先週の水曜日、何気なく一人で入った喫茶店で、話し相手もいないので本を相手にブレイクタイム。だけど、隣に座ったおば様四人組みの話し声が大きくて、同じところを三回も読んじゃったじゃないのよ。
如何に隣の話が盛り上がっていようとも、普段はその会話の内容はわからないものです。だけど、
「一ヶ月2千万」「一年2億」「生活を変えられなかった。」と、そんなキィワードが聞こえてくれば、彼女達が何の話題で盛り上がっていたのかは、今なら誰だって分かることですね。
「change」と言えば、今ならオバマさんの次期大統領の演説を連想するかしら。初めての黒人大統領の誕生は、やっぱり凄いことだと思います。
先週もいろいろな事がありましたね。
筑紫哲也さんが肺がんで逝ってしまいました。それも悲しいニュースでした。彼には復活してもう少し頑張って欲しかったです。
そしてもう一人のテツヤのニュースも、本当に大きなインパクトがありました。おば様たちが喫茶店で盛り上がってしまう気持ちが分かります。
ずっと彼のファンだった人には申し訳ないのですが、私はずっと全盛期の頃から彼が苦手でした。彼の造った音楽が流れない日はないと言う時代があったように思いますが、その音楽も苦手。本当はそんなこともなく、音楽を聴けば、ああこれ好きだわと思う曲もたくさんあると思うのですね。でも、生理的に何か受け付けませんでした。
ただ私には「嫌い」と言う感情は、あまり持ち合わせがなく、「好き」か「興味ない」で成り立っているので、いつしか彼の曲が聴かれなくなっても、全盛期に稼ぎまくったお金で優雅にセレブ生活を送っているんだろうぐらいに思っていましたよ。
小室哲哉氏が逮捕された日、多くの人が「栄枯盛衰」と言う四文字熟語をふと思い浮かべてしまったのではないでしょうか。
ちなみに意味は
―人・家・国家などの勢いにも盛んな時と衰える時のあること、ですよ。
喫茶店での事ををラッタ君に話したら
「人は『掛ける×』の生活をしてはだめなんだと言う教訓だな。1×100で100を出してしまうと、そいつは1かまたは100の生活しか知らない。だけど、1+1+1+・・・で100を出したやつは20の暮らしも30の暮らしも知っていて、変えることが出来るんだよ。
アレッ、俺また良い事言っちゃってない?」と言いました。
「言った、言ったブログに書くわ、それ。」と、ちょっと感心したので褒めておきました。
ところで巷の話題もですが、ワイドショーでも話題独占でしたね。でも、その時掛かっていた曲なんですが、やたらタイトルの「Get Wild」だったように思うのです。興味がないということは恐ろしいことですよ。
私はこの曲が大好きなんです。でも、今までこの曲と彼がイコールで結ばれたことは意識としてはないのです。「意識としては」と周りくどい言い方ですが、知識としては実は知ってはいたんですよね。彼がその曲を歌っていたTM NETWORKから出た人と言う認識・・・・。
この曲はアニメ「シティーハンター」のEDに使われていました。そのアニメが放映されていた頃、ラッタ君は2歳、私は若い母親でした。子供が小さいので、帰りの遅いだんなを待たずに二人だけで食事をしていたことが多かったのです。男達は母と言う名になった女が、子供相手にお気楽な優しい時間を持っているようなイメージがあるかもしれませんが、話し相手にもならない幼い子供と二人だけの食卓は、時には若い母親になんともいえない寂しさと不安を感じさせるものがあるのでした。私のように大家族で育ったものには、特に辛い時間帯でもありました。
そんな時、子供と一緒に見るわけでもなかったのに、そのアニメが時にはなんとなくかかっていたりする事もあったかも知れません。
世間的には絶大な人気のあったアニメでしたが、コメディであったこと、子供が小さかったこと、ヒロインが好みでなかったことから、そんなに好きなアニメではありませんでした。
が、そのラスト、物語の終わりから音楽のイントロが入りそのままEDが流れるそのスタイルが、もの凄くかっこ良かったのですよ。そしてその音楽を聴くと、また元気が出るのです。
「何も怖くない~」
なんだか、励まされているような気になりました。
たまたまですが、「相棒ー還流」でも「フェルメール展」の記事でも「音楽の力」と言う事に触れましたが、「Get wild」には人の気持ちを高揚させる何かがあったかもしれません。
だけどこんな事件があったからといって、急に感傷的になり、今まで興味のなかった人に応援しているみたいなことを言う、そんなつもりはぜんぜんありません。ただ皮肉にもワイドショーで繰り返し流されたことにより、小室哲哉という人が若き日の私を励ましてくれた曲を作ってくれた人とイコールで結ばれてしまったのでした。
ちょっと驚いたことに、彼はこの曲をglobeで出す予定だったとか。
甘ちゃんな私などは
「ああ、彼は原点に戻ろうとしていたんだわ。」などと言ってしまいそうですが、ナわけありゃしませんて。
でも、起死回生の選択だったのかも知れませんね。
錬金術ではない音楽の力・・・・
そんなことを呟いたら、子供を膝の上に乗せて、ワクワクしながらアニメの音楽を聴いていた、20代の私の顔がふと浮かび消えていきました。
遠い昔・・・、それは彼にとっても・・・。
如何に隣の話が盛り上がっていようとも、普段はその会話の内容はわからないものです。だけど、
「一ヶ月2千万」「一年2億」「生活を変えられなかった。」と、そんなキィワードが聞こえてくれば、彼女達が何の話題で盛り上がっていたのかは、今なら誰だって分かることですね。
「change」と言えば、今ならオバマさんの次期大統領の演説を連想するかしら。初めての黒人大統領の誕生は、やっぱり凄いことだと思います。
先週もいろいろな事がありましたね。
筑紫哲也さんが肺がんで逝ってしまいました。それも悲しいニュースでした。彼には復活してもう少し頑張って欲しかったです。
そしてもう一人のテツヤのニュースも、本当に大きなインパクトがありました。おば様たちが喫茶店で盛り上がってしまう気持ちが分かります。
ずっと彼のファンだった人には申し訳ないのですが、私はずっと全盛期の頃から彼が苦手でした。彼の造った音楽が流れない日はないと言う時代があったように思いますが、その音楽も苦手。本当はそんなこともなく、音楽を聴けば、ああこれ好きだわと思う曲もたくさんあると思うのですね。でも、生理的に何か受け付けませんでした。
ただ私には「嫌い」と言う感情は、あまり持ち合わせがなく、「好き」か「興味ない」で成り立っているので、いつしか彼の曲が聴かれなくなっても、全盛期に稼ぎまくったお金で優雅にセレブ生活を送っているんだろうぐらいに思っていましたよ。
小室哲哉氏が逮捕された日、多くの人が「栄枯盛衰」と言う四文字熟語をふと思い浮かべてしまったのではないでしょうか。
ちなみに意味は
―人・家・国家などの勢いにも盛んな時と衰える時のあること、ですよ。
喫茶店での事ををラッタ君に話したら
「人は『掛ける×』の生活をしてはだめなんだと言う教訓だな。1×100で100を出してしまうと、そいつは1かまたは100の生活しか知らない。だけど、1+1+1+・・・で100を出したやつは20の暮らしも30の暮らしも知っていて、変えることが出来るんだよ。
アレッ、俺また良い事言っちゃってない?」と言いました。
「言った、言ったブログに書くわ、それ。」と、ちょっと感心したので褒めておきました。
ところで巷の話題もですが、ワイドショーでも話題独占でしたね。でも、その時掛かっていた曲なんですが、やたらタイトルの「Get Wild」だったように思うのです。興味がないということは恐ろしいことですよ。
私はこの曲が大好きなんです。でも、今までこの曲と彼がイコールで結ばれたことは意識としてはないのです。「意識としては」と周りくどい言い方ですが、知識としては実は知ってはいたんですよね。彼がその曲を歌っていたTM NETWORKから出た人と言う認識・・・・。
この曲はアニメ「シティーハンター」のEDに使われていました。そのアニメが放映されていた頃、ラッタ君は2歳、私は若い母親でした。子供が小さいので、帰りの遅いだんなを待たずに二人だけで食事をしていたことが多かったのです。男達は母と言う名になった女が、子供相手にお気楽な優しい時間を持っているようなイメージがあるかもしれませんが、話し相手にもならない幼い子供と二人だけの食卓は、時には若い母親になんともいえない寂しさと不安を感じさせるものがあるのでした。私のように大家族で育ったものには、特に辛い時間帯でもありました。
そんな時、子供と一緒に見るわけでもなかったのに、そのアニメが時にはなんとなくかかっていたりする事もあったかも知れません。
世間的には絶大な人気のあったアニメでしたが、コメディであったこと、子供が小さかったこと、ヒロインが好みでなかったことから、そんなに好きなアニメではありませんでした。
が、そのラスト、物語の終わりから音楽のイントロが入りそのままEDが流れるそのスタイルが、もの凄くかっこ良かったのですよ。そしてその音楽を聴くと、また元気が出るのです。
「何も怖くない~」
なんだか、励まされているような気になりました。
たまたまですが、「相棒ー還流」でも「フェルメール展」の記事でも「音楽の力」と言う事に触れましたが、「Get wild」には人の気持ちを高揚させる何かがあったかもしれません。
だけどこんな事件があったからといって、急に感傷的になり、今まで興味のなかった人に応援しているみたいなことを言う、そんなつもりはぜんぜんありません。ただ皮肉にもワイドショーで繰り返し流されたことにより、小室哲哉という人が若き日の私を励ましてくれた曲を作ってくれた人とイコールで結ばれてしまったのでした。
ちょっと驚いたことに、彼はこの曲をglobeで出す予定だったとか。
甘ちゃんな私などは
「ああ、彼は原点に戻ろうとしていたんだわ。」などと言ってしまいそうですが、ナわけありゃしませんて。
でも、起死回生の選択だったのかも知れませんね。
錬金術ではない音楽の力・・・・
そんなことを呟いたら、子供を膝の上に乗せて、ワクワクしながらアニメの音楽を聴いていた、20代の私の顔がふと浮かび消えていきました。
遠い昔・・・、それは彼にとっても・・・。