森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

水曜日に生まれた子供たち

2016-04-08 11:45:15 | 家族スナップ

4月6日は「コンビーフの日」だったらしいのですが、私にはそんな事は、まあ、どうでも良かったわけです。

なぜならこの日はルート君の誕生日。

朝、

「いくつになったの?」と聞く私。

もう子供の年を聞かなくちゃ、良く分からない・・・・と言うか、普段は忘れていたいのです。

だっていつの間にか大きくなってしまって、嬉しい事なのかも知れないけれどなんか寂しいのですよ、それが。

 

ところで子供の誕生の記憶と言うのは、言うなれば私が母になった日の記憶です。

ルート君が生まれた時、私やラッタ君はねー。

 

今年の4月6日は水曜日でした。

そして20数年前のルート君が生まれた4月6日も水曜日だったのですよ。

今では親なんか「オヤオヤ」と言う雰囲気のラッタ青年の3歳の頃は、私にべったりでママ大好きっ子だったのです。それが入院中には一人で横浜の父と母の家に預けなくてはならないわけで、私もとっても不安だったのです。

病院に行く途中で、手を繋いでるラッタ君に言いました。

「今日の夜は『ドラゴンボール』があるから、おばあちゃんたちと一緒に見るといいよ。」って。

そして母にも一緒に見てあげてねと頼みました。

夫はそのアニメが放送される時間には帰宅していませんでしたので、いつも二人で欠かさずにそれを見ていたのです。私もまだまだ若くて、今の子供たちと大差ない精神状態でしたので、子供の為にと言うよりも自分も好きで見ていたんじゃないかと思います。

その『ドラゴンボール』の放送日が水曜日だったので、私はルート君が生まれた曜日を忘れる事が出来ないのです。

そしてついでながらラッタ君は何曜日に生まれたのかと言うと、これもまた水曜日だったのです。

 

ふたりの子供は帝王切開で生まれました。私は生まれる時代を違えたら、最初の子供の時に子と母と二人揃って死んでしまったと思います。今の時代だからこそ、私は母になれたのです。

10月に生まれたラッタ君は、手術日の予約をしました。いつがいいかと聞かれてもさっぱり分かりません。カレンダーを見ると「大安」の文字が。その日を言うと、その日だけは予約がいっぱいだと言うのです。それで早朝手術と言う事を知っていたので、「先勝」の日を選んだのではなかったかしら。

それでその日も水曜日だったのです。

まあ、これも「だから何?」と言うお話だったかもしれませんね。

 

だけどふと気になって、自分は何曜日に生まれたのだろうかと思いました。

今って、こんな風に母(私)の記憶に頼らなくても、チャチャってpcで1分で調べられるんですものね。

ああ、それはそれで便利だけれど、なんかなって感じ。

因みに私は金曜日生まれで、夫は火曜日に生まれたのでした。家族そろって水曜日生まれだったらネタとして面白かったのですが^^

 

ところで私が出産した病院では、帝切は全身麻酔で行います。これを楽と思っちゃいけませんよ。後からが本当に大変なんですよ。でも自然分娩とどちらが大変なのかは争う気もないので、スルーしてくださいね。(時々、不思議な事にリアル知人の中にはムキになる人がいるんだよね。大変さの勝負なんて意味ないよね^^)

麻酔から覚める時、熱い(暑いじゃなくて)寒い痛いが同時に来て、最初の時には自分がどこにいるのか分からなくてパニクリました。

でも二人目の時にはさすがに慣れていたのか、目が覚める時に夢を見ました。

熱風が体を包み凄く不愉快な感じなのに、それでも風は髪を後ろになびかせて、自分が砂漠に近い村にいるのが分かりました。

でも村にいると言っても、その村の上を飛んでいるのです。

「すごーい !!」

私は叫びました。

「やったー !!」

私は斗雲(きんとうん)に乗っていたのです。

夢であっても嬉しかったですよ。

 

一方、お留守番のラッタ君の生活は、母曰く。

「おじいちゃんが使おうと思って、モスボックスを組み立てておいたのだけれど、一日中それをひきづって家中を歩き廻ってたよ。ふと見るとモスボックスの端っこが擦り切れていたの。さっさっとそこを見えないように向きを変えて知らんぷりをして置いといたわ。」

 

私は可笑しくてなりません。

ラッタ君、ドラクエごっこ。

ひとりで冒険の旅に出ていたのでした。

棺を引きずりながら。

 

 

 

 

 

 

 

コメント (2)
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