昨日の朝、先に起きただんながつけたテレビから、ニュースの声が聞こえてきました。
「聖火がとうとう日本にやってきました。羽田空港に降り立ちました。このまま長野に移動します。」
ニュース原稿なので、もっとまともな文章でしたが、まだ布団の中にいた私には、こんな程度に聞こえてきました。でもその時、ついうっかり寝ぼけた頭で思ってしまいました。
―まあ、ご苦労な事だわ。休憩もしないで移動なんて。
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聖火が疲れるわけもないので、東京のホテルで一泊してからなんて配慮は無用なわけですよね。
「聖火が、今タラップを降りてきました。」と言う擬人法的な言い方がいけないのよと人のせいにして、さて、本題。
今の話も、なんとなくおばさんぽい感じですが、「あれ、これ、それ」の話も、そんなお話。はは~ん、と予想がついた人もいるかもしれませんよね。
先日友人とお茶など頂いた時、
「あなたは引き出しの多い人ね。」と言われて、なんとなく嬉しかったりしたのですが、だけど、私の会話はよく止まる。
「ええと、あの人・・アレに出ていたあの人・・・」
「まあ、今日はどうしたの?」なんて言ってくれたりしましたが、実はいつもそうなんだって・・・・・・
その人が「今日は・・・」と言ってくれたのは、その人が私をよく知らなかったからだと思います。<彼女の事はコチラなどで>
どうも私の引き出しの一つは、特に【人の名前】と言う項目のそれは、かなり前からガタピシと言って、スゥーと引き出される事が出来ないみたいなのです。やばいです。
でも、もっとやばいのは、それを受け入れてしまう友人達。
<ちなみに「やばい」と言う言葉は、あまり上品な言葉ではないけれど、昔ながらの意味から新しい意味を含めて、なぜか好きな言葉ですので、使用する事をお許し下さい。>
私の友人などを長年やっていると、その会話はもうエスパーの会話のようですよ。もしくは推理劇のようです。
「あの人、ええと、アレに出ていて、アノ人と共演していて、あの番組にも出ているんだけど・・。」、って、この段階でわかったら、宇宙人ですよね。
が、なんとなく分かってしまうって、それって変じゃないですか。
だから綾小路きみまろの漫談って好きですよ。当たっているなぁと思うからですが、主婦どおしの会話ってまるでネタの宝庫だなと思うときがありますよ。
例えばその時も
「温水も凄いと思うけれど、アノ人も凄いと想っているんだ、私。嫌味な役をやっているときは首を絞めたいほど憎たらしくて、人がいい役をやっているときには、とても同じ人には見えないのよ。ええと、『タイガーアンドドラゴン』とか『アンフェア』に出ているの。」
―これで、ほとんどの人は誰のことなのか分かると思います。でも、主婦って意外とドラマを見ていないんですよ。それで、見ていないのですが、確かアノ映画に出ていたなぁと思い
「『舞妓は~ん』とか言うのにも出ていたと思う。」と言ったら、
「ああ、わかった、わかった。」と頷くが、誰の口からも彼の名前が出てきません。でも、みんな彼の演技力には絶賛ですよ。だけど話題はすぐに堤真一の方に移ってしまったのは、やっぱりイケメンには負けると言う事ですか~。
それはともかく、そんな時って人の会話って、言葉だけで成り立っているんじゃないんだなと思うのです。
相手が何を言いたいのか、体全体を澄まして聞くと言う事をしているのかもしれないと思うのですね。
付き合った年月は関係ないですね。だんななどは聞く気がないので、
「あれさぁ・・」と言っても通じない事が多いみたいだし・・
昨日も「
だから言葉巧みで無くっても、言語が違っていても会話は成り立つし、思いは通じ合うのかもしれません。聞く想いさえあれば。
だからといって「火」は言葉など持っていません。羽田を降り立った「火」は、また次の国に飛び立っていったのでしょうか。だけど、その「火」は、世界中を回り誰よりもそこで何が起き、どんな想いがあったのかを見続けているのですよね。混乱と怒声、憎しみ合う心、信じたい心や、愛したい心、叫びたい思い。そんな思いや叫びを見続けた「火」が自分の国を走る時、中国の人たちはただ歓喜の想いだけで、その「火」を見続けるのでしょうか。
聖火を走らせると言う事は、開催国を応援すると言う事ではないのですよね。「頑張れ中国」の声援の中で走り続けた、その「火」にオリンポスの神の魂が宿っていたならば、どんな風に感じていたのでしょうか。
「聖火」の「聖」とはなんぞやと本当に感じてしまった今日と言う日です
そうそう、上の会話で、「わかったけれど、ええと名前はなんだっけ。」と思ってしまった方、いらっしゃいますか~
阿部サダヲさんですよ。