森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

精霊の守り人/第三回「冬ごもりの誓い」

2016-04-03 16:10:56 | テレビ・ラジオ

<藤原帝目当てで見始めたので、視点がずれた感想を書かせていただきます。>

 

帝がどんどん壊れていきます。

見た目でも目の下の隈が、彼が病んでいる事を物語ってしまうのでした。きっと何日もまともに寝ていないに違いありません。

帝は神経質で穢れを嫌い恐ろしい人です。だけれど宮廷に、彼の本当の味方などいるようには思われず、チャグムの母の二ノ妃すら息子の為には蛇にも魔女にもなりそうな怪しげな雰囲気を醸し出し、彼女が利用している聖導師は、妃の心をくんで皇太子を病に陥れた模様・・・・・・

皇太子の病が手を尽くしたが無理で、医者は一の妃と共に帝にすがるしかないのだと言うのでした。

つまりちょいちょいと治してやってくれと言うのです。なぜなら彼は神と信じられているからです。

でも彼にはそのような力もなく精神的に追い込まれてしまっているのでしょうか。

 

力なきものが、その力に頼られる苦痛。

本当にそれは物凄いものがあると思います。

でも彼は彼の祖先がそうであったように、気弱でちっぽけなただの人間だったと思います。なぜなら、身近で精霊の卵を宿し、不思議さ全開になった者は我が子なんですよ。それを上手く利用する事も出来たはずです。それなのに、排除すると言う選択を取ってしまい周りの者の忠告にも耳を傾けることは出来ません。

 

この国の開国の真実はきっと聖導師は知っているのですね。

なんか物凄い癖モノなんじゃないかと疑っています。

 

かつて遠い昔、聖導師に帝が操られたように、彼もまた何かで操られようとしているんじゃないかなどと思ってしまいます。

チャグムに宿ったものが水の精霊の卵なのでか分かりませんが、水を穢れたモノと忌み嫌い、喉の渇きを癒すために真っ赤な果実を食す帝。

ただ静かに食べているだけなのに、何かの心臓を食べているかのように不気味です。

たっちゃん、良いお仕事をしています^^

 

自分の力はインチキ。そうは言っても正統な後継者であったならば、いくらでもその伝統的政治を儀式絡みにして守っていくことは出来るはず。

それでも身近に本当の力のようなものを宿った者を、息子でありながら粛清しようとする帝。皇太子が病気になると、息子の心配の本心は後継がいなくなること。彼には息子たちへの愛は微塵もないのです。それは彼が同じように愛されて育ってこなかったゆえに愛を知らないのだと、容易に推理できるような気さえしてしまいます。

 

三年後には帝もチャグムもハッピーエンドだと良いのになと、ちょっと難しい願望を抱いているのですがどうでしょうか。

 

それでは視点を戻しまして、普通の感想を少々書いておこうと思います。

さりげなくバルサとジグロの旅の物語は、ジグロの死をもって終わってしまいました。二人の旅の途中でジグロは8人の仲間を殺しました。バルサは彼に

「私は8人を助けるから。」と誓いを立て、彼の贖罪の気持ちを癒そうとします。

ジグロはそんなバルサに

「助ける事は殺すことよりも難しい。」と告げるのです。ジグロにとってバルサとの生活は、とっても張りの有る幸せなものだったのでした。

誰かたった一人でも愛されて守られると言う事は、とっても暖かい素晴らしい事なんですね。

 

チャグムはバルサとジグロの話を聞いて、まだ自分は何と戦っているのか分からないが、強くなりたいとバルサの指導を求めるのでした。

そして精霊の卵を宿した事をもう恐れないと誓うのです。

なぜならその卵を宿したおかげでバルサとダンダと会えたからです。

 

いつかチャグムが王宮に帰ったら、城の外で学んだことが多くて良きトップになるのではないかと思いました。

精霊の卵を狙うラルンガの姿が現れました。

精霊の卵に導かれるように青池に向かう一行。

そこでラルンガから逃れたチャグムは、卵に支配されたかのように体が青く光ると、どこかに消えてしまいます。

 

また来週、とっても楽しみです。

でも一部のラストで、しばらくはオヤスミ。さみし~。

 

精霊の守り人 (新潮文庫)
上橋 菜穂子
新潮社

 

レビューではみんな褒めていますね。凄く気になる一冊になりました。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

#あさが来た 、終わりましたね。

2016-04-03 10:13:17 | テレビ・ラジオ

毎日の暮らしの中の出来事は、「唐突に起きる」と言うものもあるかもしれませんが、たいがいはああなってこうなってと、いろいろと繋がっているものだと思います。

この「あさが来た」は、そのああなってこうなってだからこうなって行ったと言うような繋がりがちゃんとしていたように感じたドラマでした。

一番最初のシーン。

木に登って落ちたと言うのは、ただこのあさと言う少女がお転婆でとんでもない少女だと言う印象を与えるためのモノだけではなく、後に凄く大事な伏線であったことが明かされるのでした。

あさがヒロインの物語ですが、その姉はつとのダブルヒロインでしたよね。

この二人の許嫁は実は逆であり、この木登りの件が原因で山王寺屋からの苦情で許嫁が変わってしまった二人。

 

運命が変わってしまったと言っても良いかもしれません。

いいえ、そうなることが運命だったとしか思えなかった二組の夫婦。

あさと新次郎。はつと惣兵衛さん。

本当にこの二組の夫婦は良かったですよね。

あささんにもいろいろな事があったのですが、はつさんの波乱万丈っぷりには、こっちがメインヒロインでも良かったんじゃないかと思えるような凄まじさでしたね。

 

姑の菊さんは、本当にキツイ姑だったと思います。でもこの人の最後のシーンの

「あの山が山王寺屋なんですなあ。」には泣かされました。

家を守らなくてはいけない。この時代の女たちにも課せられた使命をこの人なりに果たそうとしていて、そして時代の波に乗り切れずに潰してしまった事に対して苦しみ続けた人生だったのかも知れません。

でも自分たちがいて頑張っているところにお家の歴史が続いているのだと気が付いて、そして去って行く事が出来て、本当に良かったと思いました。

新次郎の49日から帰って来たはつ。

寂しいなあと私は思いました。

姑も舅も、最愛の夫も長男もいない家。にぎやかだったのになあ。

でも「おかえり~」と次男夫婦が大きく手を振って迎えます。そして嫁に二人目の子供が生まれる事を知らせるのでした。

「山王寺屋はまだまだこれから。」と微笑むはつ。

白蛇さんと言う無表情な印象だった夫に嫁いだお嬢様の一代記。

はつと惣兵衛さんの物語も本当に好きでした。

 

お菊さんの事を書いたので、あさの姑よのさんの事を言いますと、彼女はこの時代の良き姑の見本のような素晴らしい人でしたね。でしゃばらず夫には可愛らしく、突拍子もない嫁に驚かされても決して意地悪などをしなかったし、姑だからと威張りもしなかったですよね。働く嫁を支えて孫の面倒をみて、時には迷う嫁の背中を押していました。

よのさんもしっかりと家を守っていましたね。

 

そして二人の舅さんたちも良かったです。婿養子だったゆえに少々控えめだった栄達さんは、それでもはつの味方で見ていてホッとする暖かみがありました。近藤正臣さんの正蔵さんは、安心して見ていられる芸達者。病気の床で、新次郎の三味線に耳を澄ますシーンは良かったです。

このシーンの対になっていたのか、病床で三味線を弾く新次郎。その音に家族全員が耳を澄ますと言うシーンは良かったですよね。

 

脇の方々の愛の物語にも泣いたり笑ったりしました。

雁助とうめの物語。

思ったよりしつこかった・・・・・・すまぬ。

雁助が去った後のあさとの相撲のシーンはテレビ前で本当に泣きました。

でもその後のしつこさがあったから、晩年までの茶飲み友達ならぬ生存確認的ペンフレンドになれたから良かったかなと・・・・・・まっ、いいか。

亀助とふゆの物語はコメディ。これはスピンオフで4月23日に「割れ鍋に綴じ蓋」をやりますね。

 

このドラマで人気急上昇になった五代様のディーン・フジオカさんの事は、きっと別の方がたくさん書いてくれるんじゃないかと思うので、私はスルーでいいかなと・・・・ ^^

でもこの人が出てくると、維新前維新後の時代の活気のようなものを感じて、やっぱりこの人は良かったですよね。

と、このようにひとりひとりの事を言っていたら、いつこのダラダラした感想は終わるのかって感じですね。

 

実は私の中では「カーネーション」のようには萌えなかったし「あまちゃん」のように盛り上がることは出来なかったんです。あまり深い感想もなくて朝ドラクラスタではいつの間にかなくなってしまったし、BSと地上波で二回見ると言う習慣もなくなってしまったんです。

別にどこも悪くないですよ。突っ込みたくなることもそんなにないし。でもちょっとつまらなく感じる時もあった。ただそれだけです。

そう言えば「八重の桜」でも、新島襄が寄付金集めや布教に勤めている時や、大学のあれやこれやに奮闘してる時は、なんだかつまらなかったのです。

 

新しい時代を築くドラマの中で、私的には奮戦記が寄付集めになってしまう大学開校物語には萌えないのかも知れません。

あの時代の先人たちの地道な努力があったから、いろいろな道が拓けたと言うのに

あさ的に言ったら

「なんてことを~。」と言う所かも知れませんね。

 

最終回でもきっと作者が言いたかった事をあさの言葉を借りて勉強会で語られました。

良い事を言っていたのだけれど、まったく頭に入ってこなかったんです。

ドラマでは「語る」と言う手法を使って語るのは難しい事なのかも知れませんね。

朝見ているので、まだなんとなくボーっとしているもので、会話でや物語で見せてくれると嬉しかったような気がします。

 

あさはいろいろ頑張ったけれど、やっぱりこの物語はあさと新次郎の夫婦愛の物語だったんですよね。だから最終回までちゃんと新次郎は出てきたんですよね。

婚礼の日に雨が降り、嬉しい時には雨が降ると言った新次郎。

その葬儀の時に一人「寂しい」と庭でなくあさの頭上に優しい雨が降り始めました。

このシーン、本当に泣けました。

 

最終回で新次郎に向かって走り出すあさ。あのシーンは暗にあさのこの世からの退場を暗示していたのかと思いましたが、あさは新次郎が亡くなってから15年後に亡くなるらしいです。ドラマでは6年後とかもしくはそれから1年ぐらい経っても7年後なのであれはイメージなんですよね。

ここまで一緒に歩いてきたぞと言うー。

このドラマの中ではたくさんの人が亡くなっていきました。一代記と言うのはそう言うものなのだと強く思いました。

生きる道は出会いと別れの連続なのですね。別れの悲しみは常の事。だからこそ出会いを大切にしたいと思いました。

 

このドラマをいつもは会社出勤に間に合わずに見ていなかった夫が、毎日病院で楽しみに見ていました。ワタクシ、思わず「まれ」じゃなくて良かったと思ってしまったのは本音です。

それからAKB48の「365日の紙飛行機」が本当に良かったですよね。あの歌、を聞いて元気な朝が始まりました。そして元気なあさの物語が始まって、元気をもらった毎日だったと思います。

 

最後に玉木さんも波留さんも老いた演技が上手いなって思いました。でも新次郎さんは享年63歳(?)、あささんは69歳・・・・・・・えーえーえー?

昔の人は老けていたよねって解釈でいいのかしら。

私的には、あの老け方の方がびっくりぽん !

(いや、あれがその年代の真実なの?buruburu)

と、話が余計な所に落ちて以上終了です ^^ 

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする