森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

ぎゅうぎゅう2-奈良日記9

2010-11-13 15:24:28 | お出掛け日記

毎度、長々と続く私の旅行記。
読んでくださってありがとうございました。

「ワイワイギュウギュウ家族旅行・奈良日記」も最終回です。スケジュール的にはギュウギュウしていたのですが、あまり「ワイワイ」は伝わっていなかったと思います。だけど、いつも賑やかな私たちですが、今回はちょっと静かだったかもしれません。

父や母、一番下の妹だけが元気で、後の三人は最初からヨロヨロ。

姉はめまいの発作をその週に起こし、でもそれを無理やり治しての参加です。めまいを発作とは言わないかもしれませんが、一度でも症状が出た事がある人は、それがいつ起きるか分からない、結構怖い症状です。私も「めまい持ち」。私だったらとても行けませんよ。家でシクシク泣いています。でも、彼女は私以上のお出掛け好き&根性の持ち主です。本音を言うと、姉の不参加は、私的にもちょっと困ります。来てくれて良かったです。

すぐ下の妹は、今年になって始めたお仕事が上手く行き過ぎて、前日も目一杯働いての参加です。集合場所にヨロヨロしながらやって来たので、大丈夫かイナと思ってしまいました。

かく言うワタクシもちょっとお疲れ気味。

しかも行く先が温泉ではないので、言った先でノンビリでもなかったし、そんなこんなで比較的静かな私たちではありました。

でも、まあそんな静かな私たちでも・・・

 

【おやつとお食事】

こういう物は、欠かせませんよね~。

興福寺近くの趣のあるお店で頂きました。蕨もちと抹茶。畳に正座でいただきましたわ。←「わ」がそれっぽいでしょ(笑)

何で上の写真がこんな色なのかと言うと・・・


←照明がこれですから。

この蕨もちは、興福寺国宝館から奈良国立博物館に移動する途中で頂きました。

翌日は、平城宮から奈良駅に戻り、そしてまたそこから興福寺近くの「塔の茶屋」にわざわざ行きました。確かここは大学生時代に姉と二人で奈良に来たときにも、訪れたお店だったと思います。

そのお店の「茶粥弁当」です。

昔は何でも喜んで、しかも感激していただいていたと言うのに、思わず結構な量が入っていたうずら豆とひじきが「本当に弁当」と言う感じがして悲しいなとふと思ってしまった私なのでした。主婦暦○年が、私を変えたのです。

母などは、こういうお洒落なお弁当より、昨夜頂いた駅ビルでのカツ丼の味の方が気に入ったようで・・・(汗)

かなりの量があったのに、フンフン♪と頂いていたら、あっという間に無くなって、思わず夢・幻でござると思ってしまったのでした。

 

【たどり着けない女】

私の父は、自慢じゃないけれど若くてハンサムなのです。が、残念ながら「足以外」と言わざるを得ないのです。足の付け根が痛くなってしまい、長時間歩けません。(その割には振り回していますが。)

興福寺から東大寺までちょっとあります。父たちの分だけでいいからタクシーよ来いと思って「塔の茶屋」を出たら、そこに一台のタクシーがやってきました。なんと言うラッキー。父と母、そしてお疲れ妹が乗り込みました。でも、私は喉まで出掛かっていた言葉が出ませんでした。

「あと、一人乗れるのよね。」って。

だって、私は「たどり着けない女」。しかも言っちゃあなんだけど、一番下の妹の方向音痴には一度エライ目にあって、いまだに信用回復せず。私たちの足だったら東大寺は近いはずです。でも、私と妹だったら、もしかしたら遠いところになってしまう可能性があり。そう思うと、とてもじゃないけれど、

「お姉ちゃんも乗れるよ。」と言ってあげる事が出来ませんでした。姉が一番ヨロヨロしていたはずなのに・・・。

でもやっぱり姉が居て助かりました。奈良公園を抜けたところで私は春日大社と氷川神社(?)を間違えて、右に行くところを左に行ってしまったと思います。ふう、アブナ!

私たち三人は、奈良公園の鹿にはしゃぎながら行きました。ただ、先に行った三人が待っているかと思うと、流石に鹿せんべいまで買って遊ぶ事は出来ず、前にも書きましたが、そこだけは残念です。

【who are you?】

この項目は、私の奈良旅行のマトメ的感想で、チトお堅めです。

1300年の遷都のお祭りだからなのか、いにしえの奈良のお寺はあちらこちらで秘宝展をやっているようです。特別だからそうなのか、私は奈良と言う場所に不思議な感覚を覚えました。それは奇妙な「混在感」です。鹿と人間が共存している・・・
いや、そんなんじゃなくて・・・

法隆寺でも興福寺国宝館でも、そして東大寺でも、多くの人はその国宝級の仏像を観に行っているのだと思います。そしてその感覚の中には「へえ」「ほお」「ふーん」という感嘆の思いが含まれていると思うのですね。だけどそういう人に紛れて、手を合わせていく人々がチラリホラリ。申し訳ないのですが、数にして圧倒的に比率が少ないと思います。

社寺が持っている国宝級のお宝を美術館風に展示しているからだと思いますが、その並びに百済観音があったり千手観音があったり、ある意味凄いなと、私は思ってしまったのです。その意識が尾を引くのか、夢殿などでもオペラグラスを片手に覗き込んでいる人を見ました。いつまでも立ち去らないその人の背後で、手を合わせ去っていく人がいました。

あまりこういう光景は他の社寺では見ないように思います。

奈良と言う地域の国宝級の重要文化財の宝庫であるがゆえの、人々の思いの混在感・・・

加えて、頂いたコメントの中にも「仏さま」と言う言葉があって、私が奈良で感じた感覚を確認したような気持ちになりました。大切にしなければならないデリケートな部分だと思います。

東大寺では、父と母がささやかな諍いを起こしていました。
私たちの目から見ると、大仏は歴史的な遺跡です。でも、やはり手を合わせている人たちがいて、カメラを向けた父に母が嗜めたのです。この場所は撮影禁止ではないのですね。みんながカメラを大仏に向けていましたから。別に人の事は良いのです。よそ様の事まで批判などする気もありません。ただ、自分はどうなのかと言うポリシーの確保は大切な部分だと思います。そしてその感覚は、父の大らかさより母の生真面目な方が、私の感覚に近いものがありました。だから「東大寺」の記事には大仏殿しかないのです。

更に不思議に見えた光景は、大仏殿の片隅には石畳に何がしを引いて、一心不乱に祈っている人達がいました。風景と溶け合って多くの人は何も思わないのかも知れませんが、私には印象的でした。海外から来た人の目から見たら、東洋の社寺の摩訶不思議さを醸し出す雰囲気だと思います。でも同じ日本人の私の目から見ると、多くのカメラを携えたお気楽な観光客の中で深々と冷える石畳の片隅で祈る、それは苦行にすら見えました。

いにしえの奈良の都は、きっと不思議と現実が入り混じっているに違いありません。だから「鹿男」のような物語が生まれてきても納得が出来るのかもしれませんね。

そのような事に真摯な姿勢ではいる私ですが、やはり私にとっては、仏像と思って拝見させていただきました。その視点で見ていると、ふとこれを刻んだ人たちは誰なんだろうと思ってしまうのです。ちゃんと勉強をしている人たちには分かっているのかもしれませんが、普通は作者名など記されてはいません。その素晴らしい仏像を刻んだ人たちは「仏師」と言う職業名の中で歴史の中に消えて言ったのでしょうか。

私は思わず、
「あなたは誰ですか?」と、心の中で問いかけてしまったのでした。

 

「だけどさ、」と私は姉妹達に話しかけました。
「この先にね、『ディープ・インパクト』とか『日本沈没』のような事が万が一あったとしても、私達は助からなくても、これらのものは国宝なんだからいち早く安全な所へ運び出されるのよね。」

名を残すのは人の夢。
だけど名は残らずとも・・・・・。

 

【一期一会なのですよ】

無理だと思うところは切り捨てていきました。

猿沢の池でぼんやり作戦はナッシング。未練たらしくバスの中で撮った興福寺の五重塔。

だけど東大寺のところで、次の移動手段を探して歩いていたら、こんな池が・・・
何ていう池かしら。よく分かりませんが、綺麗でした。

 

捨てたり拾ったり。。。

【光に見送られて】

奈良にいる間中、大した事はなかったのでしたが、ほとんど雨でした。
なのに、帰るよ~といった途端、空は晴れ上がり・・・

チトムカつきましたよ。

でも、ほらっ、うちら家族は「超」が付くほどの前向き人間なので、天が最後に光で見送ってくれたように感じてしまいました。

向こうに見えるのは、雲の切れ間から見える光のシャワーですよ。凄いですね。トップの画像もその写真です。

と言うわけで、奈良よ、さらば。

バイバイ、鹿さん♪

<ぎゅうぎゅう。この記事がね>


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