入院中に読んだ本です。流石に、あの本棚のあの辺の隙間に入ってる読みかけの本を持ってきてとは夫には言い辛く、売店で買いました。病院の売店のわずか10冊にも満たない売り場から選び出した割には、この本と巡り会えて、なかなかラッキーだったのではないかと思います。
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絵は高妍。
短い内容の大きな文字、そして可愛らしい絵。最初、絵本かと思ってしまいました。もちろん違いましたが、意外とこの挿絵は大事だったと思います。
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本の帯には「父の記憶、父の体験、そこからうけつがれていくもの。」
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タイトルにインパクトがあるが、それは村上氏がその父と猫を棄てに行った時の短いエピソードから、この物語が始まっているから・・・。
そのエピソードも今の時代の常識で想像するような恐ろしいものではないので安心する。
父と春樹氏の日常の共通体験から、彼は父の過去と過去の内面に深く切り込んでいく。
正直言って、私には春樹氏の父上が僧侶の父を持ち、自分自身も僧侶の資格を持ち、僧侶の為の大学に行き、その後京都帝国大学の文学部の大学院に行き、その学生のうちに結婚して、その為に学生を止め、教師になったなんて事は、さほど興味も感じる事はなかった。そして三度も招集されて何師団に入った事も、その数字などはさっぱり頭に入って来なかった。
ただ私でも南京攻略戦の事は、その名前だけであっても知っている。
彼の父が1年ずれて招集されて、それに参戦してなかった事を知って、氏がホッとするような気持ちになった事は、すこぶる理解できることだと思った。
南京攻略・・・・語られる話は南京大虐殺・・・・。
この真意については、氏は多くは語らない。
少々感想から離れるが、私は小学校に上がったかその頃に、その南京大虐殺の話を母から聞いて、あった事とずっとずっと認識してきた。
そんなハードな話を幼子に母したのかと言うと、そうではなく、母は真夏の怪談として、南京の人の幽霊の話を語ったのだった。
残念ながら、どんな話だったのかまったく覚えていない。だけれど母はそんな話の終わりにも必ず言っていた。戦争は恐ろしく、そして悲しいと。
大人になって、この出来事を否定する人たちがいる事を知って、寧ろ驚いたが、過去をずっと忘れずに(それ自体は否定しないが)、新たな火種にさえしようとする人々がいる事を思うと、私ですら「白髪三千丈」の人々の数字は信用できないと思えてしまう。
ただ、戦争と言うものはお花畑の中のジャンケンと言うわけにはいかない。
親が、それに関わっていなかったと聞けば「ひとつ重しが取れたような感覚」にもなるだろう。
春樹氏の父は三度招集されるが、「命拾いし」90歳まで生きた。
私は先にも書いた通り、さほど彼の人生に興味もわかなかったわけだが、そうやって生き延びた先に多くの信望者を持ち、ノーベル文学賞の候補として熱望される村上春樹氏が生まれ、そしてその文学が誕生して来たわけで、やはりこれは村上文学のルーツと言っていいのだと思った。
それにこの本を読むと、おこがましくも私が数年前から思っていて、少しずつ進ませていた両親の人生を辿るというテーマを思い出してしまった。姉妹の病と母の認知症発症に伴って、私的には意味を失って頓挫中であったそのテーマを、また再開したくなってしまった。
また最後に語られたもう一つの猫のエピソードは、ドライで残酷だった。
でもそこに父の過去から学んだ未来へのメッセージが隠されていると思った。
上るのは容易くても降りてくるのは至難の業。
はじめる事は容易くても、終わらせることは難しい。
踏ん張らなくてはいけない今があると思う。
短い内容で1日で読める。
ただなんとなく、後からジワジワと何かが迫って来るし、また彼の父親の人生など興味もないと散々書いてきたのに、この短い物語の長い映像化されたものが見たいと思ってしまったのだった。結構見ごたえがある映像が出来上がりそうだ。
矛盾しているようだけれど、まあ、映画好きなんてそんなものさ。