茶聖 作:伊東潤
千利休を主役にした生涯を追った小説でありました
いわゆる、織豊時代の動静を追ったもので、
その裏に利休がいたという筋書きのもと、
様々な政治的な駆け引きを茶の湯とともに進めるといった感じ、
色々な物語で読んだそれこれに、
またひとつ新しい見方が増えたと思える内容でありました
信長の時代から、利休が重宝されていたというのが新しいところで、
そのあたりから、堺の町衆が、その繁栄を望むため、
武家を傀儡にしようと画策してきたという筋書きのもと
利休をはじめ、商人たちが暗躍していくという様が面白い
やがて、大きな志として、世の中の静謐というものが現されて、
そのために利休は己の人生をかけていくという話だったんだが、
まぁ、そういう言葉はあまり意味がなく、
生涯をかける何かがある、
それをまっとうした男の話という感じで、
武家よりも武家らしいとすらいえるような、男らしさあふれる感じが
ステキな内容なのでありました
このジャンルというか、この時代は
様々な小説や漫画、ドラマなんかで見てきてしまったので、
正直、まっさらな感じで見られないのが残念なところ
特に、茶の湯というジャンルにおいては、
個人的に漫画の影響が強すぎるので、
もっと感触よく読めそうなところが、どうも、過去のそういった作品にひっぱられて、
違う感覚を覚えてしまったりとか、
知っているということは、必ずしも物語を楽しむうえでよいものじゃないなと
改めて思い知ったりするのでありました
ひらたくいうと、出てくる織部正が、清清しすぎる
いいんだけどもさ
代わりでもないが、不肖の長男紹安がユニークなキャラながら
興味深い立ち回りでよかったのでありました
彼と山上宗二の扱いがよかったというか、二人そっくりだったな
利休の別の一面を体現したキャラだったように思う
全般に、察しのいい人たちの会話というか、
その考え方の披瀝が多いので、読んでいて正直疲れてしまうところもあった
そこまで、あれこれ考えて会話をしないとならんかと、
まぁ、大人としては当たり前なのではというところが
ありあり描かれていると、物語なのに、なんか反省を強いられるようで
辛かったのは、自身不徳のいたすところながらも、
素直に楽しめなかったのでありました
何かを言うということは、意味があり、
それは言葉通りということではないと
考えていかないといけないと、
わかるようで、わかりたくない、わからないものだと
改めて思い知りつつ
そういうものから離れた、ただただ、作意を楽しむという茶の湯に
ひかれるという気持ちも芽生えるようでありました
正しく使えば、そういう洞察、言葉を使わない会話というのが
楽しいと思える
それもまた、茶の湯のよいところなのかなと勝手に思ったりする
千利休を主役にした生涯を追った小説でありました
いわゆる、織豊時代の動静を追ったもので、
その裏に利休がいたという筋書きのもと、
様々な政治的な駆け引きを茶の湯とともに進めるといった感じ、
色々な物語で読んだそれこれに、
またひとつ新しい見方が増えたと思える内容でありました
信長の時代から、利休が重宝されていたというのが新しいところで、
そのあたりから、堺の町衆が、その繁栄を望むため、
武家を傀儡にしようと画策してきたという筋書きのもと
利休をはじめ、商人たちが暗躍していくという様が面白い
やがて、大きな志として、世の中の静謐というものが現されて、
そのために利休は己の人生をかけていくという話だったんだが、
まぁ、そういう言葉はあまり意味がなく、
生涯をかける何かがある、
それをまっとうした男の話という感じで、
武家よりも武家らしいとすらいえるような、男らしさあふれる感じが
ステキな内容なのでありました
このジャンルというか、この時代は
様々な小説や漫画、ドラマなんかで見てきてしまったので、
正直、まっさらな感じで見られないのが残念なところ
特に、茶の湯というジャンルにおいては、
個人的に漫画の影響が強すぎるので、
もっと感触よく読めそうなところが、どうも、過去のそういった作品にひっぱられて、
違う感覚を覚えてしまったりとか、
知っているということは、必ずしも物語を楽しむうえでよいものじゃないなと
改めて思い知ったりするのでありました
ひらたくいうと、出てくる織部正が、清清しすぎる
いいんだけどもさ
代わりでもないが、不肖の長男紹安がユニークなキャラながら
興味深い立ち回りでよかったのでありました
彼と山上宗二の扱いがよかったというか、二人そっくりだったな
利休の別の一面を体現したキャラだったように思う
全般に、察しのいい人たちの会話というか、
その考え方の披瀝が多いので、読んでいて正直疲れてしまうところもあった
そこまで、あれこれ考えて会話をしないとならんかと、
まぁ、大人としては当たり前なのではというところが
ありあり描かれていると、物語なのに、なんか反省を強いられるようで
辛かったのは、自身不徳のいたすところながらも、
素直に楽しめなかったのでありました
何かを言うということは、意味があり、
それは言葉通りということではないと
考えていかないといけないと、
わかるようで、わかりたくない、わからないものだと
改めて思い知りつつ
そういうものから離れた、ただただ、作意を楽しむという茶の湯に
ひかれるという気持ちも芽生えるようでありました
正しく使えば、そういう洞察、言葉を使わない会話というのが
楽しいと思える
それもまた、茶の湯のよいところなのかなと勝手に思ったりする