〈またも、途中まで書いて放置していました・・・
なんとはなしに気持が落ち着かないことがいくつかあって、ブログに向かえませんでした。でもその中の一つが昨日終わったので、また少しづつ復活しようと思います。〉
思い描いていた春の風景とは違くても、我が家にも徐々に冬の肌寒い季節は過ぎていっているように感じている今日この頃です。
降り続いていた心の中の雨がパッと止み空高く輝く虹がかかるのを夢見ることは、それは幻想なのだと思い知らされても、この徐々に冬が去っていく、この感覚と現実を大切にしたいと思います。
見栄でも強がりでも良いから微笑み続けていれば、やがてそれは顔の輪郭や表情を作り上げ、自分の本当の顔になっていくものだとも思います。
街を歩けば、優しげな顔の人、険しい顔の人、見るから幸せな顔の人、なんとなく不幸顔の人、様々な顔の方がいますが、幸せそうで優しげな顔をしている人の人生が順風満帆であるとは限らないのですね。
あまり深く思慮しない人たちは、時にはそういう顔の人を「お気楽な人」と評価したりもしますが、そう軽く評価する人こそ、自分の人生の浅さを考えるべきなのかも知れません。
ベランダにも色が戻って来ました。
上の写真は、我が家のサフィニアです。これは5月4日に撮ったもので今日はもっと花の色も増えて綺麗でした。この花は昨年の夏からずっと咲き続け、冬の間も一度も、その花の姿を見せなかった日はなかったのでした。
信じられないくらいガーデニングが下手です。盛の季節の時にも他の庭にあるように咲き乱れ丸いプランタから溢れるように咲くサフィニアを育てることが出来ません。
でもそんな私の小さなベランダにいるのに、咲き続けてくれたサフィニアです。
そのサフィニアの1月の画像は→ここです
それからもうひとつ。
こちらはタネがこぼれて、勝手に成長してくれたものなんです。
この花の以前の画像と記事は→ここです
花たちは言葉を持っていなくても、強さやそこに踏ん張って存在し続けることの優しさなんかを私に教えてくれるのでした。
だから緑の指を持っていなくても、ベランダガーデンを止めることが出来ないんだと思います。
同じように存在しているように見えていても、実は常に変化して、ある時は最盛である時は貧弱で、そして復活したり、でもその株は徐々に弱っていき、滅んでいくことは誰にもとめられるものではありません。それでも花たちは咲き続け、私の心を和ませてくれるというのに、ベランダから去った花たちが後の記憶に残ることは極稀なことだと思います。
まるで市井の人の人生のようです。
「それでも私はここにいます。限りの時まで。」
朝日に輝いた花たちが、そう私にささやく時、私も頷いてそっと言うのです。
「Me too.」と。