森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

「春が来ました。」

2016-04-28 00:50:20 | 梢は歌う(日記)

1月から3月の三か月は自分の心の重さと闘って、そればかりに終始しなんとなくお出掛けやお友達とも疎遠になっていました。

肺炎が治り退院した後に夫にはさらに大変な事が起きてしまいましたと、その後の記事内に曖昧な書き方をしてきた私です。

その頃は、検査の結果がまだで病気も確定せず治療も始まっていなかったので、そのような書き方をしていたのでした。

 

夫の病気はリュウマチです。

 

昨年の年末から、薄々とそうじゃないかと思っていた矢先に、インフルエンザにかかりそれが引き金で肺炎になってしまったのでした。そして肺炎治療のステロイドが彼のリュウマチの痛みを知らず知らずのうちに緩和させていたみたいなのです。

退院後の通院で肺炎は完治したとのお言葉を頂き、薬が完全にストップしました。

その時は、その後にやって来る地獄の日々の事など思いもよらず、二人で単純に喜びあっていたのでした。

 

でも薬を飲まなくなった翌日から、その激痛が彼にやって来たのでした。

もちろんすぐに病院に行きました。

きちんと検査をして治療が始まるまで、ほぼですが一か月近くかかりました。その間は痛み止めだけ。

 

ある時何気なく、父のお葬式の時の事を書いた記事を読んでいたら、姑の言った

「苦しむ人を傍らで見守り続ける苦しみ・・・」と言う言葉が目に止まりました。印象に残ったので書き留めたのだと思います。だけど今はさらにその言葉の重みに気が付いた私でした。

痛みで茶わんが持ち上げられない、ボタンがはまらない、立っていても座っていても痛いと言う生活。痛いのは私ではありません。でも本当にそれを何もしてあげられずに見続ける事は苦しいかったです。

毎日が真冬のような寒さに覆われたような生活でした。

 

そしてようやく治療が始まると、やっとやっと、その激痛から解放されることが出来たのでした。

時々は、痛いみたいです。ある時は手首であったりある時は膝であったりするのですが、一番ひどい時ほどではないと彼は言います。

その声は明るくて、丸まっていた背中が伸び、痛みで歪んでいた顔に笑顔が戻りました。

 

ふと出会った友達や、連絡した友達などに、私は好んで

「我が家にもやっと春が来ました。」と言う言葉を使いました。

 

「春が来た」

ああ、良い言葉だなと、私はしみじみと思います。

凍った大地は緩み流れる水は勢いを増し花々は咲き誇るー。

本当はいつだって不安で心配事がないわけじゃないのです。それでも「春が来た」と言う。

発した言葉は種になって、心のどこかに花が咲くような気がするのです。

 

道端の花たち。

 

種が飛んだのか、道端の花とは思えない綺麗さです。

トップ画像のお花、可憐で綺麗でしょ。

 

こんな所にひっそりと咲いていたのです。

 

「瞑想する猫」もよろしく。

 

 

 

 

コメント (14)
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