森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

十月桜と共に

2015-11-15 14:08:30 | メモリーズ
 
十月桜ですよ。
 父からの贈り物父は本当は11月13日の自分の誕生日に死にたかった。世の中ままならぬことは多いが、病気などの自然死においては死ぬ日の予定日ほどままならぬも...
 

 

〈続けての投稿なので、ひとつ前の写真日記もよろしくお願いいたします。〉

上の囲みは昨年の11月14日の記事です。そこに行くと、また昨年の記事にたどり着くと言うツリーになっています。

 

ブログを開いた2006年の9月、公園に散歩に行った私は秋に咲くその花を見つけたのです。

最初は狂い咲きかと思いました。でもこのお花は春と秋の二回開花する「十月桜」だったのでした。

それからほぼ毎年、この十月桜を見続けてきました。

 

ブログの功罪と言う事を考えるとしたら、「功」の部分にあたるのが、自分自身のアンテナの感度が上がった事じゃないかと思います。また「ふーん」「へえ」で流されてしまう日常の出来事を、ちょっとだけ丁寧に見る・考える習慣がついていったのも、それにあたるのだと思います。

「罪」に当たる部分も確かに私の場合はあります。でもそれを打ち消す「功」の部分は、私にはかなり多くの比率をしめていて、この先も止められそうもありません。

この記事はブログ生活10年になる事を意識して書いているメモリーズの記事なので、過去記事を一応リンクしました。

いつも見に行くのは夕方や曇りの日が多く、画像は皆イマイチ。

いえいえ、そうではありませんでした。お天気や時間のせいじゃなくて、私の腕が悪いのですね。

リンクはしましたが、本当に書きたかったことは下の方にあるので、お時間がありましたら最後までお読み下さったら嬉しく思います。

 

十月桜  2006年9月に書いたこの記事は、携帯から投稿したもの。この頃の私の携帯の画像はこんな程度でした。

10月桜その後と事故

2006年の10月に、その後の桜を見に行った画像を載せていますが、内容は友達の車に乗っていて追突されたと言うもの。その中で「警察を呼んでちゃんとしよう。」と私が言ったのは、かつて私に起きた事の反省から来ています。

十月桜

2009年10月。寂し気な画像を撮ったその年の私は仕事は過渡期。でも地域役員の仕事もやりつつ、かなりお気楽にお芝居を見に行ったり映画を見たりとすこぶる幸せな時代で公私ともに充実していた年でした。

10月だと言うのに

2010年10月の最後の日々。忙しいとバタバタしながらも、この花を見に行きブログを書いている私。何かを間違えてないかと思いつつ、脳内整理をブログでしているんだなと分かります。

10月桜の今頃は

2010年11月11日に別ブログ「梢は歌う」の方にアップしたもの。「梢は歌う」は本来の日記ブログの役目を終えて、その頃はツイッターの置場所、題詠ブログの場所としてそれなりに使いこなしていた頃。

月と桜

2011年11月14日にアップしたもの。どうも11月14日は私にとっては「十月桜day」なのかも。この年に入院した私は、この画像を撮ってる時は、体調が復活していなくて、それとは関係ないのに写真はみんなピンボケです。それでなのかそこでもここと同じように過去記事リンクをしています。記事のない2008年のしょぼい携帯画像まで探して載せているのは、体調が悪かったので、今までの事をまとめたいような気持ちになっていたのかもしれません。

束の間の過ぎた日を想って

2012年はないなあと思っていたら、この年の12月にアップしたところに小っちゃく載せてありました。「十月桜」は長々と咲くのです。

2007年と2013年は欠番です。

2007年はちょうど10月ハロウィーンの頃イギリス旅行に行き、その後も川越に遊びに行って、ブログを書いて楽しみ、残りの日々は熱心に仕事をしていました。とても公園に散歩に行く余裕はなかったのですね。

2013年は父が亡くなった年。この年の秋はツリーの記事に繋がるのですが、父のお墓参りに行ったり、またそんな中でも大阪に旅行に出掛けたりで、やはりその公園には足を向けなかったのかもしれません。きっとその年は「十月桜」の存在を忘れていたのに違いありません。

 

それで2014年には、ほぼ忘れかけていたのに思い出し、暗くなる直前にその公園に出掛けたのでした。それが上の囲みの記事なのですが、私はその時のその記事が大好きなんです。

 

今年の11月13日に父の誕生日だからと墓参りに行き姉妹たちで集い合った私たち。それを聞いたルート君が不思議そうな顔をして言いました。

「死者の誕生日の時にも、そう言うことをするものなのかい。」と。

「うーん。普通はやらないんじゃないかしら。うちらだからだよ。」

囲みの昨年の記事「十月桜ですよ。」とそれに続く「赤羽、気をつけて。」その2

に、なぜ11月13日に集まるようになったのかといういきさつが書いてあるのです。

 

物事は絡み合い単体では存在しないと言うお話です。

「十月桜ですよ。」と「赤羽・・・」の記事を読んでも、ピンと来ないと思うのでその絡み合いっぷりを箇条書きに書きますと

 

☆20年近く親交のなかった人の家に、亡くなった旦那さんに線香をあげに行く。その時寒くなって来たから、こんな時にお好み焼きは美味しそうだなと思いながらお店の前を過ぎる。

☆その人と、一緒にその家に行ってくれた友人と3人でランチの約束をする。→それでそのお店を提案。〈この時のメンバーでバンクーバーも日光も行く事になったのです。〉

☆そこのお店が美味しかったから、他の友達を誘ってまた行く事にした私。

☆同時にピグで知り合った人たちとのオフ会企画進行。

☆11月13日、父の誕生日だった事はすっかり忘れて十月桜を見に行き父の事を思い出していた私。

☆14日の朝、操作を間違えて父の伝言の声を聞いてちょっと怖くなる。友人たちとそのお好み屋さんでランチ。「赤羽に行くんだ。」と言うと友人が「赤羽、気を付けて。」と謎の言葉を言い、暗示のような気がして頭が痛くなってしまう。

☆あまりにも頭が痛かったので、もしもの時を考えてオフ会メンバーに連絡を取る方法をちゃんとしようとマメじゃないメールを開ける。そこでgooからの昨年の記事を読んで父の誕生日を思い出す。

☆父の誕生日を思い出した途端に頭痛が治る・・・・・。

 

きっと何か言いたいことがあるんだって、そう思うのも無理がない展開でしょう。

それで考えて生まれた姉妹と母の「家族の日」だったのです。〈その考えに至った理由は「赤羽・・」の記事の下の方に〉

 

2006年からブログを始めて、ほぼ毎年同じ木の「十月桜」を見続けてきました。

父とその花とは何ら関係はないのに、2014年にその花を見て父を思い出したことで、やはり今年もその花を見たら父の事を思い出してしまった私なのでした。

 

今年の記事は 2015年の十月桜

 

 

 

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