森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

映画の風景「千と千尋の神隠し」

2007-02-08 11:15:00 | 映画だい好き☆☆

金曜日、テレビをつけたら「千と千尋の神隠し」をやっていました。この映画はジブリの中でも大好きな作品です。

   

ちょっと、この写真見覚えのある場所だと思いませんか。向こうに見えるのが、緑ではなく、水平線と青空だったらどうですか。

ここは「千と千尋の神隠し」の千たちが居た部屋のモデルになった所です。

   

こんな雰囲気のお部屋が一杯です。

   

目黒雅叙園の百段階段です。

目黒雅叙園は結婚式場ですが、「百段階段」の方は現在予約制の美術館のようになっています。お食事付きのツアーもあります。解説付きで回ってくれますが、素晴らしい襖絵、天井絵のオンパレードです。あちらこちらに「千と千尋の神隠し」の世界が隠れています。

「千と千尋の神隠し」は、ストーリーのみならず、場面一つ一つに心惹かれるものがあります。私は、ここに来てみたくて、ずっと憧れていましたが、秋と夏に一回ずつ行く機会を得て別々の友達と行きました。

一回は会席ランチで。また一回はバイキングで。
お食事代が高いので、都内にしてはお高いツアーになってしまいますが、行って後悔のない場所だと思います。

機会がありましたらぜひどうぞ。(トイレは感激ものですよ。)


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やっと見つけた「宇宙大怪獣ドゴラ」

2006-11-22 23:32:54 | 映画だい好き☆☆

宇宙大怪獣 ドゴラ - goo 映画       (映画だい好き☆☆の記事です)

 懐かしい~!!

 昔々の大昔、私はまだつぶれていないランドセルを背負って、学校の横にある電信柱に括られているこのポスターを毎日眺めて、「行きたいなぁ、行きたいなぁ、」と念じていました。

 私の映画史を考えると、怪獣映画は外せない作品達です。朝から、カシャカシャとゴジラの事等を調べていたんですね。

その時ふと思いました。―もしかしたら、調べたら「アレ」判るかも。

判りましたよ、私の記憶の底に沈殿していた「怪獣映画の何か・・」。あの怪獣の名前は「ドゴラ」と言うのですね。パソコンは凄い!

 面白かったのですよ。ダイヤの窃盗団との絡みやSFの設定が。子供心にもワクワクしたのです。子供だったからではないですよ。その頃は、まだ怪獣映画は子供たちのものではなかったはずですから。

 炭素を含んだものを吸い上げていくシーン等なども見応え充分でしたが、確か、ひっそりとしたラブロマンスも盛り込まれていたように思います。ダイヤの窃盗団の女と捜査員の男だったかな~。

 あまりにも昔のことなので、正確ではありませんが、ドゴラの最後の時と時を同じに追い詰められた窃盗団でしたが、そのアジトに炭素化したドゴラの欠片が落ちてきて・・。私は切なくて、そっと涙をぬぐいました。

一緒に見に行った人が、すばやく涙を拭ったのにも拘らず
「あの人たちは悪い人たちだから、あの女の人も悪い人たちの一味だったんだから。」と慰めてくれたのでした。どうも、納得できない慰めだったように思います。

何かとんでもない思いがけない事が起きて、その後の人生が変わってしまう。この映画は、そんなことを思わせるような映画だったですね。

この感想って、今見直して書いているわけではないので、小学生の時の感想と言うわけですが、今見たら、どう感じるのでしょうか。

・・・、でもあまり見直したくはないですね。いいイメージはそのままにしておきたいような。。。

なぜなら、この映画は、親の都合に左右されずに自分で足しげく映画館に通いだしたきっかけになった映画だったのです。さすがに高校生ぐらいまでは一人では行きませんでしたが、友達や姉とだけ行き始めたのは早かったですよ。

 特撮のシーンで、映画というのはこんなに面白いものなんだと感動しましたね。

それから来た怪獣ブーム、全てではないですが結構見ましたね。それらの事をまとめて書こうとしましたが、やはりこの映画だけは別格だったなぁと思えた、ある意味映画にはまった原点の映画でしたので、別に書いてみました。

それなのに、題名を覚えてなかったのは、最初から覚えていなかったのです。雨にぬれたポスターはぼろぼろになってしまっていて、カタカナの怪獣名は、映画見た後の三日後に忘れてしまった大昔。。。今日判ってちょっと、嬉しかったですね。

 

コメント (2)
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「南海の」と「南の海の」は違う!!

2006-11-10 11:37:53 | 映画だい好き☆☆

季節の花300から

  この花、変わっているでしょ。ヒスイカズラっていうんですよ。このフィリピン原産の翡翠葛は、大船フラワーガーデンにて写されたそうですが、5月頃になると、温室のある植物園で結構見ることが出来るみたいです。

 私は千葉県野田にある清水公園の花ファンタジアで見ました。普通なら、この花を見て、「へえ」とか「ふーん」で5分ぐらいの話題だと思うのだけれど、私たちだと、こんな花見ても盛り上がってしまいます。大体口火を切るのは私ですけれど。

 「此花って、まさに南海の島に咲く花にふさわしいわね。」

そうそう、なんて言うみんなの同意なんかを得ると、私は黙ってはいられません。

「私の中ではね、『南海の・・』というのと『南の海の・・』というのでは全然違うイメージなんだ。」と言うと、それも分かるような気がする、なんて答えが返ってきます。

―わかってくれるんだなあ、だから友達、長い間やってるのかも知れない。多少いやなところには目を瞑って。。。おいおい、それはお互い様だろって。。

それで、「南海の」のイメージです。

そうそう、この「南海の」の「の」は切り捨ててはいけない助詞です。「南海」ではまた生活に密接イメージがありますね。南海ホークスとか、南海電鉄とかを思い出してしまいます。テレビをつければ、南海キャンディーズのしずちゃんがバンなんてね。

―南海の、そこにある島は何でもありの島だ。例えば花々も、見たことも無いような色鮮やかなものが咲いている。翡翠葛なんて地味なものだ。花に劣らず派手な鳥たちが、木々の梢でケケケケとかタァタァタァとか鳴いている。

うっそうとした密林を切り開いていくと、水溜りのような沼がある。でもその沼は、なぜか湯気がたっていたり、底なし沼だったりする。

何処の火山帯に入るのか判らないが、火山があったりする。又は、海底火山とか。その海に住むのは、何でそんなに育っちゃたのか解らないような大海老や大蛸だったりする。

出遭った原住民は一見恐ろしげだが、ワーワー言いながら酋長の所に御案内するだけの親切な人たちだ。また酋長は何でも知っているような含蓄のあるような顔をしている。それで、そこにはなぜか宝田明なんかがいる。・・・おや~

またその島には、驚くような人種が住んでいて島の守り神になっている。その見たこともないような人はテレパシーで話してくれるので、原住民とのコンタクトも問題ない。

しかも、原住民が頼りにしている御神体は、なんと巨大・・・蛾。

「モスラ~や、モスラ ♪」   ・・・ああ、やっぱり。  

 

「南海の」そのイメージは、私の中では南海の孤島インファント島そのものなのかも知れないですね。どこかにありそうでありえない夢の島です。でも、映画の「モスラ」シリーズでは「南海の」と言う言葉がタイトルに使われているのは「南海の大決闘」だけですが。エビラとモスラとゴジラまで出ます。インファント島のお隣の島はレッチ島。いかにもと言う名前で良いでしょう。

だけど、怪獣の話はまた次の「映画だい好き☆☆」のときに書きたいと思っています。

    でも、おまけ。

 

「では、みなさん、さん。次はお茶でも飲みに行きましょうか、か。
なぜか、一人ではもってみたりして。
「ええ
ええ。行き行きましょう。」と友達も乗ってくれたりして。

 

 良かったわ~♪友達も私同様のアホで。。。   ラッキー

 


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M.ナイト・シャマランは好きですか

2006-10-10 00:48:08 | 映画だい好き☆☆

9月30日から「レディ・イン・ザ・ウォーター」が始まっているらしい。

監督は M .ナイト・シャマランだ。                              

  今度の映画は、彼自身もメインのキャストで出演するらしい。

 

ところで、シャマラン監督の作品は好きですか。

 

彼の作品には1999年にシックス・センス、2000年アンブレイカブル、2002年サイン、2004年にヴィレッジがあるが、私はアンブレイカブル以外は映画館で、しかも、ほぼ同じメンバーで,全部の作品を観ている。

先日そのメンバーの一人といつもの長電話の途中、映画を観に行こうということになった。
「レディ・・・何とかとか言うのがあるじゃない。あれどうかな。」と友が言う。
「そう、見たいんだよね、あれ。予告の中の女の人、凄く綺麗で妖しい感じでいいよね。でもサ、あれシャマランだよ。サインとかヴィレッジのシャマランだけどいいの。」と私。

「サイン」とか「ヴィレッジ」のシャマランだと、なぜか確認し、「わかっているんだな。」と念押ししたくなる私だ。

 話は変わるが、映画を誰かと観た後、普通は観た映画の話を、一緒に観た人とあれやこれやとおしゃべりするのはとっても楽しみな事だ。

 話はますます逸れるが、前にある方と観に行ったときに、その後入った喫茶店で、その人がすぐに自分の子供の話ばかりするのでがっかりしてしまったことがある。何度も話を振り直しても、その返事もしないで自分の話が始まる。私も懲りない人なので、その後も何度もご一緒したがいつも同じだ。
 そういえば、知り合った頃確か言っていた。
―近所の人と一緒に映画に行くのは嫌い。だって、あの人たちは講釈を垂れるから。―
―講釈―   面白い言い方だけど、その時もどんなことを言うのだろうと興味があったが、今思うと、私はその人の近所の方たちとご一緒して、ぜひその講釈とやらを聞きながら盛り上がったりするほうがあっているなあと思うのだ。

それで、一緒に行く事が一番多い私のほうの近所の友達、このブログの中ではオカルト倶楽部のメンバーとか呼んでいるのだが、映画を観た後はお茶などしながらかなり盛り上がる。

監督名も俳優名さえ詳しくない私たちの盛り上がり方は、いたってシンプルだ。
「良かったね。」「あそこで泣いちゃったわ。」「あの人素敵ね。」「凄かったね」そんな程度。でも、楽しい。

が、シャマランの映画を観終わった後、なぜか私たちは口数が少なくなってしまう。微妙に盛り下がる。しばらくは食べているケーキの感想などを言い合ってから、誰かが口火を切る。
「アレはあれで面白かったような気がする。」「うん、良かったよ。」
「しみじみしたわ~」

高いケーキは意地でもおいしいと来たもんだ。

 それで、私もそれなりの感想を言ってしまうわけだ。例えば「サイン」。

―本当の現実って言うのはアレが近いよね、たぶん。アメリカ人も日本の家の床の間には、当たり前のように刀が飾ってあるぐらい思っているかも知れないけれど、私たちもさぁ、アメリカの家ではキッチンのテーブルの上に珈琲と並んで銃なんて置いてあるようなイメージがあるじゃない。
 
だから、最初はメル・ギブソンの行動が、ハリウッド映画を見慣れてしまった目から見ると、もの凄く、物足りないんだよね。シュワちゃん目線ではない、普通の御家庭目線のSFと思うと、なんか納得できるし、今起きている事には何かの意味があるというテーマも悪くないよね。―って、よくしゃべるね、私。みんなもよく聞いてるよね。ありがと

例えば「ヴィレッジ」

―あれはさ、最後にもっと、ヒキで見せて欲しかったよねえ。ガーンと目線を上まで持って行っちゃって、そこには丘かなんかがあって、その丘の向こう側には、ドビャ―ンと大都会が広がっているの。そのぐらいのインパクトが欲しかったわぁ~。でも、最後は驚いちゃったよねぇ。―

 見た直後は、あの宇宙人はあまりにお粗末で、アメリカの低予算のテレビドラマっぽくて笑っちゃったねとか、森の奥に引きこもるのに準備悪すぎだよとかは極力言わない。せいぜい「ヴィレッジ」は、てっきりホラーかと思っていたからちょっとがっかりしちゃったねなんて言うぐらい。

 レンタルビデオで見た「アンブレイカブル」は、発想がついていけない。まあ、いろんな人がいるものねえと言うのが感想で、これも映画館の予告編はとても面白そうだったので、それに引っ張られて映画館に足を運ばないで良かったとしみじみ思ってしまったのだった。
 だけど、この前テレビでやっていた。うつらうつらしてみていたら、意外に面白かったりして・・・

 「シックス・センス」は、誰もが傑作と思っているのではないだろうか。私も、そう思う。面白いし、最後は泣ける。何度でも見ることが出来る。が、いやな思い出がある。映画本編が始まる時、真っ暗な画面に「この映画は最後に秘密があります。ご覧になった方は、その秘密を他の人に話さないでください。」と文字が浮き上がってきた。

実は私には、普段は何にも役に立たないストーリーの先読みと言う特技がある。その「秘密」と言う文字が嬉しくて、ついうっかり言ってしまった。

「判ったわ、きっとブルースが幽霊・・・なーんちゃって」なーんちゃって・・なーんちゃって・・

あ~ぁ     「シックス・センス」はそんな私のセリフから始まった映画だった。

 

友人と一緒に行く時間の打ち合わせの電話も済んで、今週「レディ・イン・ザ・ウォーター」を観に行く事が決まった。決まった途端、ワクワクしている私はきっとシャマラン監督の作品が好きなのかもしれない。

どうして?  絵がきれい、しみじみ、しっとり、さあ、なんだろう。

―あなたは、M .ナイト・シャマランは好きですか?―

 

 

 

 

 

 


 

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映画だい好き☆☆

2006-09-15 07:48:36 | 映画だい好き☆☆
子供の時から映画が好きだった。私の子供たちも映画が好きだ。ある日パパさんが言った。
「うちの子供たちが映画が好きなのは、ママが好きだからだね。」
映画好きというのは、親からも影響されるのかもしれない。

私の両親も映画が大好きだった。いまも健在なので「だった」と過去形で書くのは問題あるかもしれないが。

レンタルビデオなんか無い昔、家の近所には二番館なる映画館が三軒あった。いわゆるロードショウ館ではない。安くて大体2本から3本立てだった。そうだった、二番館とは言わないで名画座と言うんだった。

母はよく私の手を引いて、その名画座に連れて行ってくれた。あるときは母と二人で、又は母と姉妹二人または三人で、だけれど母と姉妹四人で行った事はない。なぜなら、私と末の妹は10歳の年の差があって、10歳の私は、もう母とは映画には行かなかったからだ。

名画座の子供料金は、私が小学校2年の時百円ぐらいで、一ヶ月のお小遣いの4分の一程度、充分子供たちだけでいける金額だった。


街で新作の映画のポスターを見かけると、
「よし、これ●●●座に来たら、行こう。」と子供だった私は思った。それは、テレビのCMで、その映画が観たいと思った子供が、
「よし、これビデオで出たら借りてもらおう。」と思うのと似たような感覚だと思う。しかし、似たような感覚でも、腐っても鯛ではないが名画座でみる映画は映画そのもので、家のテレビでビデオを見るのとは同じではない。
それでも、レンタルビデオの普及等で、名画座というものが消えていってしまったことはことは、時代の流れと言えども寂しい事だと思っている。

昔テレビを見ていて、映画に影響を受けて俳優になった人や、映画評論家になった人の話で、家の隣が映画館でよく裏口から入れてもらったと言うのがあって、とっても羨ましかったのを覚えている。毎回映画の内容が変わるたびに全部見ることが出来る環境というのは、どんなに素晴らしい事だろうか。

父と一緒に映画に行った思い出もあるが、なぜだか、私は父とは二人だけで、テレビの映画を見ていた思い出の方が強い。そして、私の映画好きはどちらかと言うと、この父からの影響と言えるような気がするのだ。

ブログの映画レビューは「最近、観た映画」についてが基本かもしれないが(新作にしても昔の名画にしても)私はここで、自分の中の記憶の中の映画に触れていきたいなと思っている。

要するに―映画と私―   又は―映画の思い出―  というのがテーマと言えるかもしれない。

その中で、読んでくださる方の思い出にクロスするものがあったりしたならば良いなとも思ったりしている。

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