人は「ここではないどこか」で非日常なるものを求めて、旅に出るのかも知れないと思っていました。
(ここで「ここではないどこか」と言う言葉を使うなんて、この人、『ダイナー』を見て来たんだなって、分かる人には分かるなとほくそ笑んでいます。)
非日常なるものなんて言っても、せいぜい家事もやらず仕事も休んで、まだ見た事もないものを見て心を動かす程度の事なんですよね。
そんな程度の事などと言っていますが、そんな程度だから良いのだと思います。(あっ、『ダイナー』の感想っぽくなっている?)
だけど非日常の中で見るべきものを見る目と言うのは、実は日常の中で培われた物以外のものではないのですよね。
旅することを面白くする力は、本当は毎日の暮らしの中にある日常と言うモノなのかも知れません。
※ ※
(星子さん撮影)
人がいない全景の画像が無かったので、頂きました(ここで報告^^)
カッパドキアでは普通の人たちが、このような岩の中の家に住んでいます。かつてはキリスト教の修道僧が住んでいたとか歴史的な物があるのですが、今では新しい人たちが自由には住めないし、また中を自由気ままに削ったりすることも出来ないそうです。
世界遺産とか文化財になることは、住人にとっては結構大変な事なんですよね。
そんなカッパドキアの一般の家を訪問出来たことは、とっても興味深いことだったと思います。もちろん今回のツアーの観光コースに入っているもので、特別なアプローチをしたわけではありません。
この家は、外観は撮影できても家の中は一般の方のプライベートな所なので、撮影は許可を取ってからにしてくださいとガイドさんが言いました。当たり前の事ですね。
だけど誰も、その許可を得ようとはしませんでした。
私自身も撮ろうとは思わなかったのです。やっぱり人の家の中をテレビの取材でもないのにバチバチ撮るって、なんか変ですものね。
トルコ絨毯の敷き詰められた広いその部屋は、けっこう居心地が良かったです。夏は涼しく冬は暖かいと言いましたが、それは容易に想像がつきました。代々彼らがこの家に住む条件としては、三階に今でもあるキリスト教の教会を掃除する事なのだそうです。
そしてそこは誰も使ってはいけないし、入れてはダメなんだそうです。
本当のことを言えば、その教会を見てみたいなと思ってしまいました。
ちゃんと掃除しているのかのチェック・・・・・・・・なーんてことではないですよ。
なんだか普通の人々が毎日の暮らしで守っているものを垣間見たいような衝動にかられたのです。もちろん叶わない衝動です。
トルコ絨毯を織る器械が置いてあったり、小さな窓辺にはミシンが置いてあったりと、なんとなく丁寧な暮らしぶりがうかがわれました。もうすぐ結婚する娘の為に、午前中は買い物に行っていたなどと言う、かなり立ち入った普通のお話などを、配られたチャイなどを頂きながら聞きました。どうも子供たちは、この家の生活を喜んではいないみたいです。
そりゃ、このように特別な家に住んでいたら、それこそ「ここではないどこか」を求めたくなるかもしれません。
チャイを配る時に、この家の息子さんが一生懸命にお手伝いをしていました。中学生ぐらいの少年です。
― ああ、この子がこの家を継いでいくんだな。
と、話の流れで、なんとなくそんな事を考えていました。
帰る時、そこの家族が見送ってくれました。
だけどその時私は立っている少年の機嫌の悪さを感じてしまいました。それは自分の仕事柄なのか、子供の微妙な感情に敏感に気付く事も多いのです。(もちろんすべてにと言うわけではありません。)
そんな時は、覚えたてのトルコ語の「ありがとう」です。この言葉は魔法の言葉でそれを言うと、如何にツンと取り澄ました若い人たちでも、みな素晴らしい笑顔を私に見せてくれたのです。
そして私はその言葉を少年に言いました。
すると彼は、ぐっと背筋をそり返し顎をあげ、偉そうに、うんうんと二度頷いたのです。
私は一瞬
「このクソガキ !!」と思いました。(お言葉が下品ですみません。心の中の言葉は自由自在です^^)
だけどそれは本当に一瞬の事。きっとこの少年は、きっと今日は友達と遊びたかったのかも知れないなと思いました。だけどお父さんに、「今日はお客さんがたくさん来るからお母さんを手伝わなければいけないよ。」と言われてしまったのかも知れません。
結婚と言うものは、別に自由に羽ばたける手段と言うわけではありません。ただこの家を出て行く理由にはなるわけです。観光客が家に来るのも、ただ親善の懸け橋と言うわけではなく、この家にとってはある意味副業だと思います。もうすぐいなくなる姉妹がいて、たぶんこの先もこの家を守るのではないかと思われる少年には、このワイワイと帰るために戸口に向かう日本の人々がどんな風に見えていたのでしょうか。
ほんの短いその瞬間、そんな事を思いながら戸口に向かったのでした。
ちょっとここからは蛇足で書くかどうか迷いましたが、あえて書く事にしました。出来るならば、添乗員やトルコのガイドの人の目に留まって欲しいと思っています。
戸口に向かった時、星子さんが
「えっ!?」と言いました。
するとそこのお母さんかおばあさんが、彼女の首にいきなり、こういっては何ですが、まったく似合ってないピンク色のスカーフを巻き付けたのです。
「ええ ? どうしたと言うの ?」
するとその女性が、甲高い声で
「ウッテイルノヨ!!」
と言いました。
私は吃驚しました。いや、売っているのはすぐに分かったのです。吃驚したのは、彼女の「いるのよ」と言う言葉です。
「売ってます」の「マス」でも無ければ、「売ってる」でもない。「いるのよ」とは、日本語的に、簡単なものなのでしょうか。
確かガイドさんは、個人旅行でここにふらりと来ても、日本語が分からないので対応できないと言ってなかったかしら。
と、そんな事を考えていたら、流れに沿って外に出てしまいました。
そうなんです。
玄関なので流れがあるのです。星子さんはそのセンスの悪いスカーフを外す事だけを考えて外に出てしまったと思います。
バスに戻ると、ある人はネックレスをつけられて、それを外そうとするのに必死になってしまったと言っていました。
するとある人が、数本のミサンガを買ってバスに帰ってきました。
たぶんその人は最後の方で出たのだと思いました。
「孫にイイかなと思って。」と彼女は言いました。
私、本当はこの時、モヤモヤしていました。彼女の甲高い声が頭の中に残ってしまったからなんです。
パッと見た時にこれと言って欲しいようなものはなかったのです。でもそれは本当にパッと見ただけ。もう少しじっと見たら、何か欲しいようなものが見つかったかもしれないのです。
出来たら、彼女の「ウッテルノヨ !!」にほんのちょっとは貢献したかったのかも知れません。
だけどやり方が非常にへたくそなのではないかと思いました。人の首にいきなり着けるなんてダメなやり方ですよね。
ミサンガを買った人が言っていましたが
「お茶を飲んでいる時に、回せば良かったのよ。本当にガイドさんは自分の利益になることは一生懸命でも、こういう事には無頓着よね。」と。
私は本当だなと、深く頷きました。
と言うわけで、
「ふーん、トルコ旅行記かどれどれ。」と目にした添乗員さんガイドの皆様、そこの所は少し考えてあげてくださいね・・・・
などと、思っているのですが・・・・・・・・
まあ、この先は、この事は私的には忘れてしまおうと思います。
あっ、少年の偉そうに二度うなずいた顔は忘れたくないですね。
今思い出すと、ちょっと憎たらしくて、そして可愛いです。