世の中、訳の分からないことばかり。
でもこの話題は世間の、難しいor社会的な「訳の分からない」話ではなく、日常的なおば様たちの会話の話で、レベル低いと言われれば反論の余地はないのですが、裏を取らずに脇固めずに、お気楽に書ける話題です。
ここ数年で、一番訳が分からないと思った話。 ???
その1、
昨年、私がラッタ君と「スィーニ・ドット悪魔の理髪師」と言う映画を二人で観に行き、その翌週ルート君と「ジャンパー」と言う映画を観に行ったということを話題にした時、友人が言った一言。
「どっちと仲良しなの?」
その2、
ある時のお食事会で、韓流スターに夢中な友人の噂話が出ました。そのことで韓国語を習ったり、韓国に行ったり・・・。
愛の力は偉大なり。
友人が「いいよねえ、何かに夢中になったり、誰かに夢中になれる『心』が羨ましいよね。」と言うので、ついワタクシも
「クフッ 近頃、藤原のたっちゃんなんかがワタクシも気になってしまって・・」と言いました。で、言った友人の一言。
「藤原竜也じゃ、相手として若すぎない?」
その3
この季節、意外と考えることは同じ。今の仕事に見切りをつけて次のステップに行こうと考える人も多いみたいです。つい最近のミィーティングでそういう人とお茶を飲んだ折、その人が嘆いて言うには
「私は今までは、それなりにこの場所が発展するように心砕いて来たつもり。でも辞めるといった途端、今日ここに来たらマネジャーは挨拶もしてくれなかった。」。
その話を、私は別の人に電話で噂話。が、その友人が自信たっぷりに言った一言。
「甘いのよ。辞めるやつになんか挨拶なんかする必要なんかないじゃない。してもらおうなんて甘いことを考える方がおかしいのよ。プロなんだから。」
その1で私がしたお返事。
「どっちとも。」
私にとって二人の子供は、雨の如く大気の如し。二者選択の道などあるわけもないでしょう。
でもこれって世間様ではまかり通る質問なわけですか。
その2で私がしたお返事。
「なんの相手じゃ?!」
でもこんなシーンがあったなら・・・
私は物思いに沈みながら人通りのない裏道を、カサをさして歩いていた。自分の世界にすっかり入り込んでいたので、私の目線は一歩前の道路にばかり行っていた。と、突然その視界を長い細い足が遮って、吃驚して私は前倒しになっていた傘を起こし、その遮っている足からずっと上に目線を上げていった。
「うつむいて歩いていては、危ないよ。」と青年は言った。
で、その青年がたっちゃんだったら・・・
ああ、確かに彼は若すぎる。なんで私は今22歳ではないんだろう。24歳でもいいや。・・・・と、嘆くでしょう。
だけど別にそんな奇跡は起きないし、私は客席のイスにもたれ、舞台の上の彼の演技をじっと見ているだけ。そしてそれが私の幸せで、年齢なんて関係ないと思うのですが。
その3で相手の言葉を遮って私が言った言葉。
「そう、プロよね、マネージャーも。辞めていくものにも挨拶するべきなのよ。」だけど彼女は続けた。
「私だってしないわよ。」
だから私は黙るしかなかった。その次に続けようと思っていた言葉が言えなくなってしまったから。
「要はね、人間性の問題なのよね。」と、私はその言葉は飲み込んだ。
先日の私の体調は超バッド。急いで病院に行き、めまい止め、抗生剤にアレルギーの薬をもらってきました。その日はまたもミーティングの日。朝から急いでいた私は連絡していないことを思いだし、電話を入れました。
「すみません、病院に行っていたので・・」
でも彼女は、こういう場合の挨拶「どうしたのですか。」もなくて、話を遮り
「いつ資料を取りに来ますか。」と言ったのです。
実は私はここ数ヶ月、信じられないかもしれませんが体調不良。腰痛って結構大変なのよ。でも、いつも不良を訴える私の病気は仮病に聞こえたのかもしれませんね。しかも今ではない未来に辞めることは伝えてある私なので、そんな挨拶は無駄と思ったのでしょうか。
でも、ダメなんですよ。(思わず彼女に)たとえ50万歩と言うか地球の裏側までの歩数を譲って(なんだか怒りが・・)、私が仮病であったとしても、私が病気と言ったら「お大事に。」ぐらいは言え。人間のプロじゃないのか。
と、思わず怒りに打ち震えて書いてしまいましたが、人との別れ際って大事ですよね。私にも実は失敗してしまったエピソードはありますよ。でも別れ際に、その人がこれからの味方になるか敵になるかが決まるのですよ。
去りゆく人にこそ頭を垂れよう。
三月は別れの季節です。自戒の意味をこめて、自分のために書いておこうと思います。
あ、はじめに。
挨拶のこと。お話に頷きつつ。それはそれ、これはこれ。のうえで。
のお返事、ありがとでした。
で。先の製作中。そんなようなことが、こちらもありぃの。仮病に見えたか?っちゅう。なんとか事なきを得ましたが。
kiriyさんにおかれましては、仕事に穴をあけることなどを考えて事前に説明されることもあったでしょぅ。というか、こちら、状況にもよりますが、そうしたら、逆効果になったなときもありましたねぇ。
しかし、それはそれ、これはこれ。はい。挨拶などに抜かりはなかったかを振り返りつつ、来る別れの式に備えます。
いづれ。しんどいときは、誰がなんといおうと、動かないことっす。ね。とはいえ、家事などでも何かと悩ましいこともあるかと思われますが。息子さん達がきっと、これからますますナイスな存在に、なるよな?次第によっちゃあ、蹴りにいってやる。と。見ず知らずの、通りがかった女が申しておったと、お伝えください。
子供が病気になってお休みの電話を入れても、「こんな時に病気になんかしやがって。」と悪態をつかれた話などよく聞きますよ。(それも訳の分からない話ですね。)
私は基本的に人にも甘く、自分にはさらに甘い人なんですよ。
だから上に書いたことなんかは、それこそあなたが甘いのよと言われても仕方がないところかなとは思うのですよ。
そうそう、連絡は先に入れても後に入れてもこの場合は、彼女の態度は変わらなかったと思うのですよ。(この連絡は実は後からでも大丈夫なのです。)要するに辞めていくやつに挨拶はいらないと言う発想の流れだと思うのですね。
連絡ナシで、その人が来なかったら、まず普通は「今日はどうしたのか」と、その言葉が出ませんか。つまり、信用がないんでしょ。
そう思っているのなら私も楽でいいのですが、でも今まで培ってきた人間関係はどうなってしまうのでしょうね。
先に他の人の嘆きの言葉を聞いていなかったら、私はそれなりに傷ついたと思います。
私が人に甘い点は、その人が病気と言ってきたら、明らかに違うと分かっている情報があっても「病気」と言わざるを得ない事情があるんだなと、考える所です。
でもこれは仕事から来る発想で、そうしないと大切な何かを見落としてしまうからなんですね。
甘くて良い部分は、甘くて良いのではないかしら。それこそ目を吊り上げて怒らなければならないこと、世の中たくさんあるのですから。
と、また長文になってしまいました・・(汗)
お気遣いのお言葉ありがとう。
二人の子供は結構優しいのよ。
>次第によっちゃあ、蹴りにいってやる。
えっ?
ちょっと怖い(笑)
でも、ありがとう。嬉しかったです。
ければ聞いて♪
友人が野菜を包丁で切りながら「昔infiniteの家に遊びに行って、
君は肉じゃがを作っていたのよ。で見ていたら面取りをしないか
ら『どうしてしないの?』と聞いた。君は『・・・身が減るじゃ
ん!』と言ったのよ。その名言今でも我が家じゃ語り草よ~。野
菜見るたびに思い出して、家族一同吹き出すのよ~。」
どうもその家族の円満さに一役買っているみたい。
そして教訓。
何気に冗談を云った場合、白けるのも怖いけど受け過ぎても20
年位は巷を流れるすきま風になるようで。
って真面目な記事にしょうもないコメですみません。
KYと言われる私からじゃ何のお役にも立てないでしょうが、世知
辛い世の中に生きていて役に立たない者は切り捨て御免。
それに乗りきれない我が家の息子たちはこれから厳しい世の中を
存分に味わうのでしょう。
「相手の事を考えて。」と言い続けてきたのを後悔する事も時折あ
ります。
年々モンスターが増えているのは確かです。
日本人なのに日本語が通じないのは辛いですね。
でも苦しむのは周りの人の分まで考えるからこそだと勝手に思い
込んで自分を納得させています。
じきに別れがあるとしても、建て前と本音などと言うと聞き様に
よっては狡さが先立つように聞こえる事もありますが、時には人
同士の付き合いに終止符ではなく未来に繋がる縁をもたらす事も
あると思います。
いつ何時誰のお世話になるかもしれない。
未来の付き合いまで自ら潰す事もないと思いませんか。
ただしうっかり長男とちゃっかり次男、どちらもお人好しなのが
悩みの種で・・・;一_一
「甘いのよ!」のお方に厳しく鍛え直していただいた方が彼らの為かも・・・と一瞬読んでいて我が家とは別の異空間に迷い込みました。
そうほんの一瞬。
>甘くて良い部分は、甘くて良いのではないかしら。
うん。そう思うっす。
こちらも、自他ともに甘いうえ、なまけもの。
用がなけりゃ1ミリたりとて動きたくない。用がある場合、一番簡単な方法を探して用足しするんす。
で、「病気」といったら「病気」なんすよね。それ以上でも以下でもなく。
我が家には、ひと疑っちゃいかん、てなじいちゃんの遺言があって。こぅ…、一見、素晴らしそうにも聴こえるんすが、疑ってもつまるとこわからんのだから時間の無駄、てな意味でも、案外合理的だな、とも思ったり。
仰るとおり、そう言わざるを得ない事情、は可能性としてうんとこさ考慮する。
相手を思いやる、というのはとても素敵な気持ちだけれど、個人の考え方として、自己犠牲的な感覚に陥り過ぎてしまうと、たぶんしんどい。
ただ可能性として考慮する、博打のような天気予報のような・・は、いや昨今、的中率の精度は格段にあがりましたねぇ。。
ま、そんな可能性は、返って出来る限り考えますね。
で、なにかの可能性のいっことして、上記様の、未来の付き合いに繋がるかもしれない道筋、は、自分も閉ざすことはないな、と思います。って、
>自戒の意味をこめて、自分のために書いておこうと思います。
これはまさに、そういう意味で、書かれたものと思う。
「今日はどうしたの」「お大事に」などや挨拶って、まず相手を受容する合図のようなもんかもしれませんね。
ルールは最小にとどめ、融通のつくものにしておきたいっすねぇ。
で、これを様式として”守る”。
この様式のいっこの形が、礼、で、もっぱら挨拶として言葉になってるんかな、とも思ってます。
すっごい長文、ご容赦。はいるかな・・
天地人いこおもたんすが、、またいづれ~。
とんでもないですよー。私ね、この記事は本当は「その1」と「その2」のことが書きたかっただけのお気楽記事だったはずなんですね。それじゃ、あんまりアホだなと思って「その3」を入れたのですが、なんとなく感情移入度大になってしまったのですね。
でも、なんかしみじみしちゃいました。
面取りエピは、変な言い方ですが、お心が微妙に良く分かりました。サービスの気持ちで言った軽い冗談だったのに、さながら何かイメージを押し付けられたようで、複雑な気持ちになりますよね。
このお話自体も面白いのですが、私にはそのお話を思い出して、私に語ってくれたinfiniteさんの気持ちがちょっと嬉しいです。
私の甘い水ゾーンに入れちゃいますよ(笑)
でも子供の事言われると、心ザワザワ。
私みたいな人に育てられたのだから仕方がないかなと思いますが、甘っちょろいやつらでございます。良く考えてみると「甘い!」と彼らには言いたい事がごまんとあるわけです。
複雑になってしまうので、この際彼らには網棚の上にでも乗っていて貰いましょう(笑)
だけど
>うっかり長男とちゃっかり次男
なんですね。
うちはね、チャッカシ長男にぼんやり次男ですよ。結構彼らは優しい人なんですが、長男はお人よしではないんですよ。
「甘いのよ。」の人に攻撃されたら、全身剃刀男に変身してしまいますよ。それで彼女がボロボロになってしまったら、きっと私は冷たく言います。「甘いわね。」って。
まあ、私怖い人?
でも、これって実際にはあり得ない妄想の中のお話で、要に、私ってやっぱり小市民ですね(涙)
♪追伸の内容の意味が・・・?
ピョーーーンって?
いっぱいやってきてしました。感謝もされず、当然視され、あるときには月謝も踏み倒され・・・・ブツクサ
だから「雨ニモマケズ・・」って好きなのかも知れません。
自己犠牲的って言うなれば、ある種のヒロイズム。極端なことを言うと、「私は清く正しく」あろうと無駄な努力を繰り返す習性と言えるのかも知れませんね。
パワフルであっても信長のような思考ではなく、綺麗事かもしれなくても、謙信のような思考に憧れるって言う所は、誰にでもある部分かなと思います。
お話が逸れてしまったような感じですが、実は「ま」さんのコメの内容が、文体はもちろん違いますが、自分で書きそうなそれだったので、敢て書き足すことがなかったのです。
書くとしたら
「うん、うん、そうだよね。そうなのよ。その通り。そう思うよ。」と言う相槌ばかりです。
例えて言うなら、去りゆく車のトランクからひらりとはみ出たぬいぐるみの尻尾ちゃん。
風にたなびく虎太郎のかわいい尻尾。
車のバウンドに揺られて一緒にジャンプ!
手を振る私にバックミラー越しににっこり笑う相方・・・
違うのよ、伝えたい事は。
下から2行目、途中で行を変えようとしたのに忘れてしまって。
勝手に黄昏ていますので放っといてやっておくんなさい^m^♪
私ってこういうのが分かるのに、ちょっと時間がかかるのですね。
今見たら、どういう意味なのかすぐ分かりました。
鈍くてすみません(汗)
美学追求ですね(笑)