10日が千秋楽の「ムサシーロンドン・NYバージョン」ですが、私はその前日の9日に観に行きました。ふと気が付いてみると、今年は生お芝居、これが初めてです。どおりで、与野本町の駅に降り立っただけで心がときめいたのですね。
ああ、生お芝居、本当に良いですね。
そう思うと、「黙阿弥オペラ」のチケット申し込みの時、なんでぼんやりしちゃったのかしらと後悔してしまいます。だから、なので、朝からあることを計画して、ずっと時間を費やしてしまいました。って、それは内緒。なんたってくじ運悪いから、そこが上手く行かなければ何も言う事も出来ないお話なんです。
まあ、それは別のお話ですね。
さて「ムサシ」のお話。
ロビーにはロンドンの時のポスターとその劇評が展示してありました。
続きはこの画像の下から
私、思いました。はっきり言って、褒められて当然だと。
お芝居自体、凄くすっきりして凄く良くなっていました。(『凄く』の大放出)。こんなに面白かったかしらと言うくらい面白かったです。
でも「褒める」って、ちょっと難しいものがあるんですよね。一方を褒めると、片方はけなされていないのにけなされたような気持ちに感じてしまうって良くあることじゃないですか。と言うより、良くある事なんです。一方と言うのは、今回。片方と言うのは昨年の「ムサシ」。
両方見た方は、心の中で比較したりしませんでしたか。私はちょっとしていましたよ。あそことかこことか、なるほどなあって。
やっぱり再演の意味と意義はしっかりあるのですね。
でもここで先に書いたことを意識してしまうのですよね。練られたばかりではなくキャストさんも違うわけですから、気を使ってしまう部分です。だからと言って、気を使ったから言うわけではありませんが、小栗君には彼の良さ、勝地君には彼の良さ、凄く感じました。
勝地君の小次郎、とっても良かったです。
ちょっと意外だなと感じた事があったので、ちょっと書かせてくださいね。(何でか、気使っちゃってる?)
勝地君って、コメディ色が強いキャラだと思うんです。例えばクドカン映画や舞台のお気に入りみたいですし、その時のインパクトが残ってしまっていて、前に「篤姫」で大真面目に、だけど素敵に万次郎を演じていた時、何かそのまじめっぷりが二重の演技のように感じてしまったのでした。ところがその勝地君の小次郎、凄くまじめな小次郎でした。
どちらかと言うと、小栗君の方が大人でまじめなキャラに感じるのに、
「勝ちか負けか、それとも不戦勝か。」と言う、私には嵌りに嵌ったそのセリフも、勝地君だとまじめなセリフに聞こえてきました。
それから「18位~!!」とムクリと起き上がるところ。本当に熱に浮かされているように感じました。(また、違う日や映像などで観たら違う印象にも感じるかもしれませんね。)
でも、するってっと~小栗君って言う人は、コメディに向いているんだなあと再認識です。
コメディ部分は前回のほうが「弾ける」と言う視点で言えば、ハジケテいたように思います。
だけどシリアル勝地小次郎、これがまた良かったのですよ。
2200日の恨みの説得力がありました。
メイクもやつれた感じが伝わってきました。
概ねの感想は以前と同じです。(遠まわしに言っている不満以外は。何気なくぶつぶつ言っていた部分、みんな解決していました。)
「ムサシ」→
こ こです。wowowで「ムサシ」→
コ コです。それにコメディ部分はじけてはいなかったのですが、スッキリしていてセリフが良く聞こえてきました。
だけどお芝居は本当に生き物ですね。
また新たに思うこともありました。
と言うか、ようやく気が付いたのでしょうか。
「死ぬな~」
「生きろ~」
「勿体無いよ~」
私、あのシーン好きです。何処が変わったのかは分かりませんが、最初に感じた平板な感じはまったくないし、彼らの話には本当に納得できるものがあります。お芝居で見せる「うらめしや~」、なんと言う発想でしょう。しかもこの幽霊たちは、何気に脅迫してるんですね。私たちの成仏は、二人が戦わなで鞘を納める事にかかっていると。
この脅迫、凄いですね。確かに「お願い」とは言っていますよ。
だけど、イヤだって、どうして言えますか。みんなの「成仏」が掛かっているんですよ。
二人とも鞘を納めないわけにはいかないじゃないですか。
それにこの二人に「今」戦うのを止めろと言っているんじゃないんですね。この先もずっと~。これって生き方を変えろといっている事と同じですよね。
2200日の恨みと上に書きましたが、人の諸々の感情は、時間が奪っていってしまうものだと思います。悲しみすら奪っていく「時間」。2200日と言ったら6年と10日。小次郎は傷が癒えた頃から、その恨みを忘れまい忘れまいと頑張ったのに違いないのです。再びムサシと相対する為に。
何度も出てくる「再び剣を交える事ができる。」←いつもながらの不正確セリフです。
と言うのは、本当はイヤだけれど強がって言っているというわけではないのですね。
「命のやり取り」
この発想は、漫画の「バガボンド」なんかを読むと、凄くよく分かります。
そう云う風に生きてきた男たちの根本から変えてしまう、その数日の夢物語。
だからあの剣を納めるシーンは、圧巻・・あっか・・ちょっとどうだったか忘れちゃった~~
このお芝居、完成したなあと思いましたが、まだまだいけそうと言うくらい奥が深いような気がします。
でもだからこそ、あの沈黙の旅支度が生きてくるような気もします。でも今回、そこも早かったです。この時、私は竜也君しか見ていなかったのですが、もの凄い早さでした。しかも動作が美しい。
美しいと言えば、ご一緒したお連れさんがトイレで「足裁きが美しいんだってね。」と情報を仕入れてきました。でもこれを帰り道で言うものだから、足だけ見ると言う事がなかったんですよね。惜しいです。でも、全体的に美しいと思いました。それは姿だけではなく、セリフの言い方も。今更かもしれませんが、彼は迷いの道を抜けたのかもしれませんね。
ミーハー的なことはともかくですが、
彼らが客席という花道を通って去っていくシーン。
「将軍家指南役が待っているぞ~」と言う声をバックに去っていくムサシ。その時、本当に風が吹いているのかと思うくらい爽やかな顔をして去って言ったのが、凄く印象的でした。
お連れさんは(連れと言っても夫ではありませんからね)、今回が「ムサシ」初体験。
「こんなオハナシだったんだ。面白かったね。」と言いました。
この芝居を見に来る道すがら、
「『ムサシ』は涙不要のお芝居だから気が楽だわ。」と、私は彼女に言いました。
「『身毒丸』のように始まって3分からずっと泣いていたお芝居は疲れちゃって~」と笑っていた私。
でも、実はちょっと泣いてしまいました。
「どんなにつまらない一日でも、どんなに寂しい一日でも・・・」と言うシーン。
たとえ、ただ生きていると言うだけの日であっても、それでも「生きる」と言う事の大切さがメッセージとして伝わってきました。
パンフレットの冒頭のページに井上先生へのメッセージが載っていました。そのラスト一行に
「本公演を追悼公演として、先生に捧げます。」と書かれていました。
先生、メッセージは受け取りましたよ。私はジーンとジーンとしました。生きることへの応援ありがとうございました。
心の中で、そう私は呟いていました。
カテコで珍しく竜也君は笑っていました。勝地君とじゃれあっていたようにも見えました。
「後一回だな~。」とか言っていたのかしら、なんてちょっと想像してしまいました。