朝、食卓の私が座っているところから、毎朝朝日が昇ってくるのを眺めています。ある時には、まるで光がカーテンを押し広げるかのような眩さがあります。
だけど冬の朝日は、やっぱり光が優しい感じがしますね。
でも、朝焼けを綺麗だなと思っても、その日の光をいつもはそんなには意識していないかもしれません。本当はいつだって気にかけているのに。
ある日の朝焼けを写真に撮ったら、優しい赤い空に写りました。
朝の光には、一日の期待が凝縮されているような気がします。まだ何もない一日、これから何かが動き出す一日。そして、何事も嫌な事は起きないでと祈る朝。
朝は一日が生まれる時。
もちろん、その前から生活は始まっているのですが、そんな気持ちになるのです。
また、この写真のようなシーンは、私はとっても好きなんです。
彼らは、いったいどんな意思を伝え合っているのでしょう。
また下の画像は、このブログでは毎度おなじみになってきた、夕日の画像です。
すべてを包み込むかのようにあがってくる朝日と違って、夕日にはすべてを引き込んでいくようなそんなパワーを感じます。
ところでこの記事、画像三枚と冒頭の数行が書かれて、しばらく放置されていたもの。このタイトルは、何を思って付けたのか、今の私には良く分かりません。きっと書き出してみたら、長々とまた長文になりそうな内容だったに違いありません。ゆえに放置・・・。
「何か」とはなんだったのか、「誰か」とは誰の事を指していたんだろう。自分の思考さえ、過ぎて言ったものを追えない情けなさ。
なので・・・・
朝日と夕日の間を私は生きて、
夕日と朝日の間を
私は生きる
生きるとはその繰り返し
何かと共に 誰かと共に
・・・・たぶんこういう内容だったかもなぁと、自分の思考の傾向を推理してみました。これと同じような事、どこかで書いたような・・・。真夜中なので確認はしませんが。
忘れてしまうと言うのは、残念な気持ちがしますが、こんな風に自分を推理するのも楽しいかもしれませんね。
明日(もう今日ですが)の朝の天気はいかがなものでしょうか。また新しい朝の光と一日に出会えますように。