくフィルにべったりになる。

GET BACK(初心に戻れ)のプロジェクトが、 LET IT BE(なるようになれ)のプロジェクトになってしまったとの評だが、言い得て妙。



For you Blueは、フリートウッド・マックのブルースの影響を受けている。
時代に取り残されないように、回りの流行に敏感だった。



Somethingは、誰しもが認める名曲だが、それまで、ジョンやポールしかサポートしてこなかったジョージ・マーチンが、ジョージにも目を向けた結果と高山さんは言う。



Oh Darlingは、ポールの名曲だが、スワンプ・ロックの影響を受けたものという。
確かに全体の雰囲気がそっくりだ。

Come Togetherは、よく言われるように、チャックベリーのYou Can’t Catch Meにそっくりで、Get Backの映画の中でも、ポールが指摘している。
そこで、テンポをスローにして、印象的なベースとドラムを入れたが、やはり訴えられて、ジョンは、チャックベリーに印税が落ちるように彼の曲をカバーした。
その中で、You Can’t Catch Meを入れたのは、ジョンの皮肉だろうという。

アビーロードのB面は、有名なメドレーだが、まさに在庫一掃セール。
ただ、アレン・クラインのことを歌ったYou Never Give Me Your Moneyは、最初と最後を締めており、その後大団円となるThe Endにつながる。
Carry That Weightは、自分達に向けた曲のようにも、聞こえる。
ただ、そこはビートルズで、Her Majestyというパロディ曲を最後に入れ、茶化してしまう。
偶然の消し忘れを面白がって残したのだが。
あくまでも権威になることを拒んだラストだった。



最後は、ビートルズ最後の新曲であるNow And Then。
ジョンがビートルズの曲として発表されると予想していたとは思えないが。
元のジョンのテープを始めて聞いたが、AメロとBメロは使い、混乱している中間部は、全てカットしている。
高山氏は、ポールだったら、ここも使えてたはずだが、新たな歌(声)を加えることを制限されていたのではないかと想像している。
それもありうるかもしれない。

ということで、とても書ききれないが、大充実の1時間半だった。
次は、坂本龍一シリーズを計画中とのこと。
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悠久のエジプトその19 ルクソール神殿①

2024年03月22日 | Europe・Middle East・Africa
今日は、いい天気だが、まだ寒い。
光回線を入れ替えることになり、工事の下見の人が来る予定。
何回目の入れ替え?



ルクソール神殿は、カルナク神殿から南に2kmほどのところにあり、カルナク神殿の付属神殿とされる。



カルナク神殿に向かう道には、スフィンクスが並び、夜は、点灯されている。
オペト祭では、船の形をした神輿がここを進んだ。



これまた圧巻の第一塔門。
オベリスクが1本しかないが、もう1本は、あのコンコルド広場にある。
像は、いずれもラメセス2世の像。



本神殿建設に携わった王達。
ツタンカーメンの名もある。



カルナク神殿へつながる道には、神輿(聖船)が展示されていた。



中に入ると、列柱群。
パピルス柱で、アメンヘテプ3世によるものという。



天井は、失われているが、当時の規模を思うと……



上にアル・ハッジャージモスクがあるが、このモスクが作られた頃は、その下にこの巨大な神殿が埋まっているとはわからなかったという。



ラメセス2世の中庭にある供物台。



ここにもラメセス2世の像が並ぶ。



ラメセス2世像とアメン神とムト女神。



二重冠を被る王の像。



王の足元には、王妃ネフェルトイリの像が。



ツタンカーメン王と王妃アンケセナーメンの像。
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