=夏の想い出を語りましょう。=
清少納言が、「夏は夜」と言っているのに、ちっとも夜までたどり着けません。
やっぱり夏は朝が好きなのかもしれません。
夏の日のお勉強は、朝10時までの涼しい時間にやるのが、昔は常識でした。
「えっー、そうなの?」って、そうなんですよ!
だから10時前に人のうちに遊びに行くなんて言語道断、非常識の極みです。なんか怒ってるかって、そうです。子供たちが小さい時は、本当に自分勝手なお母さんが居て、その怒りは忘れられませんよ。
「10時までは駄目ですよ。」と言うと、外でずっと待っていて、10時と共にやってくるのです。
私はこういう対応が下手で、外で待っていたのを知っていたので、どうしても家に上げてしまっていたのですよね。子供たちも仲良しですし。でも何かの時に、やっぱり気分が悪くて、順番に遊びましょうと言った事があるんです。すると、その少年は、午前中はお兄ちゃんたちが家で勉強しているから、僕は外に出されるんだと言うのです。そのお兄ちゃんって、その子と一緒に遊んであげているラッタ君と同学年なんですよ。
自分の子供の勉強のために、弟を外に出し、その動向も知らないその子のお母さん。他の近所のお母さんが、そのことをさりげなく言ったら、「外で遊べばいいじゃないねえ。」って、まったく他人事ですよ。
お陰で、そのおうちの子供は今はお医者になっているんじゃないかしら。なんか、思い出すたびにそのお母さんの、自分勝手顔が頭に浮かんできて腹が立つんですよ。別にその時その子と遊んでいてあげたラッタ君がボンクラだからと言うわけじゃなくても、嫌なやつだったなと思い出すのです。ワタクシ、実は、良いことも忘れない代わりに、むかついた事も努めて忘れないようにしているんです。
体に悪いから、嫌な事は忘れた方が良いのだと、姉からも注意されているのですが、でもそれって違うんじゃないかなと思うのですよ。
ムカつく→心に引っかかる→考える
それこそ利口になるチャンスなのに、忘れるなんて勿体無い。
そして思うのですよ。
極稀には、そうは思えないなと言う人もいるけれど、政治家や官僚や重要なリーダー的人たちは、優秀な人が、つまりお勉強のできる人が一杯なっているのですよ。いや、なっているはずなのです。
それなのに、お勉強ではイマイチどころかイマニだった人たちから、「この国のお偉い人たちはBKなんじゃないか」と思われているのです。「利口なバカ」と言うのは既に社会権のある言葉ですよね。
なぜそう言うことが起きてしまったのか・・・・・と言う元の部分、つまりその源流に今、上で書いたような事が存在するのだと思います。
聡明な母は大切なのです。そして何が聡明なのかは、簡単には言えない事だと思います。
それはとにかくとして、タイトルの「勉強してますよカード」は、昔、夏休みの時に学校がくれたのです。友達の家に遊びに行っても玄関の所にそのカードがかかっていたら、チャイムも鳴らしてはいけないのです。ちなみに「勉強してますよカード」なんて書くと、なんかドラマ「時効警察」の「誰にも言いませんよカード」みたいですが。
そのカードはもしかしたら不評だったのか、一年か二年ぐらいでなくなってしまいましたが、今思うと良いカードだったのではと思います。
だけどそのカードがどうこうと言うより、そのカードの事を思い出すと、なんだか素敵な夏の朝を思い出すのです。
朝、普通に机に座って宿題とかをやっていた私と姉。その時、さぁあっと通り雨が降ったのです。
夏の日の履物は、パンジーのサンダルと決まっていました。私と姉は二人してきゃあきゃあと言いながら、門の所に掛けておいた「勉強をしています。」と言うカードを外しに行きました。夏の日の通り雨はキラキラしていて、とても優しかったと思います。雨が去った後の庭の木々もキラキラしていて、そして温度もグッと下がったものです。
その頃の夏の日は、暑いと言ってもせいぜい30度ぐらいで、31とか33なんて数字を聞くと、もう南国かと思ったほどです。
ああ、懐かしいな。緑の雨の匂いが・・・・。