「ポンペイ展/世界遺産 古代ローマ文明の奇跡」は6月13日まで横浜美術館にて開催されています。
例の如く、遠い部分から始まる前書きです。
いつか姉妹でローマに行こうと夢見て語り合った事があったけれど、その日は本当に来るのか、それとも夢で終わるのか分からなくなってきました。
でも、そんな夢の話をしていた時に、私が
「ポンペイにはぜひ行きたいな。」と言いましたら、妹は露骨に顔をしかめました。
この妹の気持ちは、私には良く分かります。
なぜなら、私もですが、ミイラなどが博物館にあるのを見ると、とっても心ざわめく人種だからです。そのことは以前にも書きましたが、かつて人間だった人の眠る場所が、墓地ではなく博物館である事の違和感は、かなり強いものがあるのです。展示の前を通ると、どうしても手を合わせ祈りたくなる衝動にかられます。
この感覚、意外と同じ人、いるみたいですね。
その感覚で言うと、ポンペイは大災害の被災地です。その被災地には恐怖でおびえた人々のその姿が石膏化し残された事でも有名です。妹は、その彼らを悼んで、その地を訪れる事を拒んだのでした。
だけど子供の頃から、歴史とか考古学に心惹かれて生きてきた者には、それでもポンペイと言う街には引き寄せられるものがあるのです。
もしも、いつかその地に立って、耳を澄ますことがあったならば、聞こえてくるのは、古の人々の恐怖の悲鳴でしょうか。
一瞬のうちに灰に閉じ込められてしまった街の、その封印が解けたとき、聞こえてきたのは、遠い遠い昔に、彼らは生きた、愛した、そして暮らしたと言う息遣いだったのではないでしょうか。
まさに、横浜美術館で開催されていた「ポンペイ展」には、その息遣いが溢れていました。
この時代の文明が、既にかなり高度だったことは知られていますが、本当に感心してしまいます。しかも彼らの芸術派生活密着型。家々にはその家長の像を作って、玄関に飾ってあったり、又その表情が微妙な微笑を浮かべていたりで、ユーモラスな感じもするのです。
その展示の一部は、このポンペイ展のHPにありますのでリンクしておきますね。→「ポンペイ展展覧会紹介」
心に残る作品は、たくさんあったのですが、今回はなんと閉館まで1時間足らずでしたので、いつも買ったりする絵葉書やファイルのお土産も買わずに、それらの写真を通して出来るお土産話も少ないかと思います。ちょっと蛇足ですが、ファイルなんかもう良いや、無駄だし、と、ふと思ってしまった事を後悔している私です。コレクションと言うのは無駄だと分かっていても集めていく所に意味と意義があるのだと気が付きました。ここで売っていたファイルはみな素敵だったと言うのに・・・・あ~あ。
(c)Luciano Pedicini / Archivio dell'Arte
上の画像は、「ウェヌス像」で大理石像ですが、かなり印象に残りました。他の像にも感じましたが、布の下の肉感が凄いです。
それにこの像のポーズ、漫画好きの方には見覚えがありませんか。
もう古い漫画ですが、和田慎二の「ピグマリオ」。又も蛇足ですが、この和田慎二という方は、「スケバン刑事」の原作漫画で有名です。かなり角度も違うのですが、りんごなどを持った構図に、なぜかその漫画に出てくる主人公少年の母の姿を連想してしまいました。
漫画家はやっぱり勉強してるよなぁと、こんな所でしみじみと思ったという訳です。
ユーモアと先に書きましたが、いるかのモザイク、働くクピドたちの姿に、それを感じました。お風呂などの高い文明。驚くべきガラスの食器。わずかな時間でしたが、真剣に見ることが出来ました。
およそ1700年前の息遣い、きっとあなたも感じることが出来ると思います。
例の如く、遠い部分から始まる前書きです。
いつか姉妹でローマに行こうと夢見て語り合った事があったけれど、その日は本当に来るのか、それとも夢で終わるのか分からなくなってきました。
でも、そんな夢の話をしていた時に、私が
「ポンペイにはぜひ行きたいな。」と言いましたら、妹は露骨に顔をしかめました。
この妹の気持ちは、私には良く分かります。
なぜなら、私もですが、ミイラなどが博物館にあるのを見ると、とっても心ざわめく人種だからです。そのことは以前にも書きましたが、かつて人間だった人の眠る場所が、墓地ではなく博物館である事の違和感は、かなり強いものがあるのです。展示の前を通ると、どうしても手を合わせ祈りたくなる衝動にかられます。
この感覚、意外と同じ人、いるみたいですね。
その感覚で言うと、ポンペイは大災害の被災地です。その被災地には恐怖でおびえた人々のその姿が石膏化し残された事でも有名です。妹は、その彼らを悼んで、その地を訪れる事を拒んだのでした。
だけど子供の頃から、歴史とか考古学に心惹かれて生きてきた者には、それでもポンペイと言う街には引き寄せられるものがあるのです。
もしも、いつかその地に立って、耳を澄ますことがあったならば、聞こえてくるのは、古の人々の恐怖の悲鳴でしょうか。
一瞬のうちに灰に閉じ込められてしまった街の、その封印が解けたとき、聞こえてきたのは、遠い遠い昔に、彼らは生きた、愛した、そして暮らしたと言う息遣いだったのではないでしょうか。
まさに、横浜美術館で開催されていた「ポンペイ展」には、その息遣いが溢れていました。
この時代の文明が、既にかなり高度だったことは知られていますが、本当に感心してしまいます。しかも彼らの芸術派生活密着型。家々にはその家長の像を作って、玄関に飾ってあったり、又その表情が微妙な微笑を浮かべていたりで、ユーモラスな感じもするのです。
その展示の一部は、このポンペイ展のHPにありますのでリンクしておきますね。→「ポンペイ展展覧会紹介」
心に残る作品は、たくさんあったのですが、今回はなんと閉館まで1時間足らずでしたので、いつも買ったりする絵葉書やファイルのお土産も買わずに、それらの写真を通して出来るお土産話も少ないかと思います。ちょっと蛇足ですが、ファイルなんかもう良いや、無駄だし、と、ふと思ってしまった事を後悔している私です。コレクションと言うのは無駄だと分かっていても集めていく所に意味と意義があるのだと気が付きました。ここで売っていたファイルはみな素敵だったと言うのに・・・・あ~あ。
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上の画像は、「ウェヌス像」で大理石像ですが、かなり印象に残りました。他の像にも感じましたが、布の下の肉感が凄いです。
それにこの像のポーズ、漫画好きの方には見覚えがありませんか。
もう古い漫画ですが、和田慎二の「ピグマリオ」。又も蛇足ですが、この和田慎二という方は、「スケバン刑事」の原作漫画で有名です。かなり角度も違うのですが、りんごなどを持った構図に、なぜかその漫画に出てくる主人公少年の母の姿を連想してしまいました。
漫画家はやっぱり勉強してるよなぁと、こんな所でしみじみと思ったという訳です。
ユーモアと先に書きましたが、いるかのモザイク、働くクピドたちの姿に、それを感じました。お風呂などの高い文明。驚くべきガラスの食器。わずかな時間でしたが、真剣に見ることが出来ました。
およそ1700年前の息遣い、きっとあなたも感じることが出来ると思います。