森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

パシフィコ横浜で幸せな夜

2019-07-05 00:44:08 | 観劇・コンサート日記

「吉田拓郎コンサート2019-LIVE 73 years-」、7月3日に行ってまいりました。

 

拓郎さんが

「広島から一人で出てきた時には、こんな風にこんな所で歌うようになるとは思わなかった。」と言うようなことを言った時、ちょうど私も同じような事を考えていたのです。

時々目を瞑り、きらびやかに鳴り響くバンドやコーラスの音だけを聴いていました。

ずっとずっと遠い昔、彼は彼のギターとハーモニカと彼の歌だけでステージに立っていたのですよ。

彼目当てに「唄の市」なんかにも行ったのに、客席からリクエスト言われてしまうと、凄くつまらなそうにCMソングを1曲歌って引っ込んでしまったりして・・・・・・・。

ああ、若かったなあ。彼も私も。

 

私、1曲目の「今日までそして明日から」で、もう涙ぐみそうになりました。

この歌は本当に素晴らしい歌なんだって、心の底の底から思っているんです。若い時には気が付かなかったけれど、何歳になってもジャストリアルで心に響く歌なんですよね。

今度のコンサートのタイトルが素晴らしいなと思っているんです。

「LIVE 73 years」

73歳の拓郎さんのコンサート。

なんかね、勇気づけられるんですよ。

別にお歳を召した方が頑張っているとかで勇気づけられると言うわけではないですからね。そこは大事です。

何かを成していくのに年齢は諦める理由にはならないなって言う事で、勇気づけられるのかも。

 

 これはね、コンサートが終了した後の舞台。凄く遠いでしょう。

だって私の席は

 3階の一番後ろの通路側ではない一番端っこ。

これは負け惜しみではないのだけれど、本当に立つも座るも踊るのも自由な席だったのですよ。(歌うのは無しね。)

3分の2は立っていたと思います。だけどじっと座っていた時も。

知らない曲が何曲かあったので、耳を澄まして歌詞を聞いてました。

その中の「運命のツイスト」はやはり新曲だったのですね。

 

今度のツアーは、すべてが彼の作詞作曲の歌で構成されていたのですよね。で、拓郎さんが

「僕の視野はとっても狭くて、僕の歌はその狭い視野で見た世界で作られていて、他の人の広い視野で作られた歌なども歌ってきたわけなんですが」などと

(あっ、いつもながら言葉は不正確です。)、ジェスチャーも交えながら、そう言ったのです。そして続けて

「そんな自分だけの歌を歌い続けて、なんだか贅肉がこそげ取れていくような気がした。」

(これ毎回同じようなことを言っていたのでしょうか。9月になったらwowowで名古屋のライブが流れるじゃないですか。全然違うじゃないかと言われてしまうかも。本当にセリフは不正確なんです。でも内容はほぼ間違いはないはずです。)

この時、私、「分かる !!」って思ってしまったのですが、ここで「分かる」と言ってしまうと、「一体君に何が分かるんだ?! 」と見えない誰かに叱られそうな気がしてしまうので、「何か、好きだな~!」と言っておきますね。

昔から彼の作る曲が好きで、そして歌詞にも共鳴するものが多かったですから。

 

だけどマズイ事に、彼の歌は、私にとって自分のうちなる世界の扉を開ける鍵なんです。

なんか途中でしばしの間、自分の世界に入ってしまい、ちょっと涙ぐんだりしてました。かなり自分にとっては重要なあれやこれやの思考がめぐらされたわけですが、たぶんこの記事に期待するものは、そこまでの内面の吐露ではないはずなので、もうこれ以上は書かないのでご安心くださいね。

 

しかしながら会場はドラマチックでしたよ。

もうこの記事を読んで下さっている皆さんは、他の所で知っていらっしゃると思いますが、あの野太い声で

「タクロー、ありがとう !!!」と叫んだ人は凄く素敵な事をしたと思います。

その声を聞いて、多くの人が共鳴して、その叫んだ声に拍手しました。もちろん私もです。

すると拓郎さんは

「こちらこそありがとう。」と言ったのでした。

 

ドラマチックと言えば、まだ開演前、1階の人たちが急にざわめきだして、2階の方を見だしたのです3階席の前の方の人も、身を乗り出すように下を見ていました。私たちにはさっぱり起きていることが分かりません。

どうもこの時、THE ALFEEの坂崎さんと高見沢さんが席に着いたらしいのですね。

 

ノリノリだったりしみじみしていたり、勝手に泣いていたりと笑ったり、本当に楽しいあっという間に終わってしまった2時間強。

幸せな、本当に幸せな時間でした。

 

と、結んで終わりにしても良いのだけれど、まだあるんで、ちょっと長くなってしまうのですが、良かったらもう少しお付き合いください。

私ってやっぱり変わっているなと思う面が確かにあるなとしみじみと思ったのは、12年前のTシャツなんか着てくる奴なんか他にはいないって事ですね。

ライブの後に会ったラッタさんは「イイじゃないの。古参アピールでしょ。」と言うので、

「違いますよ~。ここからライブチケットが取れなくて、やっと来たぞアピールよ。」と私は言いました。

古参なんて、みんなそうだもん。

2007年なんか目じゃないですよ。中二からずっとファンなんだから、かれこれ何十年ですよ。

本当はチケットを譲ってもらって、2014年にひとりで行ったのですが、だけどあの中二の真夜中、(この話、何回もしちゃいます。)

姉に

「ねえねえ、起きて。」と起こされて

「この歌凄く良いんだよ。」と一緒に聴いた「夏休み」。この時から、姉と私は拓ちゃんファンの相棒なんだもの。一緒に来ると言う事に意味があったのです。

2007年に行けなくなって、その後からもずっと来ることが叶わなくなってしまった人、たくさん居たと思います。

だからあんな一番後ろの端っこだって、凄く嬉しかったんですよ。

 

帰る時、みなとみらい駅の直前のエスカレーター前はチョー渋滞。

ひとりの青年が、

「今日はいったい何があったんだろう。」と戸惑っていました。つい先ほど、1階の人のざわめきの正体が分からなくてモヤッとした気持ちになった事を思い出して、その青年の知りたいにすぐに答えて、私は話しかけました。

「今日は吉田拓郎さんのコンサートがあったのですよ。ご迷惑をかけてすみません。」

すると青年は

「ああ、吉田拓郎さんのコンサートなら仕方がないですね。彼はもうレジェンドのような人だから。」と言いました。そして

「以前はよくテレビに出ていたのに、病気をされたんでしょう? お元気になられたのですか。」と言うので、

「もともと彼はあまりテレビには出ないんですよ。でも今ではすっかり元気ですよ。」

「あっでも、前はキンキと一緒によく出てましたよね。だけど元気になられたんですね。それは本当に良かったです。」とまた青年は答えました。

 

今ではあまりテレビに出ない拓郎と言うイメージはないのですね。

だけど私の心の中には青年の「吉田拓郎さんのコンサートなら仕方がない。」と言う言葉が、ずっと暖かく残ったのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ありがとう。幸せな夜を。

そして幸せな今までを、そしてこれからを。

 

 

コメント (6)
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