森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

「フェルメールと17世紀オランダ絵画展」と上野

2022-03-27 01:44:24 | お出掛け日記

25日の日に行ってまいりました。

この絵画展は、まさにフェルメールの「窓辺で手紙を読む女」を見るための美術展だと思いました。

 

1979年X線調査で、キューピッドの絵が塗りつぶされていることが判明。だけど長年、それがフェルメール自身の手で塗りつぶされたと信じられてきたのです。ところがその後の調査で、それは他の者の手でフェルメールの死後塗りつぶされたことが判明し、2018年2月に元の姿に修復されることが決定されました。

そして大規模な修復プロジェクトによってキューピッドの画中画が現れ、フェルメールが描いた当初の姿となったこの作品を、所蔵館であるドレスデン国立古典絵画館でのお披露目に次いでの公開で、しかも所蔵館以外での公開は、世界初。

 

本人が消したと他の者が消したでは、本当にまったく意味が違いますよね。本来の姿が戻って来て、心から良かったと思いました。

 

今回のチラシも、ちょっと工夫がされていて面白く感じました。

 

 

だから、私自身のお土産も

この二枚の絵葉書にしました。

 

私は結構、美術館で人が話している言葉を拾うのが好きなんです。

だいたい美術館と言う所は、本来は人がおしゃべりするところではないんですよね。もちろん今はコロナがありますから尚更です。それでも絵を前にして出てしまう声には、自分とは違う視点も含まれていて、「なるほど」と心の中で思う時もあるのです。見知らぬ人で聞く意思もなく聞こえてきてしまった言葉なので、もちろんお返事などしませんが。

ところが今回は、何で今そんなに大きな声で、あなたの感想を話す必要があるわけとなりました。

修復された絵をみんなが観に来ていると言うのに、その絵の前で、つまり見ている人の群れの中で

「ない方が良いな。」

こんな元も子もない感想は、後でお相手の奥様と家とかで語って下さいと思ってしまいました。

ただ、この人が思った事を否定するつもりなどはないのです。

 

会場にかかっていたキューピッドのない絵は、もちろん複製画です。だけどその絵をしみじみと見た後で、修復されたオリジナルを見ると、絵画絵が大きくて、ない方がすっきりと見え戸惑うと言うか、何かザワザワするものを感じたのは、実は私もです。

絵が塗りつぶされた真実は不明ですが、その理由として考えられるひとつに「その時代の美意識によって」というものがあげられていたように思います。

またこの時代のフェルメールはまだ無名。レンブラントは既に著名な画家でした。この作品は最初はレンブラント作と言われていて、より彼の作品風に近づけたのではとも推測されています。

今の時代からしたら、とんでもない暴挙のような行為も、この時代のそれを行った「ある者」からしたら、実に単純な理由からだったと思います。

「高く売れるから。」

そんな所じゃないかと思うのですが、そのある者も無い方が良いなと思ったという事なのでしょうね、きっと。

実は後から合流したご一緒したお友達に、この大きな声の「ない方が良いな」おじさんの話をしたら、そのお友達も「私もそう感じた。」と言いました。

でもこの時、私の中ではある程度考えがまとまっていたので、そんなお話を語り合って良い時間が持てたような気がしました。

 

私は、何か気持ちがざわついたので、この複製画とオリジナルの間をしばしウロウロしていました。

確かに何もない空間に、ほとんどの壁面を埋めて絵が出てくるわけですから、そりゃ、前の絵をしみじみと見た後では「うわぁっ !!」となるってものですよね。何もない絵がスッキリ見えるのは当たり前のことです。

だけどこの絵は、この塗りつぶされた黒歴史があって良かったような気がしました。だからこそ分かる、このキューピッドの絵の大きさの意味がと言う感じがしました。

何も壁に絵がない方は、寧ろ何もないがゆえに、彼女の心の中の空白を意識させ、彼女が読んでいる手紙は、別れの手紙や会えない言い訳の手紙、戦場に出向いた夫からの手紙、または母親からの叱咤の手紙、そんなものを連想させるのでした。ですが壁面を埋めるキューピッドのある方の絵は、逆に恋人からの愛の手紙、離れて暮らす夫の帰還が近づいたと言う近況の知らせ、母親からの娘の生活を気遣う暖かい手紙、そんなプラスを感じさせるものを連想させるのでした。

そして絵画絵が大きいのは、彼女の心の中に広がる明るい希望の大きさなのではないでしょうか。

何度も何度も見返しているうちに、やっぱり「ある方が好きだな。」となりました。

また人の好みは千差万別だけれど、何よりも大切な事は、人の好みは関係なく原画を守る事だと思います。

 

他の方の作品はHPに少々載っていますが、ほぼ下記に載せたチラシと同じです。

 

この時代の流行りなのか、壁の色は暗く、風景画も青空に真っ白な雲と言うのはなくて、皆グレーの雲が混ざっているちょっと重い空が多かったです。

17世紀のオランダ絵画の色彩は、あまり好みではないかも知れないと思いました。

ただ室内絵の人々は、皆日常の一こまを綺麗に切り取られ描かれているなと思いました。

 

前に「フェルメール展」を見に行ったのは、2008年だったのですよ。もう月日がたつのが早すぎて、涙が零れそう・・・・。

その時の記事は・「フェルメール展」―光の天才画家とデルフトの巨匠たち<その1>

「フェルメール展」―光の天才画家とデルフトの巨匠たち<その2>

「フェルメール展」―光の天才画家とデルフトの巨匠たち<カレル・ファブリティウス>

上にリンクした記事の中に

> 確かにこの時代の絵画は、「鳩は」何々を表し、「キューピッド」はこういう意味であり、「飲酒」は誘惑「リュート」は恋の気持ちなどと、描くものに意味が込められていたりすることが多いと思います。「フェルメール展」の音声ガイドでもそのような説明が多くて、ちょっとその部分に関しては、鬱陶しいような気分にもなったものです。その時代は、絵画に戒めや教訓を込めることが流行っていたのでしょうか。

 と書いてあるのですが、その考え方で言ったら、「手紙を読んでいる女」の相手は不倫相手になってしまうらしいのですが、それは私的には、かなりツマラナイかもしれません。

 

買って来たお土産。

上野の桜は

この日の「花より団子タイム」

 

上野駅では、彼が頑張っていました。(一人です)


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