【たまには指を折って文字を数えてみた その8】
儚げな 白雪色の花びらの 十月桜が 秋を告げる
※ ※ ※
画像の下にも文が綴られています。
下の画像二枚は、お友達のアイ様が撮影したものです。私の撮ったものが、ボケてしまったので頂いたのです。
またアイ様って誰となると思うのですが、彼女のイニシャルが「I」なので、「アイ」。単純ですみません^^
今年の十月桜は、そのアイ様と見ました。
すっきりとした爽やかな写真ですよね。
ブログを始めた年に、この公園の十月桜の事を知り、それからまるでこのブログと歩んできたように、十月桜は毎年見続けてきた桜なんです。
気持ち的に、このブログの象徴的な花みたいなものかしら^^
それにこの花を見ると、私は父を思い出します。
今ではもう父が居なくなってしまった事にも慣れて、悲しみは薄らいでしまったと言えるかもしれません。でもその悲しみは私にとっては忘れたくない悲しみだと思うのです。
だからこの花を見て、忘れたくない悲しみを、時には思い出してみるのです。
そのようなことを言っていても、別に父はこの花が好きだったわけでもなく、むしろ知らない花だと思います。
毎年見に行っていたその花を、父が亡くなった年には見に行きませんでした。
だからきっと、次にその花を見た時に、父の事を思い出したのかもしれません。
そして人はきっと愛する人が亡くなっても、会話を続けその人との物語を紡いでいるのかもしれません。
十月桜と父とのそれは、彼が亡くなってからの私との物語ですから。
ブログ生活10周年の頃に、まとめて書きました。
「お父さんの誕生日の日を、私たちの「家族の日」にしない ?」などと言っていた昔。
たぶんそんなことを覚えている人は、誰もいないでしょう。
父のお墓参りに行って、その後は決まってみんなでお風呂に行って、はしゃぎながらダラダラと食事して楽しい時間を持った昔。
本当に別に大きな一日ではなかった。
だけど毎年、そんな時間は普通にやって来るのだと思っていました。
そんな小さな楽しい時間でさえも、いつかは終わっていってしまうのです。
スノウさんが亡くなった昨年も十月桜を見に行きませんでした。
「そう言えばあの花、見に行ってないな。」とは思ったのです。だけど「どうでもいいや、そんなものは。」と思いました。そう言いながらも、きっとどこかで気にはなっていたのでしょう。
だから「約8年 その12」と言う記事には、過去の十月桜の写真を載せたのだと思います。
だけど今年は見に行こう。
私はそう思いました。
毎年見に行ってる私には普通の時間。
そんなこともいつかは終わる日が来るのでしょうか。
枝が切り落とされて、小さくなっていました。
あなたにはあなたの歴史があるのね。
がんばりましょうね、粘りましょうね。
などと、十月桜に言う私・・・・。
※ 「あんずとクウと☆ももちゃんも」も更新中です。
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(普通の日記です。)