森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

村上春樹「猫を棄てる」

2023-02-05 01:56:51 | ユーモレスクを聴きながら(book)

入院中に読んだ本です。流石に、あの本棚のあの辺の隙間に入ってる読みかけの本を持ってきてとは夫には言い辛く、売店で買いました。病院の売店のわずか10冊にも満たない売り場から選び出した割には、この本と巡り会えて、なかなかラッキーだったのではないかと思います。

※      ※

絵は高妍。

短い内容の大きな文字、そして可愛らしい絵。最初、絵本かと思ってしまいました。もちろん違いましたが、意外とこの挿絵は大事だったと思います。

※      ※

本の帯には「父の記憶、父の体験、そこからうけつがれていくもの。」

※      ※

タイトルにインパクトがあるが、それは村上氏がその父と猫を棄てに行った時の短いエピソードから、この物語が始まっているから・・・。

そのエピソードも今の時代の常識で想像するような恐ろしいものではないので安心する。

 

父と春樹氏の日常の共通体験から、彼は父の過去と過去の内面に深く切り込んでいく。

正直言って、私には春樹氏の父上が僧侶の父を持ち、自分自身も僧侶の資格を持ち、僧侶の為の大学に行き、その後京都帝国大学の文学部の大学院に行き、その学生のうちに結婚して、その為に学生を止め、教師になったなんて事は、さほど興味も感じる事はなかった。そして三度も招集されて何師団に入った事も、その数字などはさっぱり頭に入って来なかった。

ただ私でも南京攻略戦の事は、その名前だけであっても知っている。

彼の父が1年ずれて招集されて、それに参戦してなかった事を知って、氏がホッとするような気持ちになった事は、すこぶる理解できることだと思った。

南京攻略・・・・語られる話は南京大虐殺・・・・。

この真意については、氏は多くは語らない。

少々感想から離れるが、私は小学校に上がったかその頃に、その南京大虐殺の話を母から聞いて、あった事とずっとずっと認識してきた。

そんなハードな話を幼子に母したのかと言うと、そうではなく、母は真夏の怪談として、南京の人の幽霊の話を語ったのだった。

残念ながら、どんな話だったのかまったく覚えていない。だけれど母はそんな話の終わりにも必ず言っていた。戦争は恐ろしく、そして悲しいと。

 

大人になって、この出来事を否定する人たちがいる事を知って、寧ろ驚いたが、過去をずっと忘れずに(それ自体は否定しないが)、新たな火種にさえしようとする人々がいる事を思うと、私ですら「白髪三千丈」の人々の数字は信用できないと思えてしまう。

ただ、戦争と言うものはお花畑の中のジャンケンと言うわけにはいかない。

親が、それに関わっていなかったと聞けば「ひとつ重しが取れたような感覚」にもなるだろう。

春樹氏の父は三度招集されるが、「命拾いし」90歳まで生きた。

 

私は先にも書いた通り、さほど彼の人生に興味もわかなかったわけだが、そうやって生き延びた先に多くの信望者を持ち、ノーベル文学賞の候補として熱望される村上春樹氏が生まれ、そしてその文学が誕生して来たわけで、やはりこれは村上文学のルーツと言っていいのだと思った。

それにこの本を読むと、おこがましくも私が数年前から思っていて、少しずつ進ませていた両親の人生を辿るというテーマを思い出してしまった。姉妹の病と母の認知症発症に伴って、私的には意味を失って頓挫中であったそのテーマを、また再開したくなってしまった。

 

また最後に語られたもう一つの猫のエピソードは、ドライで残酷だった。

でもそこに父の過去から学んだ未来へのメッセージが隠されていると思った。

 

上るのは容易くても降りてくるのは至難の業。

はじめる事は容易くても、終わらせることは難しい。

踏ん張らなくてはいけない今があると思う。

 

短い内容で1日で読める。

ただなんとなく、後からジワジワと何かが迫って来るし、また彼の父親の人生など興味もないと散々書いてきたのに、この短い物語の長い映像化されたものが見たいと思ってしまったのだった。結構見ごたえがある映像が出来上がりそうだ。

 

矛盾しているようだけれど、まあ、映画好きなんてそんなものさ。

 

 

 


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たまには本屋に行こう ♪ 

2023-01-18 02:44:01 | ユーモレスクを聴きながら(book)

図書館で借りていた本の返却日が来てしまった月曜日。

いや、正直に告白すれば、うっかりと返却日が過ぎてしまった月曜日と書くべきでしょう。

諦めて返しに行きました。

と言っても、図書館はお休みなので返却ポストに。

最近、ヤルキナシと言う妖怪に憑りつかれていたのと、雑用多しという事で、ちっとも読み進んでいなかったのです。返した本は、すぐにリクエストを入れれば2週間後には借りられるような気がしましたが、1月2月は同じような生活・・・・いや「ヤルキナシ様」にはご退場なさっていただきましょう。

でもやはり雑用多しの部分は変わらないので、再び借りる事が出来ても同じような事が起こりそう。

だけど本の続きは読みたいので、「借りる」を諦めて買うことにしました。

 

最近本は密林サイトのお世話になる事が多いです。欲しい本がピンポイントで見つかり購買が楽だからです。

だけど久しぶりに訪れた本屋は、なんとなく宝が詰まったようにキラキラしていました。

ネットで本を買う時は、タイトルや作家さんで買う事も多いけれど、後はこのような内容の物と言って検索して買う事がも多いと思います。

ところが本屋さんでは、様々な本が並んでいて、もうそれだけで情報が入って来てるようなものなんですね。

ふと、図書館でも少々同じような感覚になる事があるなと思いました。

最近は読みたい本を予約して取りに行くことが多かったので、スタイルとしてはネットで買っているような感じと同じだったのですね。

 

並んでいるものを見て、新しい情報をじかに見て手に取るという事は、時には大切な事だと思いました。

じゃあ、図書館と本屋さんの違いは何かと言ったら、ああ、お金の問題は棚の上にあげてですが、やはり最新の情報を得る事が出来る事と、本の美しさではないかしら。

 

そしてついついネットでは絶対に買わない、このような本を買ってしまいました。

 

 

ああ、買っただけで、痩せた未来を妄想してしまいそうです。

 

下のアガサの本が、今回のお目当ての本です。

まったく草臥れてないその本を手に取って、ちょっと嬉しくなってしまいました。

だけどひっくり返して、本の値段を見た時に、しみじみと図書館はありがたいなぁと思いました。

最初に図書館を作ってくれた昔の人に本当に感謝します。

 

 

ついでなので、もう1冊買いました。

なんだか凄く面白そうです。

でもこれ、かなりの長編です。

 

 

本の感想は、時々抜けてしまますが、一応書くようにしています。

これらの本の感想を書ける日は、まあ年内にはと言う所かもしれません(^_^;)

まだ半月も過ぎてしまいましたが、それでも1月じゃないですか。年内などと言って、今年を早くも終わらせてはいけませんね。

 

まったく関係のない事ですが、先程夜の歯磨き中に差し歯が1本外れてしまいました。

ああ、まったく憂鬱な事が1個もないと言う日は、一年に何日あるのでしょうか。

 

ついでながらまったく関係のない話、その2.

萩尾望都氏の漫画が載ってないというのに、うっかり「月刊フラワーズ」の最新号を買ってしまった夢を見ました。

「あっ、しまった !」と夢の中で言っていましたが・・。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。←寝落ち

そして「が」の次に何を書こうとしたのか、忘れてしまいました。

 

とりあえず、そんな他愛のない夢を見て「あっ、しまった。」などと言っている私は平和です。

 

あっ、いや、「が」の次に書こうとしたことを思い出しました。「丁寧に他の作品を読めばいいんだ。」と私は夢の中で思い言っていました。

丁寧に生きる。新しいことにもチャレンジしよう。その短い夢で、私は私に語ったのかも知れないと、私はそう思ったのです。

と言うわけで、今日も朝日が昇ったら、また素敵な一日が始まりますように。

 


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認知症世界の歩き方

2022-12-11 02:11:17 | ユーモレスクを聴きながら(book)

9月のある日、姉からの勧めもあって「ようこそ認知症の世界へ 拡大版」と言う番組を見ました。

番組内に実際に認知症と診断されている方々のインタビューがあって、とっても分かりやすかったです。

ただその方たちは、皆中年と言う感じで若く、それぞれに工夫や努力によって、仕事をしていたり普通の(たぶん実際は普通ではないかも知れません。)生活をしているようにも感じました。という事はアルツハイマー型認知症なのかも知れません。

姉が、「お母さんのとは違い過ぎるので、参考になったかどうか・・・」と言いましたが、私にはかなり勉強になったように思えました。

 

時々メモを取ってテレビを見ています。

そのメモには

『顔認知 目を見る。顔を見て特定の人物と結び付けられない。

顔が分かるって簡単そうで複雑』

『現在地の場所 プラン ルート維持

目的地に行くって大変な事だったんだ。』

『頭の中の地図が消える』

『↑』とありました。

何じゃ、そのメモとなるかと思いますが、メモは、現在進行形で老いていく脳に不可欠になってきました。

時間があれば、そのメモを見ながら、また長々と書くところではありますが、昨日から少々更新が多いのは、年内に2022年の出来事は書き終わっていたいと思っているからで、ここは短く「見たよ」「読んだよ」止まりにしたいかなと思っているのです。

 

私がその番組を見て、かなり勉強になったと感じたのは、もちろん自分も含めてですが、私たちの同年代、もしくはちょっと上の方々、皆相当の予備軍に感じたからです。

「認知症」は特別な人に起きる悲劇の病気ではなく、生きる道の延長線上にある、誰にでも起こり得る悲劇。

やっぱり、今の私はついつい「悲劇」と書いてしまう・・・・

だけど、私の母は悲劇の人なのか・・・?

 

またそのメモにこの本の事が書いてあったので、読んでみました。

認知症入門編と言う感じがしましたが、読みやすく分かりやすかったです。

こんな風にテレビを見たり本を読んだりしたのは、母の為でしたが、彼女は入門編の先に行ってしまった感じがします。

もっと何かを読むべきかと思いつつ、たぶん私は読まないと思います。

実戦で学ぶという事も大事ですから。

ただ、ツイッターの介護施設の職員さんの体験談ツイートや、ラインで来る雑誌の紹介などで読んだ漫画など、「ああ、なるほどなぁ。」と思う事が多く即実践の参考になります。

やはり自分の未知なる事に行き当たったら、入門編ぐらいの知識は必要だと思ったので、この本は読んで良かったと思いました。

 

 

・・・


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舞台脚本「ハリーポッターと呪いの子」

2022-09-21 00:17:06 | ユーモレスクを聴きながら(book)

・「たまには指を折って文字を数えてみた その2」と言う記事の中に、

>『(図書館に行く日を)日にちをずらして大正解でした。「今日返ってきた本」と言うコーナーの中に、買おうかと思っていた本が置いてありました。

「マジですか!?」と言う気持ちになって、それも借りてくる事が出来たのですから。』

と書き込みました。

本当は前日に出掛ける予定でした。だけどいつもグズグズしているものですから、予定がずれるのです。だけど予定通りではなくてラッキーな事が起きたと言う例のひとつです。

で、借りたのがこの本です。

 

 

これ、本当にラッキーだったなと思ったのは、もう一回読みたいなと思って、違う図書館に予約を入れたら、なんと6人待ち。次にもう一回と思ったら、3か月待ちって事ですね。私の借りた本は、まったく予約が入っていなかったので、マックスの6週間借りて返却しました。(かなりの期間積読)。読もうと思ったら2日で読めると思います。

お芝居の感想は→「ハリーポッターと呪いの子」を観てきました

でも、その記事内でも、お芝居自体の内容の感想はあまり書いていないのです。なぜならこのお芝居は来年5月までのロングラン公演だからです。些細な事でもネタバレ厳禁かなと思いまして。

 

感想ですが、セリフに魂が入っていた舞台の方が圧倒的に面白いし、良かったです。

それでもちょっとした所の分かりやすさとかで内容補完、また舞台での感動が蘇えってきました。

先に舞台を見ていたので、逆に冒頭の方から、ハリーの息子の気持ちマルフォイの息子の気持ちに、涙が出そうになりました。

舞台の感想の中で雑に

>『私、ところどころで目が潤みました。

その「愛」に。

そしてあるシーンでは胸が締め付けられ、こらえきれずに泣きました。』

 

もう少し丁寧に書くと、その「愛」と言うのは、二人の息子たちの友情にです。ハリーとマルフォイの子供たちの友情ですよ。もうそこから胸が熱くなりますよね。

親がハリーポッターであれば、もう子供はそのブランドを背負っているようなもの。

けっこう大変なのですよね。

マルフォイの息子には、また違う大きな悩みがありました。そして更に乗り越えなければならない家族の悲劇もありました。

寄り添い心をつなげていく二人。

ふたりの子供たちはそれぞれに魅力的です。

この舞台は、この二人が主人公なんですよね。

 

そして涙した「愛」は親子の愛にです。

先日竜也さんの「プロフェッショナル」で、けっこう大事なシーンが流れ、かなりのサービスだなと思いました。

親を幼子のうちに失ってしまったハリーには、基準になる見本が居ません。

手探りでの子育て。子供との関わり合いで悩んでいたハリー。

いろいろとジワジワときます。

 

ちょっと蛇足な事を書きます。

Amazonのレビューを読みましたら、この本が脚本だったことに戸惑ったと言うものが多数ありました。

そう、この本は脚本なのです。

よく映画などでも「原作を超えた。」と言う褒め言葉がありますが、そう「原作」が支持をされ、そして映画化になるわけですから、作り手が最初にしなければならない勝負は「原作」なのですよね。

ただシナリオは、そうは言われないはずです。舞台が勝って当然。寧ろ勝たなければ、その舞台は失敗もいい所です。シナリオは、物語と言うその骨格。そこに役者さんたちの演技、演出の感性、舞台の美術、照明、衣装、音楽が加わって素晴らしい舞台が完成されるのですね。

学生の頃、「サロメ」を読みました。有名な本ではありますが、脚本です。

「その首をおくれ。その唇に接吻するよ。」と何度も言うサロメ。最後に彼女によこしまな愛を感じていた義理の父の王も、彼女の異常な愛に彼女を殺せと命じるのですが・・・・。

なんだかさっぱり分からない・・・・・とずっと思っていました。

ある日、多部未華子さんの「サロメ」を見て、メチャクチャ分かったような気持ちになり、感動したことがあるのです(^_^;)

 

もしこの本を読んで、「なんかな~」と思われた方は、是非劇場に足を運んでいただきたいかなと思います。

 

あっ、それから、細かい事だから良いかなと思って最初は書かなかったのですが、たぶん私が読んだのは「リハーサル版」と言うもので舞台のとは少々違います。

「リハーサル版」をそのままやったら、また予算が(役者さんの出演料とか、新しい舞台装置とか)跳ね上がりそうです。(笑)

 

実は買って安心B型なので、(いや、血液型は関係がないらしいですね。)

いろいろと読みたいものがたくさんあるのに放置しています。

下の本はそれの最たるもの。申し込んで家に来た段階で、満足度が80%以上満たされてしまいました。

 

このように家にあるものも、丁寧に読んでいきたいと思っている今日この頃です。

ついでにこの本をいつ読んだのかの私的メモ。

「青春18きっぷ」の旅のお供に連れて行きました。

電車の中では、あまり寝る事も出来ず、ラインのお返事・ツイッターのツイートを読んだりしていましたが、本を読み始めたら、一気に眠くなりました(つまらないからではありません。)

夜寝る前の読書に安眠効果があると言うのは、本当のような気がしました。と、言うわけで、旅行中には読み切れず、9月に入ってから読み切りました。


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「平家物語 犬王の巻」

2022-08-20 13:39:29 | ユーモレスクを聴きながら(book)

8月10日読了。

アニメ映画「犬王」を見て、原作も読もうと思いました。

能楽師犬王と、盲目の琵琶法師友魚の物語を、作者が軽妙な語りで綴ります。

父の芸に対する野望より、魔物たちによって体がメチャクチャな配置で醜さの塊で生まれた犬王。舞う事で体にまとわりついた怨霊たちを鎮め、美しき肉体を取り戻していくのです。また三種の神器の剣を海底から引き揚げることによって、その呪いで失明してしまった琵琶法師の生き様と友情の物語。(このあらすじの部分、追記しました。)

原作も、思った通りの面白さでした。

 

ただこれを、私は映画を見る前に読んでみたかったなと、時は戻せるわけもないので意味のない事なのに思ってしまったのでした。

ただ文が綴る世界のみで一度は味わいたかったなと思ったからです。

私は私の世界でどんな「犬王」を作り上げたのでしょうか。

たぶんもっと地味。(笑)

ただラストの犬王の素顔だけは、少女漫画で培ってきた美しさだけで飯が食えると言うほどの「美」の顔を脳内に作り上げる事が出来たかもしれません。「醜」が取り去られると、そこには究極の「美」が残ると言うような。

だけどもしも文だけで、この世界を脳内に作り上げたとするとと思ってみると、更にアニメの「犬王」の世界が素晴らしい発想で出来上がっていたのかを再確認する事が出来たのです。やはりその世界を先に味わったので、読むスピードも速かったのだと思いました。

しかしあれは物語の更に上を行く物語。

ほんのちょっとだけアニメの「犬王」の感想の続きです。

もちろんこれはファンタジー。リアル世界の物語ではないのですが、リアルな部分の表現が、「まあ、これはアニメだから好きにやってもいいんじゃないの。」的な見方で観ていた部分はあったのです。犬王の能の舞台では、みんなに「歌え!」と誘ったりする斬新さなどは、素敵な演出だと思いました。とんでもない発想で舞台を作り上げていて、時代を超越していて、これを見ていたその時代の人々の度肝を抜いたのではないかと楽しく感じたのでした。原作の方でも、犬王の舞台の解説は丁寧に書かれていました。

「まあ、これは自由にやっていいのでは・・・」的に見ていたのは、その時代は「友一」だった琵琶法師の、ロック歌手的な演奏時の演出。

とっても素敵なんです。どなたかも言っていましたが、ふと、クィーンなんかを連想してしまったり・・・・・。

だけどよく

「彼が出てくるのは100年早かった。」のような言葉ってあるじゃないですか。

芸術の世界でも、人々がその「美」を認めていくのには、順番って言うものがあるような気がするんですね。

胸が肌蹴、太もも丸だし、欄干の上でそれをやっても、その時代の現実の世界では、女性たちは逃げてしまったと思います。

映画には見せる楽しさがありました。

ただ原作には、奇妙なダークファンタジーであっても、もう少し静かな世界が広がっていたような気もしたのです。

いずれも素敵です。

私はこういう世界観が好きなのです。

アニメの「平家物語」の原作も、この作者で、あの壇ノ浦で優勢だった平家の情勢を変えていってしまったのはイルカの群れで摩訶不思議な光景でした。そして、この「犬王」でも実はイルカを指す「鯨」と「腕塚」はとっても印象深かったです。

 

そしてまた、これは常々思っていたのですが、「平家物語」ってその冒頭自体が素晴らしすぎるくらい素晴らしいじゃないですか。これ、琵琶法師の伝承って、どうやって統一化してたのかって。その答えがこの物語にありましたね。

「ああ、そうか、こんな方法で」と思えただけでも、この本を読みアニメを見た意味が私にはありました。

でもいつの時代でも、権力の芸術干渉は悲劇を伴うものですね。

 

(下の二行はネタバレしています。)

 

犬王は、もう二度と自分の平家物語を演じず、取り戻した人生を手放しはしませんでした。

だけど(この時代は)友有は自分の芸を手放さず命を失いました。しかしその時、本当の自分の名前「友魚」を名乗り、人生を取り戻したのでした。

映画の感想は→「犬王」を観てきました。

アニメの「平家物語」の記事は→お勧め☆アニメ「平家物語」

 

 

オリジナルサントラを買う予定でしたが、吉田拓郎氏のCDやLPを買ったり、「日経エンタテイメント」を買ったり、ゲームの課金したり、鰻を食べに行ったりで、お仕事もしていないので、お小遣いがまずい状態に・・・・でもいつか欲しいサントラです。

 

 


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「きずなの兄弟と鎌倉殿」&「鎌倉殿の13人☆第23回」

2022-07-27 09:56:36 | ユーモレスクを聴きながら(book)

最近「鎌倉殿の13人」の感想などを、まったく書けないでいます。1、2回抜けると、書けなかった理由が「他の書きたい記事があった」などだったりするので、なかなか復活できませんでした。次回が29回なので、23回はだいぶ前の「狩りと獲物」の回なのです。

この回の時、三大仇討の一つである曾我兄弟の仇討ちの話が出てきました。

これを三谷氏は、頼朝を討つことが目的のクーデターだったと言う説の方を取って描きました。

凄いな三谷氏と思いつつ、なんかちょっと気持ちが悪くなってしまいました。

図らずとも、子供の時から敵と思っていた男(工藤)の事は討ち果たし、そしてその為に、義時に都合よく美談として、物語を書き換えられてしまったのですから。大望を果たそうと思ったのに、私怨として片づけられてしまった無念はいかばかりかと思うではないですか。しかも美談として、本当の敵からは褒められてしまうのですから・・・・。

義時、容赦ないなぁ。

怖すぎるなぁ。

だから女好きゆえに助かった頼朝、巻狩りの時は冴えなかったけれど、いざとなったらちょっとカッコ良かった万寿(頼家)、育ち過ぎの金剛、鹿のはく製のコメディなんかは、ちょうどいい緩和剤になったと思いました。

だけどこの時に私、書き替えられてしまった物語かは知らぬことですが、元の語り継がれた物語をちゃんと知りたいと思ったんです。

しかし今の私の読書力だと、古典のそのままの訳だと、残りの半年をその本で費やしてしまいそうなので、漫画で描かれたものはないかと探したりしたのです。漫画はなかったのですが、子供向きの物がありました。「小学上級・中学生から」と言うものです。「から」ですから・・・^^

今の私にはぴったりです。

 

 

そして本の感想です。

その最後、私は思わず涙をはらりと落としました。

確かに美しくは描かれていましたが、けっしてお涙頂戴の物語ではなかったと思います。

文を書かれた時海結以氏のあとがきの解説に寄れば、「曾我物語」はすべて漢字で書かれた真名本と、それから後(南北朝時代から室町に掛けて)にひらがなが多く含まれて書かれた仮名本があるらしいです。こちらの方がエピソード数も多いらしいので、人々の語りや能や歌舞伎の作者たちに付け加えられたフィクションも多いのかも知れません。

読んだ本は、真名本をひらがなまじりの読みやすい本として訳されていたものをベースに使い、それに仮名本などからエピソードの一部を少々使ったと書いてありましたから、けっしてお涙頂戴ではないけれど、やはり少々ドラマチックにはなっていて、寧ろ読みごたえがありました。多くの参考文献をもとにこの作品も出来上がっているので、作者のあとがきは、情報がたくさんあって更に読みごたえがありました。

印象深かったシーン・・・・。

ふたりの兄弟の父(河津三郎)が、工藤祐経に討たれてしまうと、妻は悲しみのあまり5歳と3歳の幼き息子たちに、「20歳になる前に工藤の首を取って、私に見せて。」と仇討ちを誓わせてしまうのです。

「えーって、それってないなぁ。」と思ったら、後に曾我太郎の後添いに入り、二人の子供も可愛がってくれる優しい夫の元で、新たな落ち着いた幸せな日々を得ると、その時の事をずっと悔いるようになるのでした。彼女の密かな戦いは、二人の息子たちに仇討ちをさせまいと言うものだったと思います。

それは叶わず、この母の後日談も書かれていました。そして兄の恋人だった虎も、彼が亡くなった後は出家してずっと二人の為に祈り続けたのでした。どんな悲しみにも寄り添ってくれる虎は慕われて、曾我の里に寺を建てると、多くの女性が弟子になりました。

色白で思慮深い兄の十郎は、ロマンス担当なのです。また兄よりも背も高く、出家する前日に修行していた寺から脱走して母からも勘当されると言う、弟の五郎は、アクション担当のようです。でもその頃(能や歌舞伎のお話の)は、この弟の方が人気があって、箱根権現の僧侶から借り受けた「友切丸」と言う名刀を紛失してしまい、名前を変えて探すと言う、如何にも的な(でも、面白そう)エピソードまであったと言います。(もちろん、この本には出てきません。)

だけど箱根権現の僧侶から剣を渡されるシーンは確かにあって、その時の名刀は、兄には元は木曽義仲のもので「微塵丸」、弟には義経が義仲討伐の時に箱根権現に戦勝を祈願してささげた源氏の名刀(本当の名前は『薄緑丸』)だそうです。そしてそれは今も箱根神社にあるのだそうです。刀剣にまったく興味もなく分からないと「東京国立博物館」の記事の中で書きましたが、こういうエピソードを知ってしまうと、ちょっとだけムクムクと興味が湧いてくると言うものですね。

また、この物語には、時政・義時親子の名はもちろん、和田や畠山の名前もバンバンと出てきます。どちらかと言うと、皆幼き兄弟の味方です。一度幼い時に、伊藤の孫と言うだけで、首を切られそうになるのですが、一生懸命に頼朝を説得してくれるのが畠山です。

この本は2021年が初版ですが、畠山はこの本の中でもハンサムな挿絵です^^

八重とか千鶴丸とか・・・・。

「鎌倉殿の13人」を見ていたからこそ、身近に感じた物語だったと思います。

 

また仇討にあってしまう工藤にも犬房丸と言う子供がいます。

復讐は憎しみの連鎖を生み出すだけ。だけどこの物語では、ちゃんとその後日譚もあとがきに書かれています。

思った以上に中身の濃い本だったと思いました。この講談社のこのシリーズは、またちょっと読んでみようかなと思いました。

夏休みの読書感想にもお勧めできます。

 

あっ、そうだ !!!

「日本三大仇討ってなんだ !?」とふと思い検索したのですが、あっ、その三大仇討の事は更に長くなってしまうので書きませんが、そこで知った「一富士、二鷹、三なすび」って、この三大仇討から来てるんですってね。

 

じゃあ、読んでみようかなと思われた方は、残りの数行はこの本のネタバレになっていますので、ご注意ください。

 

64歳の虎。挿絵が老けすぎでしょう・・・・って昔はこんなものか・・・・・という事は置いておいて、彼女の所に十郎が「待たせたな。」と言って・・・・じゃない・・・・、こういう書き方だと、大河クラスタは違う人を想像してしまうでしょう(笑)

「ずいぶん待たせてしまったね。すまなかったね。これからはずっと一緒だよ。」と迎えに来てくれるシーンで、この物語は終わるのでした。門の桜の花びらの絨毯の上で息絶えていた虎を人々が見つけます。

仇討はふたりの上にだけ起きた悲しみではなく、周りの愛する人の人生も巻き込んでしまいました。

それでもハラリと涙が落ちました。

私はこういう物語に弱いのです。

ああ、日本人の多くがそうかもね。

 

 

 

 


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「妄想美術館」

2022-07-13 08:32:20 | ユーモレスクを聴きながら(book)

7月7日に読了。

美術館で絵を見る事が好きな人は、この原田マハさんとヤマザキマリさんのおしゃべりに嵌る事間違いなしなのではないでしょうか。

(「間違いなし」と言いながら「でしょうか」と書く気の弱さは・・・・置いといて)

「モナリザ」が日本に来日した時の想い出や、近い所では「若冲」の5時間待ちの話など、ついついこのお喋りの3人目になって心の中で会話してしまいました。

 

ちょっと私のお話です。

私も「モナリザ」は(たぶん)中学生の頃、姉と姉の友達とで見に行ったんですよ。確かに長蛇の列。そしてやっと順番が回ってきた時、気持ちの中では「今まで見る事が出来なかった、または二度と見る事の出来ないお宝」のような気持ちになっていました。

見る事が出来たのは一瞬。

「謎の微笑み」が「謎」に見えたか否かも分からないまま、自分の順番が終わってしまいました。背景が印象的でした。

それからまた、私はその後、友達と上野にパンダを見に行ったんですよ。

やはり長蛇の列で、やっぱり見たのは一瞬。

「キャー可愛い、もっと動いて~。」と思っている間もなく、自分の番が終わったんです。

なんかその時思ったんです。自分にとっては「モナリザ」も「パンダ」も同レベルって。

 

では意味がなかったかというと、そうではありません。それまで美術館でアートを見る経験がなかった私にとって、その経験が美術館に行くことのハードルを下げたと思うんです。

「モナリザ」は今でも「今まで見る事が出来なかった、または二度と見る事の出来ないお宝」です。

ルーブルに行けば良いんだと思っていましたが、二人の話によれば、今でも人気のそれは、ルーブルでも二重三重の人だかりだそうです。

そして「若冲展」。やはり3時間並んだ(その前に電車のアクシデントがありプラス1時間半の待ち時間)それでしたが、今でも「クスッ」と笑ってしまう煌めいた想い出です。→若冲地獄

襖絵や掛け軸など、日本でアートは一部の人のためのようなものに感じられていたけれど、実はそうではなかったと言うお話の中で、出てきた例だったと思います。(趣旨が外れていたらすみません。)

 

最近「ポーラ美術館」に興味がありで、検索していました。

そしたら本の中でお勧めの美術館の中に、それが入っていました。

また閉館してしまった「原美術館」の話も出て来て、そんな所もちょっと嬉しかったりもして、先に書いた「一緒におしゃべりしている感覚」にどんどん入っていきました。→《そして、原美術館に着きました》7月の東京散歩

「アートは友達。美術館は友達の家」と言う原田マハさんが大好きです。(の、割には本自体は未読です。ごめんなさい。)

ヤマザキマリさんの好きな絵には、共鳴するものがあって「そうなんだ~、やっぱり!」という気持ちにもなりました。

しかしそれにしても、ヤマザキマリさんのお母さんは意識が高い人だったのだなと、少々の羨ましさを感じました。と言ってもその方が私の母であっても、私に対応が出来るわけもなかったわけですから、隣の芝生を羨ましく思わない事は大事な事ですね。だけどやはり、素晴らしいお母さんだったのだとは思います。

私的には180度見方が変わるという事はなかったかもしれませんが、ある視点においては、ちょっと意識が変わりました。それは「未完成」と言われている絵画についてです。

かなり以前、ピカソの絵画展に行った時、これでもかというくらいアトリエ総ざらいのように持ち出された未完成品が展示されていたのでした。

私は「作家は見てもらいたくないんじゃないのか。」と、その部屋の意味が見いだせず、寧ろ嫌な気持ちになったのでした。

ところがふたりの会話から、その「未完成品」などにどのようなドラマがあったのか、その未完成と言われている絵画のドラマチック性を教えてもらったように思いました。

対談形式なので気楽にさらさら読めますが、なかなか読みごたえがあって、読み終わった時、私はとっても幸せな気持ちになれました。

 

 

・・・


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「人生はごちそう」と「知識ゼロからの日本絵画入門」

2022-07-05 16:42:08 | ユーモレスクを聴きながら(book)

6月に読んだ本の感想です。

5月に読んだ本の感想「田村セツコさんの本を二冊」の中で、

>「新作が2022年の4月に出版されていた事が分かりました。

【目次】
まえがき 人生はおいしいごちそう。捨てるところがありません。
第1章 いつでも、どこでも、普段着のまま*甘味
第2章 幸せのかけらを探して*酸味
第3章 肩の力を抜いて、さあ歌いましょう*塩味
第4章 泣きたいときこそSmileね*辛味
第5章 どんなことも素晴らしいと思えるようになるの*渋味
第6章 人は皆、老いていくもの*旨味
セツコの本棚
あとがき

何とはなしに、気になる1冊です。

たぶん読むと思います。」

と、書き込みました。

そして、読みました。

田村せつ子さんのエッセイは、なんとなく相性がいいような気がします。

こういう本は、断捨離などの本と同じでパタンと閉じたら「何だっけ ?」となる事が多いと思うのです。だけどそれに対しても彼女の本の中に答えがあったように思うのです。

そんな風には書いてないのですが、うんうんと頷いて、「なるほどなるほど、同じだわ」と思い、そして忘れてしまっても一つ二つは心に残っている。ひとつ二つでは勿体ないと思うから、また彼女のエッセイが読みたくなる、それでいいと思いました。

その一つ二つのうちの一つは

「負けても楽しそうな人には、ずっと勝てない。」

また

「『センスのいい人』とは幸せのかけらを見つけて喜ぶ名人」

あっ、ちょっと、これ私、まあまあじゃない?

それから、一番心に食い込んだのは

「忘れる練習・田舎の勉強・京の昼寝」です。

これ、最初の「忘れる練習」は別の事で、だけどこれも大事な事ですよね。

私、この「田舎の勉強・京の昼寝」の意味を初めて知りました。

今は「田舎」という所も侮れませんが、そこまで深くは考えずに、ことわざ通りに受け止めるならば、自分の小さな町であってもまたは電車に乗ってのウロウロでも、またはコロナが収まってからの外海外遊でも、それは大事な事なんだなと感じました。

アンテナは外に !!

 

もう1冊読んだのは、以前から日本絵画について、もう少しだけ詳しくなりたいなと思って下記の本を読みました。

こちらはところどころメモを取りました。

やはりほんの少しだけ、知っていて鑑賞した方が楽しいかなと思えるものもあると思っています。

日本絵画を鑑定する人たちは、1本の線で誰かを見分ける事が出来るそうですね。

日本絵画は「線」だそうです。

 

トップも下の画像も、記事には関係はありませんが(横浜イングリッシュガーデンの画像です。)花を添えました。


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「1週間で8割捨てる技術」筆子

2022-06-11 01:46:25 | ユーモレスクを聴きながら(book)

5月に読んだ本の感想です。

 

この本は、とっても読みやすくてサラッと読めました。

ただ本をぱたんと閉じたら、どんなことが書いてあったかなと、早くも記憶喪失。

だけどなんだかヤル気が漲って、いつも以上に物に執着せずに捨てる事が出来たように思います。

 

このようなミニマリストエッセイの役割は、そこにあると思いませんか。

「こんな本を読んだの。」という話がしたくて、「1週間で8割捨てる・・・」と本のタイトルを言い始めると、だいたい途中で「無理無理無理」という言葉が返ってきます。

これは作者がわざと「何々の」を抜かしているからだと思います。

「家中の」とか、「自分の生活ライフ必需品を」とか。生活ライフ必需品と言うのは、服・靴・バッグ・文房具・食器などじゃないかと思います。

「家中の」なんかは、はっきり言って絶対に無理だと思いますが、後半に書いたものは、やろうと思えば「捨てる」という部分は出来ると思うのです。但し、8割捨てるのなんて御免被るってなものですよ。なんたって私は捨てない族の人なので。

もうこの辺は、自分の生活ライフに合せて考えれば良い事なんですよね。

 

だけどこの方の文が面白かったのだと思いますが、一番先に書きましたようにサラッと一気読み出来て、ちょっと影響力の強く残っている時に、実家に父の細かく残っているものの遺品整理(今更)のお手伝いに行ったのですが、メチャクチャ思い切りよく捨てる事が出来たのです。

また私自身の服と靴も、かなり捨てました。今シーズンは特に、まだまだ頑張る予定です。

それは、この本に後押しされたことは間違いのない事です。

 

 


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田村セツコさんの本を二冊

2022-05-20 00:40:49 | ユーモレスクを聴きながら(book)

田村セツコさんの本を二冊読みました。

「HAPPYおばさん」は彼女が生み出したキャラで、そのHAPPYおばさんがどんな人でどんな暮らし方をしているんかを通しての、暮らし方のエッセイです。

1938年生まれで、84歳の彼女ですが、いまだに現役で可愛らしいイラストを描き続けています。

美味しいものは少しずつとか、破れたものも直して使うなど、いろいろ共鳴する事も多く、本の紹介・映画の紹介も楽しく頷きながら読みました。

 

 

「カワイイおばあさんの『ひらめきノート』」は更に共鳴する事が多かったです。

ノートを友にして、何でもそこに書いたり貼ったり・・・・・

そういう事は、私も結構やってきました。今はブログがそれの代わりのような気もするのですが、手軽さから言ったら、やっぱりノートかも知れません。チケットや可愛らしいイラストなど、ノートなら手軽に貼れるし、見つけた素敵な言葉などは、ブログにはメモのようには貼れないからです。

私もまたやろうかな・・・♪

とにかくイラストを見ているだけで元気になれるし、励まされます。

 

 

上の本らはたまたま読んだのですが、「田村セツコ」でまたいろいろと検索していたら、新作が2022年の4月に出版されていた事が分かりました。

【目次】
まえがき 人生はおいしいごちそう。捨てるところがありません。
第1章 いつでも、どこでも、普段着のまま*甘味
第2章 幸せのかけらを探して*酸味
第3章 肩の力を抜いて、さあ歌いましょう*塩味
第4章 泣きたいときこそSmileね*辛味
第5章 どんなことも素晴らしいと思えるようになるの*渋味
第6章 人は皆、老いていくもの*旨味
セツコの本棚
あとがき

何とはなしに、気になる1冊です。

たぶん読むと思います。

 

・・・


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