森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

まだハタチ前

2025-01-03 11:49:05 | 梢は歌う(日記)

19歳なのは、このブログです。

2006年の1月2日から始めて19年が経ちました。

こんなに長く続くとは思っていませんでした。

何となくきちんと向き合えない時も、確かにありました。

ツイッターを始めた時とか、アメーバーでピグのゲームに嵌りそこでの交流を楽しんだ時などは、更新も滞ったと思います。

ただその時、ゲーマーよりはブロガーでいたいなと意識してここに戻ってきたのです。

またあくまでも私自身の事ですが、短文ばかり書いていると、そればかりしか書けない人になってしまうなと言うのも分かりました。

つたない文章を書き続けたことは、仕事でも直結して役にたったこともあったし、自治会の役員をやった時の地域新聞などは、今までのブログアクセス数の、マックスこの数の人に読んでもらえたという自信がなければ、ひとりで作成したものを、恥ずかしくて800という世帯に配布するなんてことは出来なかったと思います。

 

これはブログの功罪の功なのか罪なのか分からないことなのですが、10年くらい前の事でもつい最近の事のように感じやたら覚えているのは、ブログに記録し記憶し直しているからだと思うのです。

この記録し記憶し直すというのは大事なことで、ネタバレになるからと映画やお芝居の感想をぼんやりと上澄みを掬ったような事を書いていたりすると、のちに読み直しても、まったく記憶に残っていないことがあったりもして、時には「意味がないな」と思うこともあります。

でも時間や生活に追われていると、この意味のないことを結構やってしまいますよね。

それでもですね。

最近そんな意味のないことをしていても、やっぱり他の視点では意味があるのだと思っています。

ずっと継続していたことが止まった時、そこにはその人なりの理由がちゃんと存在するのですよね。

「出来なくなった。」がその一番の理由だと思います。

飽きたからどうしてもやりたくなくなったというのもあるかもしれませんが、私の場合は19年もやっていて、それはないなと思います。

他の方だったら、出来なくなったの理由に仕事や介護などで時間が無くなったというのもあると思います。私の場合は畑や陶芸などでも、結構時間的には厳しく感じて更新頻度が落ちることがありました。でもそれでは止めません。

実は私は、この「出来なくなった」は、私自身を知るバロメーターになっていくのかと思っているのです。

 

母は何十年も簡単な日記をつけていました。

亡くなった父が、以前「その日に何があったのか、お母さんに聞けば分かるよ。」と言っていました。母の日記は「行った、来た、見た、電話した。」程度のものでしたが、それでも十分だったと思います。それをある日ぱったり止めてしまいました。

たぶん出来なくなったのだと思います。老いのせいで。

 

この先、私のブログも「行った・見た・聞いた」くらいしか書かないようになっても、続けられるうちは続けていくつもりです。

なんたって二十歳前なのですから。

 

※         ※        ※

 

1月1日の出来事

なんて素晴らしい初日の出の風景でしょう。

でもこれはテレビを写したものです。

毎年、これを見てから横浜に向かいます。

 

車窓から撮ったリアル富士山。

晴れ渡ったお正月の空も印象的でした。

その後は父と妹が眠るお墓に行って参ってきました。

霊園は赤い南天があちらこちらに実っていました。お正月らしい色合いです。よく見ると、桜の木が植えてあったり薔薇のアーチがあったりで、季節季節で訪れる人を癒す気づかいのある霊園なのだなと思いました。

管理費ばかり取ってお墓の通路すら掃除しない義父のお墓や、いつかなんでか付き合ってと連れていかれた友達の、かなり有名な霊園などは鬱蒼としていて如何にもお墓という感じだったのを、こんな新年から思い出してしまいました。

お墓はあれば良いし何処も同じじゃないのか?

いや、違うなと、私は思いました。こんな事でも「出会い」って大事なことなんだなと思ってみたりしました。

 

そして例年通り、デニーズで朝食です。混んでいました。

その後は実家に行って、新年会のための準備のお手伝い。そして新年会。ビンゴをやったり、又姪ちゃんのリコーダーとダンスの発表を見たり、楽しいおしゃべりをして帰ってきました。

今回は名都さんがインフルで欠席。姪の家族も又姪ちゃんの一人が熱を出し欠席。14人の新年会でした。

来年は全員集合できますように。

 ビンゴで頂いた景品。ランプで可愛いですね。そしてやっぱりランプは電池式のが良いよねと思ってみたり・・・・・。

ラッタさんにはマイ畑で取れた大根をお土産に。

そして母には・・・・

  

湯飲みをプレゼントしました。

前に今度頂戴と言われていたので、下手ながらけっこう気合を入れて作ったのです。

でも持っていく時に、ふと不安に思いました。「頂戴」と言ったことなどを、覚えていないと言うのは想定内です。

だけど「作ってきたからあげるね。」という意味が分かるかどうか・・・・。

半分は、思っていた不安通りになってしまいました。

「これを」と言うと

「何も入ってないじゃない。空のものをどうやって飲めというのよ。」とカラカラと笑います。

その後、姉がかなりきつい口調で、「花ちゃんの手作りの湯飲みよ。お母さんのために作ったんだって。」と説明すると理解したようで、

「これ、あなたが作ったの!?」とようやく喜んでくれたのでした。

 

でも今頃は、「なんだ、これ。」と思っているか、それならまだマシで、何も感じず使うのでしょう。

いやいや、それで良いです。姉がちゃんと使わせてくれそうなので、ホッとしています。

でも・・・・・あーあ・・・・ってちょっと溜息。

 

だけどさ、日本って年末には

「よいお年を」と挨拶して、一日が過ぎると「あけましておめでとう」と言うじゃないですか。

朝日がいつものように上がって来て、いつものように今日が始まるだけ。

だけどそこに意味や意義を見出してしまうし、あの朝日は希望の光にも感じるのです。

そうすると、新年に向けて新しい抱負や目標のようなものが、ふつふつと心の中に沸き起こってくるから不思議です。

 

頑張ろう、私。

頑張れ、私。

だって、何かを頑張っていたほうが、人生は楽しいよね。

 

トップ画像は、

「朝日も良いけど夕陽もね。」

 

 


この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「光る君へ」も終わってしま... | トップ | 「はたらく細胞」を見てきま... »
最新の画像もっと見る

梢は歌う(日記)」カテゴリの最新記事