今、お風呂場、トイレ、洗面所をリフォーム中です。
廊下の半分を潰して本箱や棚などを置き、物置代わりにしていたので、洗面所の小物の片付けよりも、その通路確保に久しぶりに家の中で肉体労働をした感じです。
一日目は古いユニットバスの撤去でした。
その夜、撤去された後の何もないお風呂場を覗いて、何かしみじみとしました。昨夜、私のいた空間はもうないのです。
そんな私の様子を見て、通りがかりのラッタ君が同じように覗きにきました。
「ここで、やっぱり止めますと言ったら、チョー悲劇。」
「お風呂のないマンション暮らし。そう言う人っているかしら?居るわけないか。」
一人ぼけ突っ込み。「でもそしたら、ここは物置にして・・・」
って、考えるなって。
「だけど、昨日まであったものがないのって、ちょっと寂しいね。」と私が言うと、ラッタ君は退場。お風呂が急に無くなって物置になるような荒唐無稽なたわ言は聞けても、おばさんのセンチメンタルツイートには逃げ出す。まあ当たり前か・・・。
でも、私は夜な夜なそのお風呂場で、うつらうつらしながら15年も考え事をしてきたわけで、感慨深いのは本音です。だけどそれは空間であって、ぼろぼろのユニットバスに対しての執着ではないはずなので、新しいものが入ったらしみじみとした気持ちはどこ吹く風と言うことになると思います。新しいお風呂は楽しみです。
それでも朝、一応お掃除をして(その数時間後には壊すわけですが)、ありがとうと言いました、私。
だからって私が去り行くもののすべてにそんな気持ちでいるわけではありませんよ、もちろん。もしもそんな人であったなら、ちょっと大変ですよね。トイレのリフォームもするのですが、そのあれ・・・あれって・・あの「べ」のつくやつなのですが、なんかその単語を書きたくない~。とにかく、それにも「今までありがとう。」って、言うべきかもしれませんが、たぶん言わないと思うな。言えないというか・・。
かくのごとく斑のある、私の物に対する謙虚な気持ち・・・
思わず、ごめんねトイレとか思ってしまいましたわ。
だけど今回のリフォームで、お別れしたくないのに別れなければならない物がひとつあるんです。それは洗面所の鏡。
その鏡は、とっても映りが良いのです。洗面所の鏡は置かれる場所用にそれ様の鏡を使われているのだと思いますが、さっとひと拭きですっと澄み、その透明度がたまりません。
そしてこの鏡、人を綺麗に見せるのです。朝、この鏡の前に立ち、思わず「今日、良い顔してる~、私。」と自惚れて外に行き、違う鏡で自分を見るとぞ~っとする時がありました。ちょっと暗い照明の加減も良いのかもしれません。
ある日家でのお茶会の折、そのことを話題にしたら、一同スクッと立ち上がりその鏡を見に行きました。でも
「わかんない~」「やっ、私綺麗。他の鏡と同じに映っている~。」「何にも変わっていない。」「言われると、そうも感じる。」と言うそれぞれの返事。
じゃあ、特に美人に見えるのは、私だけかしら・・・
なんちゃってね。
でも、その鏡に自分を映して、さあ今日も頑張ろうと言う気持ちになるから不思議です。
ちなみに我が家にもうひとつある姿見にもなるドレッサーの鏡は、少し距離のあるところから映すと、その日によって人相が違って映るので、ギョッとします。夫はその鏡に自分を映すのは嫌いだと言います。大きいので歪んでいるのだとも言います。なるほどと思うのですが、酷く映る時には、私は鏡の前で百面相をし、出来るだけマシな表情が出来るように努力するのです。
私の持っている大きな鏡二つ。まるで北風と太陽みたいでしょ。
片方は綺麗に映しヤル気を出させ、片方は気持ちをそのまま映し出し警告する・・・
と言っても鏡に意思などあるわけもなく、私の妄想ワールドのお話でした。(追;こう書いてしまうところが、私が歳を取ってしまった証ですね。物には魂があるかもと言うテーマを貫ききれないと言うか・・)
その魔法の鏡ともお別れです。
※ ※ ※
と、ここまで書いて、〆の言葉を捜してこの記事を一日放置していました。
だから新しいお風呂には、もう入ってしまいました。気持ち良かったのですが、あったものが消えてしまった感慨深さ、やっぱり感じてしまいました。
それよりもちょっと複雑な気持ちがしたのは、私の魔法の鏡が拭いても透明にならず、私をぜんぜん綺麗に映してくれなくなってしまった事でした。私は曇った鏡を拭きながら、思わず言ってしまいました。
「ごめんね。」って。
やっぱりkiriy's house はちょっとビックリハウスなのかもしれません。
何気にこの記事は「ものの魂を信じているシリーズ」の続編で<その7>です。(勝手にシリーズ化しています。)
前回のお話は→こちら「歌うポットの沈黙」です。