森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

さよなら係長・・・・・

2017-03-18 14:32:59 | 同じ時代の船に乗る

本当の事を言うと、あまり「さよなら」とは言いたくない。

寂しくてー。

 

※       ※       ※

ある日、「相棒」の後に「9係」の予告が入りました。

「やっぱり、つぎは『9係』。楽しみだなあ♪」と私は言いました。

実はワタクシ、「9係」はそんなには真剣には見ていなかったりするのですが、何気に登場人物がそれぞれの生活を抱えてキャラ立ちしているこのドラマのファンなのです。ちょっと昔のアメリカの刑事ドラマみたいに感じるのですよね。と言いましても、近頃はホームドラマ化しているようなしていないような・・・・・。

でも時々、内緒でしたが「相棒」より面白いなと思う時もあったりして・・・・・ ^^:

ああ、どっかに書いたことがあるから内緒ってわけではなかったですね。

 

だけど私が「楽しみだなあ♪」と言った時に、夫が

「大丈夫なのかなあ。」と言ったのです。

「大丈夫って何が?」

「だって渡瀬さんは病気だろ。継続できるんだろうか。」

役者様の私生活には疎いワタクシは、

「やるって決まったって事は、大丈夫だったって事じゃないの。逆に良かったって事じゃないの。」と呑気に答えたのです。願望の想いも込めて。

 

だけど9係係長、加納倫太郎を演じていた渡瀬さんは14日の日に多臓器不全で亡くなってしまいました。

9係1話のあらすじを読むと、倫太郎の出番はたくさんあります。すでに渡瀬さん抜きで撮影は継続されていたようです。そして渡瀬さんはその「9係」のセリフも覚え意欲も満々だったようです。

だけど・・・・・

いなくなってしまいました。

HPも「9係」のツイッターアカウントも沈黙したままでした。

 

沈黙の中から動揺と混乱、そして悲しみが伝わって来るようでした。

 

HPに意欲溢れる渡瀬さんのコメントが載っています。→ここです。

 

ひとりの方が亡くなったのに、「あのドラマはどうなるのだろう。」と思う―、さながら不謹慎のようですが、私はそうではないと思います。

その人を思うと、その人の出演しているドラマを思う。

役者であった彼の一番の偲び方だと思うのです。

 

ツイッターでドラマブロガー様が、こんなツイートを流してくださいました。

 

3月16日  野辺へ出て参りますと春先のことで 空にはひばりがピーチクパーチク囀っていようか 下にはレンゲタンポポの花盛り 陽炎がこう燃え立ちまして 遠山にはパーっとかすみの帯をひいたよう 麦が青々とのびて菜種の花が彩っていようかという本陽気 喧しゅうゆうてやって参ります その道中の陽気なこと

 

お鼻の先がツーンと痛く感じました。彼の声が聞こえてくるようです。

朝ドラのファンも多かった「ちりとてちん」。

私は渡瀬さんと聞くと「9係」と思ってしまうのですが、この「ちりとてちん」の草若師匠を思い出す方も多かったと思います。

 

「泣ける」と言ったら、そのくうさんが
「でもちりとてのおかげで師匠は楽しく旅立ったのかなって思える」とお返事してくださいました。

本当だなと思いました。

 

・・・・・・ その道中の陽気なこと

 

 

安らかにお眠りください。

(でもやっぱり、ちょっと泣ける。)

 
 
 
 
 

 

 

 

 

 

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下駄をならしながら、いったんだな

2017-03-02 09:06:04 | 同じ時代の船に乗る

ムッシュかまやつさんが昨日、午後6時5分に都内の病院で亡くなりました。

昨年5月にすい臓がんが発見され9月に公表。

「絶対に復活するから心配しないでください。」と再起を誓っていました。だけど、12月にあった堺正章氏の古希ライブに飛び入り参加をするなど、彼は最後まで生きた人だなと私は思いました。

 

2006年のその時、彼は67歳でした。

永遠は一瞬の中に閉じ込められて、一瞬は永遠に生きて行くのかも知れません。

ー 忘れないよ、あの時を。

 

吉田拓郎 & ムッシュかまやつ M2 ♪我が良き友よ @ つま恋 2006【HD】

 

安らかにお眠りください。


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SMAP解散

2016-08-14 09:56:48 | 同じ時代の船に乗る

やっぱり、書くよね~、「SMAP解散」の事は。

※        ※         ※       ※

 

しかしこの夏は、たとえ私が料理人・皿洗いに掃除のおばさん&洗濯女と言う日常のみの生活に徹した生活をしていたとしても、私以外の世界は大きく動いているのですね。

 

海外ではイチロー殿が画期的な記録を残し、リオではメダルラッシュと言う言葉に違和感を感じさせない選手たちの活躍ぶり、そして日本では共に時代を生きたビッグなアイドルグループが消滅すると言うニュースが流れてきたのですから。

 

今年の1月19日に書いた「SMAP雑感」。

その頃死にかかっていた夫殿さえも思わず心配してしまったSMAP騒動でしたが、

そこの最後に

>この先の彼らの未来は誰にも分からない事ですが、あの会見を見た今の段階では、SMAPは潜在的解散をしてしまったのではないかと、つい私は思ってしまったのでした。

と言う言葉で締めさせていただきました。

 

潜在的解散が顕在的解散になるだけで今更ショックでもないだろうと思われるかもしれませんが、それでもしっかりとそれが決まってしまうと、私はやはり吃驚しました。

彼らの歌は親しみやすく、それでいて何気ない気張らない応援歌のようで好きなものが多かったのです。解散となれば、もう彼らの新しい歌は聴く事も出来ず、今までの歌も過去の音源が残るだけで一緒に歌われることはなくなるわけなんですよね。

やはり一つの時代の終わりは寂しいものがあるなと思いました。

 

と言っても壊れてしまったものは元には戻らないのだと思います。

あの謝罪会見の時、体の向きが一人微妙に違うように感じた香取君は、もう木村君とは一緒に仕事が出来ないと言ったとか。

無理にやっていても、美しいハーモニーにはならないと思います。

もうひとりひとりがビッグになったのですから、自分の道を突き進むのが良い事なんだと思います。

 

解散が今年いっぱい・・・・・・。

私の妄想・・・・・。

解散コンサート中に紅白参戦。視聴率がそこだけうなぎのぼり・・・・・。

 

いや、その日に解散コンサートをやっていなくても、紅白にトリ。やっぱり視聴率がうなぎ上り。そして白組の勝ち・・・・・。

 

いやいや、これ、妄想ですからね。あしからず。

 

最後に5人のコメントを載せておきますね。

中居正広 ファンの皆様、関係各位の皆様、我々SMAPが解散する事をご報告させて頂きます。ご迷惑をお掛けしました。ご心配をお掛けしました。お世話にもなりました。このような結果に至った事をお許しください。申し訳…ありませんでした…。

木村拓哉 この度の「グループ解散」に関して、正直なところ本当に無念です。でも、25周年のライブもグループ活動も5人揃わなけ れば何も出来ないので、呑み込むしかないのが現状です。沢山の気持ちで支えて下さったファンの方々、スタッフの皆さんを無視して「解散」と言う本当に情け 無い結果になってしまいました。今は言葉が上手く見つかりません。

稲垣吾郎 ファンの皆様、スタッフ関係者の皆様、この度はご心配ご迷惑をお掛けして本当に申し訳ございません。今の状況で五人での 活動は難しいと思い、辛い決断ではありますが「解散」という形を取らせて頂く事になりました。どうか僕達の意思をご理解頂けたらと思います。28年間本当 にありがとうございました。

草なぎ剛 この度僕たちSMAPは解散する道を選びました。いつも応援してくれたファンの皆様、支えてくれた関係者の皆様、グループ結成から28年間本当にありがとうございました。今後も精進して参りますので引き続き、温かく見守って頂けると嬉しく思います。

香取慎吾 ファンの皆様、そしてスタッフ関係者の皆様。僕らSMAPは解散いたします。応援して下さった沢山の方々に心より感謝申し上げます。そして突然のお知らせとなりましたこと、深くお詫び申し上げます。


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7円の唄

2016-07-13 10:23:27 | 同じ時代の船に乗る

今時は、不要になった物は上手に処分していく事が大事。本当に心からそう思います。本なども、イヤ本こそはちゃんと考えていかなければならない物との付き合い方の要です。売れないような本は纏めてくくって資源ごみの日に出せば終わりです。でもそれが意外と難しいのです。心の問題として・・・・・・。

 

結婚した時にー、いつの間にかはるか昔になってしまいましたが、―お互いが持ってきた本が何冊かありました。その中に永六輔さんの「七円の唄」がありました。

古い本です。捨てようか・・・・と、いつも思います。

いやいやいや、今まで持っていたのだから、捨てたり処分するのはもっと先にしようと、そして仕舞っておく本のコーナーに戻されていたのでした。この人はそんなんじゃ、ちっとも家は片付かないなって思った方もいらっしゃるでしょうね。まさにその通りです。でもね、本一冊と言えども、同じ時代を共に生きている同志のような気持ちになるってことはあるんですよ。

朝、出してきて写真を撮ろうとしたら、結構な一苦労である事が分かったので、Amazonさんの画像を貼っておきます。

「7円の唄」と言うのはラジオ番組のコーナーで、リスナーからの手紙を読み永さんがコメントをすると言う流れのものだったようです。7円と言うのは1967年当時、はがき代が7円だったからなんですね。

 

七円の唄〈追伸〉―TBSラジオ『誰かとどこかで』より (1974年)
永 六輔,崎 南海子
読売新聞社

 

ところで昨日、私は吃驚しました。上のAmazonさんで本の検索をしたら、なんとこの本は今も新刊であるのですよ。もちろん同じ内容ではなくシリーズの続きだと思います。

でも、素晴らしい~。

 

めぐりあい―七円の唄 誰かとどこかで
永 六輔,遠藤 泰子,崎 南海子
朝日出版社

 

永六輔さんは晩年は病気と闘っていたと思いますが、死ぬまでちゃんと生きた人だったんだなとしみじみと思いました。

私、昼間はテレビをあまり見ません。

だけどたまたま・・・・・。

今年の私のツイート。

2月4日

@kiriy2009

霧島花子@kiriy2009

気まぐれに「徹子の部屋」をかけたら、ゲストが大橋巨泉と永六輔。なんか凄い !

posted at 12:29:50

 

その時82歳の永さんも81歳の大橋さんも、確かに老いていました。凄くヨロヨロしているようにも見えました。それは83歳で亡くなった父と比較して、そう感じてしまったからです。でもそれは肉体の問題。その精神と心はピンシャンとしていて感銘を受けました。

 

昭和がまた一つ消えていくー。

「上を向いて歩こう」や「見上げてごらん夜の星を」などの歌にたくさん励まされて生きてきました。

ありがとうございます。永六輔さん。

素敵なおじ様でしたね。

 

なんだか昨日から喉の奥がイガイガします・・・

あっ、そう言えば

「咳・こえ・喉に・・・・」

あー、なんだか声が聞こえてきそうです。

 

 

遠くへ行きたい   中村八大/作曲 永六輔/作詞

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さよなら私の小美人

2016-07-12 12:16:49 | 同じ時代の船に乗る

「私の」などとおこがましい・・・・。

でも「小美人」は役名なので他の人でも演じる事が出来るわけだけれども、私にとっての「小美人」はザ・ピーナッツ以外にはいないからです。

姉の伊藤エミさんが2012年に71歳で亡くなって、そしてユミさんが今年の5月18日に亡くなっていた事が昨日の11日に分かったのです。1975年に4月に芸能界を引退されて、すでに41年が経っているわけですから、ご親族がご家族と親しい方だけでご葬儀などを行われたことはもっともな事だと思います。

ただ彼女たちが芸能界と言う世界で光り輝いていた時間は短かったとしても、愛され続けていた時間は殊の外長かったのだと、彼女を愛していた身近な方々にお伝えしたいような気持ちになりました。

 

子供の時、本当にワクワクさせていただきました。

モスラの記事で何か書いたなと、ブログ内検索しましたら、

「何この人、凄く楽しそうに書いてるな。」と言う記事が出てきました。「この人」と言うのは私の事ですが^^

ニヤニヤしながら書いたのに違いないと言う文章・・・・そんな記事は→ 怪獣映画はファンタジーか!!

                                         → 「南海の」と「南の海の」は違う!!

 

「モスラの歌」は摩訶不思議などこかの島の言語かなと言うような歌詞で出来ていますが、あれには何の意味もないそうですよ。

10ぐらい前に、と言うことははこのブログを開いたころ、大好きだった怪獣映画の事を書き続けようと調べていた時があったのです。それで知った「モスラの歌」の秘密です。

でも今、貼った「モスラ」の予告編映像(?)を見ると、命を懸けて愛する者を助けに行くロマンチックかつ壮大なお話なんですね。

これは子供心にもばっちりはまったのも無理が無いと思いました。

命がけで助けに行きたくなる者は、やはりそれなりの魅力が無いとならないわけで、ザ・ピーナッツの二人の歌とハーモニーには、そんな魅力があったのだと思いました。

 

ザ・ピーナッツ、「モスラの歌」 MOTHRA,Music&Trailer_

 

チョードヘタナので、めったにカラオケとかには行きません。

でも行くと必ず歌うのが・・・・

恋のフーガ ザ・ピーナッツ 1967

 

 ずっと御一緒だったお姉さまを先に亡くされて。きっとお寂しかったに違いありません。

でも愛され続けていたんですよ。。。。

安らかにお眠りください。

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ありがとうございます、蜷川さんー。

2016-05-14 16:15:40 | 同じ時代の船に乗る

5月12日、一日お出掛けをしていて夕方帰宅しました。

お出掛け日記を書こうとPCを開けても、とりあえずツイッターでなんとなく世間の風を知ると言うのは日課です。

そこに流れてきた蜷川幸雄氏の訃報。

年齢だってお若くはないし近頃大病も患ったわけですし、いつかはその日が遠からず来るだろうとは失礼ながら思っていました。

でも・・・・・ショックでした。

ひたすらショック・・・・・。

言葉を失いました。

 

蜷川幸雄氏演出のお芝居は、多くは藤原竜也さんが出演されているモノを見に行くことが多かったのですが、ちょっと贅沢に月一でお芝居を見に行こうと演劇鑑賞に嵌っていた2009年に1本だけ、竜也さんが出ていないお芝居を観ました。

それはやはり5月にコクーンで見た「雨の夏、三十人のジュリエットが還ってきた」です。(感想はタイトルにリンクしています。)

それまでは、いつも蜷川さんは藤原竜也さんと一緒のカッコにくくっていたような気がしますが、このお芝居を見る事によってそのカッコを外すことが出来たように思います。そこに出演していた主演の人たちはもともと大好きな人たちでしたが、このお芝居から司会がすこぶる上手だなと思っているウエンツ君が、芝居上手な役者さんになった日でもありました。

いろいろな演劇人が、蜷川さんと関わりあって、そして大いなる影響を受けていたのだと思います。

その方々も本当にショックな事だと思います。たまたまアメブロで読者になっている内田滋さんのブログにも、その事が載っていました。

ここです。

 

たくさん観に行ってると言うわけではありませんが、お芝居が大好きです。

 

素晴らしいお芝居を世に送り出し続けてくださって、本当にありがとう。

少し老いた方々にも演劇を通して夢を与えてくれてありがとう。

次代を担う若い人たちを育成してくれてありがとう。

シェークスピアを身近なお芝居にしてくださってありがとう。

きっと多くの人たちが「ありがとう。」って言ったよね。

 

そして私の幸せの大事なピースの一つは藤原竜也を好きだと言う事。

その彼を見い出し育ててくださって、本当にありがとうございました。

 

 

私、

下の記事を読んで、ちょっと泣けました。

愛弟子・藤原竜也が追悼コメント「僕を生んでくれたのは蜷川さん」

>事務所によると、亡くなる前日の11日、入院先の病院を見舞った。急に仕事がオフになったため訪ねることできたという。蜷川さんが自らの最期を悟り、自然と呼び寄せたのか。藤原は恩師の手を握り、感謝の気持ちを伝えた。

「急に仕事がオフ・・・・」

そして亡くなる前日に会えるなんて・・・・・やっぱりさ、見えない糸ってあるよね。

 

その竜也さんのコメント。

>「最期に会えて良かったです。僕を生んでくれたのは蜷川さんです。たくさんの演劇人生をありがとうございました。真面目に突き進んでいきます」

 

2015年「ハムレット」の感想の中で、こう書かせていただきました。

「人の命には限りあり。

そしてその命の消え入る時まで本当に生きていられる人はまた限られていると思うのです。

「ハムレット」は心に残るいい作品でした。

だけれどもしも演劇の神がいるならば、決して満足などしないと思います。そしてまだまだ地上にとどまってある男に仕事を続けろと言うに違いないと、ふとそのお芝居を見ていて思ったのでした。」

 

「ある男」と言うのはもちろん蜷川幸雄氏の事です。地上に留まりて仕事をし続けることは出来なくなってしまいましたが、竜也さんのコメントを読んで、私は思いました。

命の灯が消えた後も、その火が消えずに多くの人の心のみならず未来の仕事に灯っていく人は稀なる幸の人なのだとー。

 

どうぞ安らかにお眠りください。

 

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マリリンモンロー ノーリターン 〈追記しました。〉

2015-12-11 01:53:45 | 同じ時代の船に乗る

マリリンモンロー ノーリターン

 

野坂昭如さんの反戦物語は、ちょっと難解だなといつも思っていました。

有名な「火垂るの墓」もそうですが、以前、中学の教科書に載っていた「ウミガメと少年」にも同じ感想を持ちました。

どこがと掘り下げて書くには深夜過ぎるので、またこの場所にて追記と言う形で書かせていただきます。

 

ただ私、本当に戦争の悲惨さを肌身で体験し
「だから絶対にダメなんだ!!!」と強く言い、私たちを守っていてくれたおじさんがまた一人いなくなってしまったんだなと、凄く寂しく思います。

 

だけど私、彼を知ったのは子供の時、上に貼った「マリリンモンロー・ノーリターン」の歌だったんですよ。

この歌でマリリンモンローがずっと身近に感じる女優さんになったかもしれません。名前の刷り込みと言うか。

 

チョイワル風おやじの雰囲気が好きでした。

安らかにお眠りください。

 

 追記:先日はかなりの深夜にこれを書き始めたものですから、書ききれなかった部分を追記させていただきます。

子供の頃には、この「マリリンモンローノーリターン」は面白い歌のようなイメージでかなり印象深かったのです。でも大人になった今、なかなか奥が深い歌だったのだなと思うのです。この歌は、野坂さんの為に桜井順と言う方が作りました。作詞作曲ですが作詞家名は能吉利人。ノ―キリストと言う意味だそうです。この方が彼のために作った他の曲には「黒の舟唄」もあります。ワタクシ、あれは違う方の歌だとずっと思っていました。

でも雰囲気や声なども野坂さんにピッタリな歌だと思います。

ワタクシ、野坂さんと言うと、あの事件が忘れられません。泥酔して大島さんの結婚記念日パーティ―で監督にパンチをしてしまったアレです。

えっ、今その話するのかって思いましたか?

ええ。

だってそう言う部分も含めて愛すべき彼だったのではないかと思うんです。喧嘩のいきさつは置いておいて、彼らはもともとすごく仲が良い人たちで、だからパンチを受けた監督も一言も返さずにマイクで二発殴り返したんですよね。

その後彼らはお互いにわび状を送り合って和解したのですって。

ここの所、大事なエピソードだと思いませんか。マスコミって面白い所ばっかり映像を送ってくれるけれど、その後の事なんか教えてくれないじゃないですか。

思わず、私「うふふ」って笑ってしまいました。

だって可愛いじゃないですか。大の男たちが「あの時はどーも」って手紙を書き合ってるんですよ。

 

ひとりの人間はある意味単純でありまた複雑でもあり。

時に、その複雑な部分を指して多才と言うのかも知れません。

 

「ウミガメと少年」は中学生の教科書に載っていたので、その問題集のテキストで読みました。読んでいて気持ちがザワザワしました。その内容にと言うより、まず文の書き方に。

次にあるシーンでは「うっ」と吐きそうな感覚に襲われました。最後に思わず首を傾げました。問題を解くためのザッと読みです。問題集の問題を解く事に不都合がなくても、ろうそくの芯がどこにあるのか分からなくて火が灯せないような感覚になるお話ってあるじゃないですか。

「こりゃ、もっと気合を入れ直して読まないと分からないわ。」と呟くと、子供たちがこぞって解説をしてくれました。

最後に少年はウミガメに生まれ変わると言うのです。

思わず、「それ、学校の先生が言ったの?」と聞く私。

「あまりにも雑に読み過ぎて分からなかったけれど、これ、そういう童話なの?」

「やっぱり後で読み直します。」と言ったけれど、私自身は読み直さなかった物語です。

 

それはあるシーンがあまりにもショックだったからです。

少年は命がけでウミガメの卵を守ろうと移動させます。でも結局その卵を食べつくしてしまうのです。

悲惨な状況下の物語を平時の私たちが読む時、その残酷さがすこぶる増す時があると思います。

命がけで守ろうとしたものを、自らが殺す。自分の為に。

凄く恐ろしく残酷なシーンです。思わず「ウッ」と吐きそうな気分になりました。

この流れで、そのようなファンタジーメルヘンになるのかなと不思議に思ったのでした。

 

誰もが号泣した「火垂るの墓」。私も一度だけ見たそのアニメで大泣きしました。でも好きなお話ではありません。同じように縁故疎開をして血の繋がった祖母にいじめられた体験を持つ母などは、はっきり嫌いだと言います。

そこに登場してくるのは強くたくましく生き抜いた少年の物語ではないからです。

「ウミガメと少年」も命がけで守った卵を守り、命を繋いだ物語なんかではありません。

戦争とは、弱者は死んでいくばかり。そして守りたいものも守れない、そんな恐ろしいモンスター。

彼の反戦物語は、かなりの辛口だと私は思っています。

 

「ウミガメと少年」を読んで、ちょっと気持ちがざわついた彼の文章。一つの物語の中で文末を揃えないと言うやり方は、、私はちょっとその後に影響を受けたような気がします。

 

 

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妖怪にはなれなかった。

2015-12-01 00:48:18 | 同じ時代の船に乗る

93歳は人間にしては長生きだと思う。

だけれど後17年ほど生きて頂き、

さすが先生、まるで妖怪ですねと

言ってみたかった。

※        ※        ※

 

今日(11月30日)はお昼前からちょっと出かけ、戻って来てからもしばらくはテレビもネットにも繋ぎませんでした。夕方近くにブログを書いてリアルタイム解析を開いてみたら、少々ですが「深大寺「鬼太郎茶屋」」の記事が読まれているのが気になったのです。

今度そこに行ってみようかなと思った人が、検索で訪問してくることはままある事ですが、それにしては数が多いのです。

ああ、もしかしたらと思いました。思ったとたんに、水木しげる氏の訃報の記事が「みんなのブログ」から流れてきました。

 

彼を偲ぶならば、その記事よりも「ゲゲゲつれづれ」のあれやこれやの記事を読んでもらいたかったなと思った私ですが、「深大寺・・・」の記事を読み返してみて、その下の方にリンクは貼ってあったことを思い出しました。

私の理想の男性でもあった鬼太郎。

鬼太郎のお父さんがなぜ目玉おやじになったのかとか、「ゲゲゲつれづれ」はその他の蛇足いっぱいのオハナシで綴った水木しげる氏との漫画の想い出です。

 

少し前の事ですが、お話し好きの中学生男子がホラーだったか何かの話を振ってきました。そのふられた話自体は忘れてしまったのですが

「水木しげるが戦争に行った南方の密林の中でヌリカベを見たって言うのは有名な話だ。」と私が言うと、

「ヌリカベと言うのは、これこれこのような妖怪で・・・」と講釈をたれようとする少年。

いや、待て待てとそれを制止して私は言いました。

「水木しげるを知らないんだな。『ゲゲゲの鬼太郎』を描いた人だよ。」

それを聞いて、「ああ、」と理解した様子。頭の中にアニメのキャラが浮かんできたのですね。

 

そしてようやく会話が成り立ったのです。

と言っても、その時の状況的にはそのような話題で長話が出来るようなものではなかったので、短い会話でした。

それでもー。

「ヌリカベと言う妖怪がいるかいないかの問題ではなくて、なぜ彼は密林でそれを見たのかと言う事が大事な事なんだと思うのよ。その妖怪は、彼の死の恐怖の化身だったのかも知れないし。現に彼は片腕を失っての帰国だったわけだしね。」と私。

彼の恐怖の化身ゆえに彼を守り助けたと言葉をつづけたくても、少年はもうその先は聞けませんでした。

「えっ!? 『鬼太郎』を描いた人って、腕がないんですか。」

 

彼が戦争で片腕を失った事は多くの人が知っている事だと思います。でも知らない人も多いのです。子供たちなどもそうだと思います。私自身、そんなに昔に知ったと言うわけではありません。

知った時は、今、目の前にいる少年のように衝撃を受けました。利き腕ではなかったからと言って、いろいろと簡単じゃない事がたくさんあったと思います。

きっと目の前にいる少年の胸のうちは、さながら耳が聞こえていないのに美しい曲を作曲したベートーベンのお話と同じような驚きがあったのではないでしょうか。

「ふーん、水木しげるか・・・。」と少年は言いました。

きっとそれまで、彼にとって氏はノーチェックの人だったのだと思います。でもほんのちょっとの会話でも伝わっていくものはあるのですよね。

 

ひとりの命は重いなと私は思います。

氏が命を戦場から持ち帰ってくれたおかげで、私たち多くの者が彼らに会えたのですから。

 

 ありがとう。

 

ー 生きるか死ぬかの戦場で片腕だけを失って帰国できたことを幸いと思って、93歳まで生きた。

彼は戦場で何を見て、そして何を伝えたかったのか。-

 

 

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 追記:朝の情報番組での水木氏の園遊会での飄々とした態度を見ていた夫がボソリ。

「この人は、本当は妖怪だったのかもな。」

そうか。100年生きなくても、彼は既に妖怪だったのか。

 

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さよなら、美しい人。

2015-09-27 02:51:30 | 同じ時代の船に乗る

24日の昼間、北斗さんの癌の事を知った人は、何気にもうひとりのがん闘病で頑張っている女性の事を思い浮かべたのではないでしょうか。

ひとつ前の記事「頑張れ、お母さん!」での少年との話は、最初「ふたり」と言うタイトルで、エールの気持ちで記事を書かせてもらおうと思っていました。だけれど25日に日付が変わった頃、その悲報がその方のブログにて伝えられました。

 

ショックでした。

でも、「ああ、やっぱり。」と思ったのも確かです。

舞台降板をして治療に専念すると言う事は、よほどの事かと思っていたからです。

そのちょっと前に、ツイッターで彼女の激ヤセを心配するコメントを多数見かけました。それに伴う記事などを読んで、この人はご自身の「生」を信じて、そして最後の最後まで生きようとしてる人なんだなと感銘を受けていたからです。

病気と分かっていても、その先に入っていたお仕事の予定。ギリギリまで頑張り続けた舞台。

夫である方も言っていましたよね。

「最後まで女優であり妻であった。」と。

 

私はこの人が、かなり昔ですが東山紀之さんの「シェフ」というドラマに出演していた時に、

「この人はなんて綺麗な人なんだろう。」と、その美しさに気が付いてしまったみたいな記憶があります。

 

そしてその美しい人は、生き様に拘り死に様にもこだわった聡明な人だったと思います。

 

最後まで生きる。

叶うならば叶えたい大事な事だと思います。

 

最後まで生きた川島なお美さんのご冥福をお祈りいたします。

 

いろいろと情報が載っているので、一応彼女のブログもリンクしておきますね。

こちらです。

 

そのブログのコメントで

「もうこのブログが更新されないのかともうと寂しい。」と言うのがあって、私、思わずうなずきました。

誰かが居なくなるって、そう言うことなんだよね・・・・・。

 

 

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頑張れ、お母さん!

2015-09-26 17:52:41 | 同じ時代の船に乗る

おとといの事ですが、家に来た中学生に
「私が夏にした病気は、君のお母さんの病気と同じだったみたい。」と伝え、
共通する病状があるかどうかさりげなく聞き出そうとしたところ、話は健康診断の事に流れていきました。

「母さんはいつも突然倒れるんだけれど、最近はそう言うこともなくなって来たんだ。」

「良かったね。」

「でも母さんは、昔はいつも『健康診断に行かなくちゃ。』って言っていたのに、ずっと行かないでいたんだ。そのうち『行かなくちゃ。』って言うことも言わなくなってたんだ。」

「まだ若いからね。なかなかそう言う気持ちになれないんだよ。」

「いや、あの人けっこう歳ですよ。」

「いや、もしもし、誰の前で言ってるんですか。」

ちらっと私を見ながら、二カッと彼は笑いました。まずい事を言ったかもと言う照れなのです。数秒前の発言を打ち消すように彼は話しを続けます。

「でも今日また、『やっぱり健康診断には行く!! 』って決意したみたいなんです。」

「そうなんだ。それはまたなんで。」

何かまた気になる所が出てきたのかと思って私は聞きました。

「ほらっ、あの、テレビの人の…。やってたでしょ。癌のニュース。」

「ああ、なるほど。そうだよ、君、それは良い事だよ。」

 

家族想いで笑顔がほっこりと暖かい北斗さん。

彼女の乳癌と向き合う姿が、少年のお母さんに後回しにしていた健康診断をしようと決意させたのでした。

 

その命は自分のものだけではない。

幼い子供やまだまだ守らなくてはならない子供が私にはいるんだわ。

だからやっぱり大切にしなくては。

分かっているんだけれど、つい忘れてしまうその事を思い出させてくれたのだと思います。

 

私は業界人とか一般人とか言う言い方は好きではありません。

それは職業の選択の問題で対義語ではないだろうと思うからです。

でもやはり名前も顔も公にして生きていく人の影響力は大きいと思うのです。

 

北斗さん。

あなたの頑張りは多くの頑張るお母さんたちの背中を押し、勇気を与えているのですよ。

頑張れ、頑張れ、お母さん。

 

全摘と言うと、すこぶる怖いと言う感じがしますが、胃などの内臓とは違います。

多くの人の乳癌は全摘だと思います。

 

実は妹も同じ病気で闘病中。

はっきり言って術後もめちゃくちゃ大変です。

でも頑張っています !

 

 

あっ、そうだと思って、彼女のブログを覗いてきました。

手術も終わって元気そう。

そして少年のお母さんと同じような方がたくさんいた事が分かりました。

そんな彼女のブログは→ここですよ。

 

 

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