儒教・仏教・道教 東アジアの思想空間 著:菊地 章太
東アジア、とりわけ中国における宗教観を
ざっくりと語った本でありました
学術書というほどではなく、かなり砕けた調子で書かれていて
笑いながらは言い過ぎなれども、目を細めて読むことができました
著者の名前は、先だって読んだ道教の本の一冊で見かけたと思い、
てっきり道教の達者だろうと思っていたら、
本分はフランスの宗教だか、哲学だかにあるんだそうで
そういう立場から、むしろ離れてそれらを語るということに
意義と意味を見出した一冊でありました
道教を調べていて、どの本にも出てきた
あれこれごたまぜになっているという話が
より解りやすくというか、著者の研究と思考をもとに展開していて
なかなか楽しいのでありました
まずは西洋における宗教の成り立ちがあって、そこから続いての
実際に混淆されていく、儒教、仏教、道教それぞれを描く、
お互いが、影響しあいということが
時代、人物、制度によって行われていったというあたりは
以前に勉強したとおりながら、
今回は特に、仏教、日本における仏教の諸行事を紹介していて
白眉なのは、盂蘭盆会の話で、
そもそものインドで発祥した仏教には、先祖を祭るという概念がないというところ
ここに疑問というか、混淆の痕跡を発見したというところでありました
確かに、よくよく考えてみると
輪廻転生という概念があるんだから、先祖というものを否定ではないけども、
祀ることでつながるということは、理屈にあわないわけで
お盆といえば仏教というのも、どこかおかしいというお話であります
もっとも、このあたりは、中国で、もともとあった儒教的概念と
ごたまぜになったものが、あれこれとカスタマイズされて
日本に導入されたのではないかというのがなるほどな解説で、
地獄という概念の話も、道教的要素が強まっていたりすることと
あわせて納得の内容でありました
そうだよな、お盆てなんだろうな本当にもう
儒教のカウンターとしての道教というのは、
また異なる見解ではあるものの、
孔子に対する老子というものが、そういういきさつなので
こういう諸々の事情によって、お互いが影響しあうというのが
非常に面白い、興味深いと感じられるところでありました
なかなか勉強になったなと満足なのでありますけども、
道教あるいは、老子というものが
現在、まさに今誰に、どのように理解されているのか
実践されているものも含めてまたまた
興味がわいてしまうのでありました
唐代道教の凄い分厚い本を発見したんだが
流石にあれを読むのはなぁと、及び腰なのであるが
ともかく勉強が楽しいと思える昨今である
東アジア、とりわけ中国における宗教観を
ざっくりと語った本でありました
学術書というほどではなく、かなり砕けた調子で書かれていて
笑いながらは言い過ぎなれども、目を細めて読むことができました
著者の名前は、先だって読んだ道教の本の一冊で見かけたと思い、
てっきり道教の達者だろうと思っていたら、
本分はフランスの宗教だか、哲学だかにあるんだそうで
そういう立場から、むしろ離れてそれらを語るということに
意義と意味を見出した一冊でありました
道教を調べていて、どの本にも出てきた
あれこれごたまぜになっているという話が
より解りやすくというか、著者の研究と思考をもとに展開していて
なかなか楽しいのでありました
まずは西洋における宗教の成り立ちがあって、そこから続いての
実際に混淆されていく、儒教、仏教、道教それぞれを描く、
お互いが、影響しあいということが
時代、人物、制度によって行われていったというあたりは
以前に勉強したとおりながら、
今回は特に、仏教、日本における仏教の諸行事を紹介していて
白眉なのは、盂蘭盆会の話で、
そもそものインドで発祥した仏教には、先祖を祭るという概念がないというところ
ここに疑問というか、混淆の痕跡を発見したというところでありました
確かに、よくよく考えてみると
輪廻転生という概念があるんだから、先祖というものを否定ではないけども、
祀ることでつながるということは、理屈にあわないわけで
お盆といえば仏教というのも、どこかおかしいというお話であります
もっとも、このあたりは、中国で、もともとあった儒教的概念と
ごたまぜになったものが、あれこれとカスタマイズされて
日本に導入されたのではないかというのがなるほどな解説で、
地獄という概念の話も、道教的要素が強まっていたりすることと
あわせて納得の内容でありました
そうだよな、お盆てなんだろうな本当にもう
儒教のカウンターとしての道教というのは、
また異なる見解ではあるものの、
孔子に対する老子というものが、そういういきさつなので
こういう諸々の事情によって、お互いが影響しあうというのが
非常に面白い、興味深いと感じられるところでありました
なかなか勉強になったなと満足なのでありますけども、
道教あるいは、老子というものが
現在、まさに今誰に、どのように理解されているのか
実践されているものも含めてまたまた
興味がわいてしまうのでありました
唐代道教の凄い分厚い本を発見したんだが
流石にあれを読むのはなぁと、及び腰なのであるが
ともかく勉強が楽しいと思える昨今である