森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

「ファンタスティック・ビーストとダンブルドアの秘密」

2022-05-13 10:27:13 | 映画

長々ブログ生活をしていると、たった3日空いただけで、たくさん休んでしまったような気がしてしまいます。

そして何から書くのか分からなくなったりして・・・(^_^;)

最近ほんの少しの早寝をしようと心がけていて、今まで真夜中がブログ更新タイムだった私は、ちょっと更新のきっかけを逃しているような気がします。

それからたぶん、この映画の感想を書こうとして、なんだか手が止まったように思います。

 

実はこの映画、公開初日に見に行ったのです。

別に普通に楽しい映画だったし、急いで感想を書かなくてもいいかなんて思っていて、でも4月のおまとめをしなくてはなと思い、気になっていた事の検索を掛けたら、「あーやっぱりそうだったんだ !!」となって、手が止まったのでした。

と、言っても手を止めるほどの衝撃ではなくて「やっぱりその解釈で間違えてはいなかったのか。」程度なのですが、感想としてどう書けばいいのかなと放置してしまったのです。

先に違う感想を言いますと、グリンデルバルドのキャスト変更は、私的には何の問題も無かったです。と言いますか、私、かなりのジョニデ好き。ずっと好きな俳優さんです。だけど元々この役のジョニデ、ちょっと好きじゃなかったんです。たぶんメイクが。もし彼が降板しなくても、このお話には普通に近い美しい彼を前面に出していた方が良かったと思いました。

だから派手な不自然なメイクのないマッツ・ミケルセンはとっても良かったです。

あとは楽しい愉快な仲間の冒険譚。ラストもホンワカで良い終わり方でした。次回作も楽しみ。

ただ私には、復習必要だったような気がしました。皆それぞれのココにいたるまでのエピソードがあったのに、少々忘れ気味だったので、もう一回復習後に見たいような気もしました。

で、あの人。ネタバレにならないように書くと、「あの人」は前作の時に何か深い考えがあっての、あの行動じゃなかったのかと思ったら、そっちの方がびっくりでした。

まあ、とにかく切ない部分もあったけれど、良い終わり方で幸せな気持ちになれる作品だったと思います。

 

そして、上に書きかけた事ですが、調べたらこれはちゃんと公式的に言われていた事なので、たぶんネタバレにはならないのかもしれません。だけど私みたいにあまり情報なしで見たい方は、以下はスルーしてくださいね。

 

作中で一番気になったセリフは、同じ考え方と同じ行動だったと過去を責められるとダンブルドアが「愛していたからだ。」とグリンデルバルドに言うのです。

私はこれは最初、ダンブルドアのグリンデルバルドへの深い友情の事を言っていたのだと思ったのです。

少々年齢を重ねてくると、「愛」に対しての気持ちの振り分けが曖昧になって来て、深い友情に伴う愛も恋の想いに伴う愛も、あまり変わりがない事に気がついてくるのですが、若い時はね、そこにエロスがあるから、その差が明白なんですよね。

無くなっちゃうと同じ・・・・(笑)(笑)(笑)

だけどやっぱり家に帰ってからも、たった一言なのに心に残ったのです。やっぱりこの言葉を、そんなにストレートには言わないよなぁ、普通。

そしたら、やっぱり感想を書こうと思って、そこの所の解説を読んだら、ダンブルドアはゲイという事で、その解釈で良かったのでした。

なんと中国では、その6秒のシーンを切っての公開だったのですって。

という事は・・・・・「ダンブルドアの秘密」って、それ ?

ちょっとエーッてな感じかな。

私は別にBL全盛期の少女漫画世代なので、それはそれでも全く問題ないし、または深い友情の愛でも全く問題はなかったです。

でも彼はその深い思いを、ようやく断ち切ったわけですね。

 

そう言えば、この話を夫に話したら、彼もまったく気がつかず、「そこまで深く考えてみてなかった。」と言っていました。

じゃあ、「ダンブルドアの秘密」って何かと言ったら、たぶん私たちの目から見たら、家族の秘密だったのかなと思いましたが、やっぱし、そこまで深く考えていなかったと言うのが、正しい意見でしょう(^_^;)

 

 

 


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鎌倉殿の13人 第18回「壇ノ浦で舞った男」

2022-05-09 20:44:27 | ドラマ (大河)

なんだか卑怯だな。

あっ、いや、違うよ。

義経が漕ぎ手を狙った話の事じゃなくて、このシナリオがね。

サイコパス義経とか言ってたけれど、だんだんと彼の事が好きになって来てしまってからの壇ノ浦。

勝つためには手段を択ばずの義経は、ある意味、純粋で、そして甘え上手な子供のよう・・・・

いや、彼はねこ科の人間なんだ。

兄の嫁だとて、甘えてよいのだと思えば膝枕。一目ぼれの女はゲットして、そして「良い事を思いついた。」と戦いのひらめきを見せれば、そこに仁義と言うルールはない。ただひたすらに兄の喜ぶ顔が観たいと言う一念で動いている・・・・・・・ほらっ、これって猫じゃん。ごろにゃん。

壇ノ浦自体は凄い悲劇だと思う。一族と言う大きな括りが滅んじゃうのだものね。だけどまだ義経にこれと言った悲劇が起きてないと言うのに、なんだか涙が零れちゃうんだよ。

彼はここで一世一代の舞を踊り、そして下手へと去って行く運命の人。

八艘飛び、義経、やっていた。次から次へと船を渡って戦ってて、カッコ良かった。

だけどそんな義経を、景時はじっと見ていたのですよね。天に選ばれた男だと。

 

梶原景時は、吾妻鏡の中でも「讒言の人」と言われ、この人が頼朝にああだのこうだの言い、それによって義経は窮地に追いやられることになっている。

ところがこのドラマの中では、ただの讒言の人ではなかった。義経の戦略に心酔し、ことごとく感心していた景時。一番わかっていると義経にも言わしめさせた景時。

思わず、「なーんだ。仲良しじゃん。」と私は思ってしまった。

なのに、なのにさ、鎌倉に帰ったら、「吾妻鏡」の通りの景時じゃんか。

なんでよ~!?

そう思ったら、景時には景時の理由があったのね。

神に選ばれた男はふたり並び立たないと。

 

これも景時の、軍神であって心酔しきった義経への愛の形なの ?

いや、彼は後の自分の評価など関係なく、鎌倉の未来を思っていたのよね。

 

ちょっと戻って壇ノ浦。

安徳天皇入水のシーン。源氏の人々が目撃したように、遠めの音無し。

「水の底にも都があります。」と言う涙シーンは無し。水面に女御たちの打ち掛けの錦が、花のように広がるシーンも無し。

これは平家物語ではなく、鎌倉武士たちの物語だからー。

代わりに浜辺に打ち上げられた、兵士たちの死体が延々と並ぶ・・・・。

 

そこで血しぶきが付いたままの顔で、寂し気に言う

「この先私は誰と闘えば良いのだ。」が今回のドラマの、一番の名シーンだったように思った。菅田将暉、凄いなぁと、また私はしみじみと思った。

 

腰越では、涙涙のシーンにも、怒りのシーンにもならず、禁じられていた平宗盛と清宗親子を会わせ、かつて助けてくれた地元の農民との約束を果たす。

皆で芋を食しながら、また違った道もあるのだと、もしも歴史の物語ではなかったら、そんな事も信じてみたくなるラストだった。

 

あと書き忘れたくない涙ポイントだったのは、頼朝と政子のシーン。

みんなの前では、天皇と三種の神器の宝刀を失ってしまった事をなじるのだが、その夜に政子の所にやって来て、

「とうとう平家は滅んだ。九郎が、九郎がやってくれた。」と感涙の涙を政子と一緒に流す。

ああ、どうしてこの心が兄弟に、ツーツーと伝わらず、複雑になってしまうのだろう・・・・と思うと、また泣くじゃんか。

 

 


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約8年 その8

2022-05-06 18:00:29 | ランダム自分史

早いものでもうすぐスノウさんの49日がやってきます。

「約8年 その7」の続きです。(『その1』から『その6』まではその記事にリンクしています。)

じゃあ、その49日になる前に、小さな告白をしておきましょうか。この話には姉の蝶子さん、スノウさんが登場してきますが、私はずっと口を閉じ真実を語らなかったので、二人とも知らないお話です。と言うよりも、そもそも覚えているような事ではないのです。

それは私のちっぽけ過ぎる罪と罰の物語。

このお話には、かなり嫌な女の子が出てきます。それって、私の事ですが。

だけれど中学生の国語の教科書にも長年載っている、ヘルマン・ヘッセの「少年の日の想い出」の主人公の少年だって、友人の自慢の蝶を盗み、それを屈折した自分の心のせいで、その蝶をくしゃくしゃにしてしまうと言うクソガキ・・・いやいや・・・成長途中の少年が出てきますし、作者名は失念しましたが、どうしても欲しいからとロクタルカンを万引きして、それが壊れていたからって、真夏の夕方をひとり黄昏ている様な、まったく庇いたくもないような少年が出てきます。

だからって言い訳にはなりませんが、みんなそうして学び大人になっていくのだ !!  ←無理やり^^

 

それはいつの事だったかしら。たぶん私が小学校1年生から4年生の間。

とにかく名都さんが生まれる前のスノウさんは、我が家の王女様でしたから、なにげに我儘。

だけどまだ幼児なわけですから、いろいろと当たり前のことだったのです。

例え人の物をかってに触り、ひっくり返して片付けなかったとしても。

だけどある日、私はキレました。

そして泣きました。

まだ新しかった色鉛筆のケースをひっくり返して、色鉛筆たちが部屋中のあっちこっちに散乱していたからです。

「もう嫌だから!!」とヒステリックに泣く私を慰めて、姉の蝶子さんが言いました。

「大丈夫だよ。無くなっちゃってたり折られちゃっているものがあったら、みんなお姉ちゃんが買ってあげるから。」

それで私は泣き止んで、寧ろ、また新しい鉛筆を買ってもらえることが嬉しく感じてていたのです。

それで部屋中に散乱していた色鉛筆を片付け始めたのです。

ところが、鉛筆は1本も無くなっていないし、それらは皆芯さえも折れていなかったのでした。

普通なら「なーんだ、ああ、良かった。」で終わった日常茶飯事な出来事でした。

だけどその時、ふと、先程大泣きをしてヒステリックに騒いだ自分を思い出し、なんだかバツの悪い気がしてしまったのでした。

そしてとんでもない事に、私は二本ランダムに鉛筆を選んで、ポキリポキリと折り、蝶子さんに「ほらねっ。」と言って見せ、そしてスノウちゃんが如何にとんでもない子なのだと訴えたのでした。

 

「じゃあ、約束したから買いに行こう。」と蝶子さんは言って、そして二人で近くの文房具屋さんに行きました。

そこには色鉛筆のばら売りのコーナーがあって、私はいつも、そのコーナーを意味もなく見る事が楽しみでした。

同じ色が何本もひとつの所に納まっていて、それが何種類も並んでいる、それが綺麗で楽しくワクワクさせるものがあったからです。

そしていつか私もそこから、鉛筆を抜き出してバラバラと買いたいなと思っていたのです。

チャンス到来です。

スノウちゃんにも蝶子お姉ちゃんにも、少々の罪悪感を感じながらも、私はちょっと嬉しくなってそのコーナーに行きました。

ところがー。

 

私は吃驚し、そしてがっかりしてしまいました。その色鉛筆コーナーに、私が抜き出して折った二本のその色たちだけが1本もなかったのです。

本当にそれらの色だけ !?

お店のオバサンに聞いたら、そのコーナーは、ほとんど売れないから、もう補充しないと言いました。

私はしょんぼりして、そのお店を出ました。

不機嫌な顔をして歩く私に、「仕方がないよね。」と蝶子さんは慰めようとしてくれたと思いますが、私がブスッとした顔をしていたのだとしたら、それは不機嫌だったからではなくて、恥ずかしかったからにほかなりません。

 

ほらねっ。

如何に子供の頃の事だったとしても、こんな事は言えなくても無理はないと思いませんか。カッコ悪すぎる・・・・。

だけど今思うと、姉妹で集まった夏の夜などにスイカなどを食べながら、こんな話をしたならば、きっとスノウさんは笑いながら言ったんじゃないかなと思います。

「やーい、罰が当たったんだ。」ってね。

 

そう。これは私のちっぽけ過ぎる、罪と罰の物語。

 

だけど何をいまさらですが、大人になってからだいぶ経ちました。

その大人の目で、この話を思い出すとき、これは本当は罰の物語ではないのではないかと感じるようになったのです。

私は「仏はじっと見ているぞ。」と言うような言葉が、意外と好きなんです。

誰もあなたの行動を見ていなくても、または分かってくれなくても、見えない何かが見守ってくれていて、そして分かってくれているのだと言う言葉です。

卑屈な言い方ですが、私なんぞは他者から見たら、あまり存在感がないと言うか・・・

だから本当は、「それ、私がいなかったら成り立たなかったのでは ?」と思うようなことでも、あまり他の人から見たら認められていないような気がするのです。

だけどだからと言って本当には卑屈になどならないし、自己肯定感もさほど低い方ではありません。

「あまり存在感がない」と言えてしまうのは、その自己肯定感が低いからではなくて事実だからです。

それなのに、なぜ卑屈にもならないかと言えば、その見えない何かが、私を見守っていてくれているからだと感じているからです。

 

あの時、ランダムに選んだその二本の鉛筆の色だけがなかったー。

見えない何かが、私にその色を選ばせたー?

 

もしもあの時、ほんのちょっぴりの罪悪感と共に新しい鉛筆を手に入れてしまったら、私のその後の人生は、ほんの少しだけ角度を変えて進むことになってしまったかも知れません。もしくは、その後に感じた罪悪感は「ほんのちょっぴり」なんてものではなくなってしまったかも知れません。

やっぱり私は、見えない何かに守られていたんだなと思うのです。

 

だけどこの話はスノウさんにも蝶子さんにも、ずっと話せなかった私の秘密。

 

この記事は、書き始めた時と書き終わりの間で、少々時間が経ってしまいました。

5月4日にスノウさんの49日が終わりました。

スノウさんの最後の日々に、私はあまり悔いはないのです。私の知恵の範囲で出来る限りの事はやり切ったからです。

だけどそれでも私は思います。

 

もっといっぱいもっといっぱい、お話したかったなぁと。

そんな事を考えながら、やっぱり一人で時々泣いています。

誰も私が、そんな風にメソメソしているなんて知りません。

49日の席でも、しんみりなどしていませんでした。

写真を撮る時、うっかりと(^^)vサインなんかをして、「これはナイナぁ。撮り直して。」とか言ったりしたりして。

たぶん私が泣き止むのは、このシリーズが書き終わるころかもしれません。

 

またランダムに続きます。


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「愚かな薔薇」

2022-05-05 00:00:36 | ユーモレスクを聴きながら(book)

※ ネタバレなしのあらすじ書かずの感想なので、学校などの読書感想文の参考にはお役には立てません、悪しからず。(今回は特に顕著かも☆あっ、いつもか^^)

☆          ☆

「愚かな薔薇」は萩尾望都氏が描きおろし期間限定カバーで話題になり、私もそれでその本に辿り着きました。

言うなれば吸血鬼の有効活用の物語かと。

いや、そんな風に一言で言ったら、多くの皆様に叱られそうですね。

だけど、不死の体を手に入れるとするならば、確かに果てしない時間を有する宇宙間飛行の飛行士には最適ですね。

 

血を吸われた者は、ゾンビ型吸血鬼になるわけではなく、代わりに健康的になれると言う、つまり何かしらのエネルギーを貰うと言うメリットがあると言うのも面白いです。

地球滅亡後の新しい人類の移住先を作る人々を作り出すと言う、国を挙げてのプロジェクト。

発想が半端なく面白いと思いました。

ヒロインの父は母を殺して、行方不明になっているとされていました。その真相も最後には暴かれて行きます。

つまりサスペンスあり、ホラーあり、キリリと痛い青春物語あり、そして最後にはかなり大掛かりな発想のSFと言う、読者を飽きさせることはありません。

枯れて行く薔薇は賢い薔薇。

死なない薔薇は愚かな薔薇。

なるほど~。

一気に読めます。面白かったです。

あらすじを、Amazonさんのページからお借りしました。

【夏が近づく季節、母方の故郷・磐座を訪れた奈智。十四歳になると参加することになる二か月に及ぶ長期キャンプは、「虚ろ舟乗り」の適性を見極めるためのものだった。キャンプの本当の目的を知らないまま参加した奈智は、磐座の地や両親の死にまつわる因縁、謎めいた人物たちに翻弄されていく……。恩田陸が放つ、吸血鬼小説の新機軸! SF長編。】

 

恩田陸さんの、他のシリーズになっている作品も読んでみたいなと思いました。

ただ、私、ちょっと思ってしまったのは・・・・

 

 

何か伏線回収部分が、私的には足りないような気がしてしまったのです。

それはサブで甘んじた人たちの気持ちの物語だったかな。

この子たちは、その後どうしたんだろうかと気になりました。

 

また、こういう物語に出会うと、私はいつも思ってしまいます。命の選別と言うか、種の選別を。地球には今はいったいどれだけの数の異なる種の生物がいるのでしょうか。

もしも船に乗せて移住させるとしたら、何をどのようにと考えてしまうけれど・・・・・

この雄大なラストでは、そこはどのような考えなのだろうかと、かなりつまらない事を考えてしまうのでありました^^

 

・・・


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鎌倉殿の13人 第17回「助命と宿命」

2022-05-03 01:07:09 | ドラマ (大河)

義時は我が子の柔らかいぬくもりに、どれだけか救われたような気持ちになれた事ででしょう。また彼の肩に手を添える、妻、八重のぬくもりにも。その妻だって、父や兄を殺され我が子も殺されると言う人生を送ってきた人。その手のひらは多くの悲しみを知っていて、その手のぬくもりは大きなものでもあったでしょう。

 

夫が言いました。

「義時、帰るうちがあって良かったね。」と。

帰るうちと言うのは、そんな風に寄り添ってくれる家族がいる家を指しているのでしょう。

だから私も、「本当にそうね。」と答えました。

義時、いろいろと辛い事がいっぱいでしたね。

 

この物語、マンガ「吾妻鏡」にて、一応予習済みです。予習と言うのは、せっかく知らない話なのに、ネタバレを受け入れているという事なのですが、このドラマに関して言うならば、それで良かったと思っています。

じゃなければ、耐えられないからです。

あらかじめ概略ですが知っていると、残っている資料(吾妻鏡)に書かれていた事を、三谷氏がどう捌いていくのかと言う所が私的には見どころになって来て、するとその捌き方があまりに見事なんで、残酷な展開でちょっと耐えられないなと思っていた時期もあったのに、また最近では「楽しみだな。」と言う気持ちが沸き起こって来ています。

 

頼朝がダメだよと言っておいたのに、それでも法皇から恩賞を貰ってしまう義経。これは後の話に繋がっていく伏線ですね。

今回は義高の物語。

私は政子が言い放った

「だったら最初から大姫の許嫁にするなんて言わなきゃいいじゃない !!」に一番共鳴しました。

頼朝には最初から、「ともに平氏を倒す」なんて気持ちなど微塵もなかったわけなのですから、いずれこうなるのは運命だったわけで、それは意外と見えていた運命と言うか、軽く推測できた出来事だったと思います。それなのに大姫の許嫁として迎い入れたのです。

あほか、この男たちは。人の心を甘く見過ぎじゃって、誰でも思いますよね。

義高の処断を任された義時や政子をはじめ、三浦藤村、畠山なども皆、義高を助けようと動き出します。

一番はやはり大姫の命を懸けた助命嘆願だったと思います。

「分かった。わしの負けだ。」と言って、義高の命を助けると言った頼朝が大姫を抱きかかえようと手を差し伸べようとすると、政子がそれを止め一筆したためさせるのでした。

政子、凄いぞと思ったのもつかの間、そこに義高が討ち取られたと言う知らせが入って来るのでした。

どんなにみんなが頑張っても、彼の命はそこで尽きると言う運命からは逃れられなかったのでした。それが彼の宿命だったからでしょうか。

 

その時、政子が「決して許さない。」と言った事から、その義高の首を取った藤内光澄も首をはねられてしまいます。

 

なんだか、この人も気の毒ですよね。

首を持ち帰って来た時の、高揚とした嬉しそうな顔は、まさにしてやったりと思っていたと思うのです。それが斬首ですからね。「なぜだー!!」と叫びたくもなると言うものです。

甲斐源氏の武田信義の嫡男一条忠頼も、まったくの言いがかりでしかなかったと思うのですが、この機に乗じて誅殺してしまいます。最初から彼のことは「いずれ消えてもらう。」と頼朝は言っていましたから、思いもかけずそのチャンスが来たと言うわけでしたね。

 

鎌倉は恐ろしい所。

だけど義時は、もうそこでしか生きていくことは出来ません。

政子も自分が放った一言がそんなにも重要な言葉で、それによって人が一人死んだのだと、自分の立場を思い知らされるのでした。

「もうあのころとは違う。」

 

だけどもしもこの時、お兄ちゃん(宗時)が生きていたら、彼はどう思いどう行動していたのだろうかと、ふと思ってしまったのでした。

きっと何事も変わらなく、宗時が義時の代わりに、胸が痛くなるような仕事をやっていたのかもしれません。だけどきっと彼は姉妹や弟の心を支え続けたのではないかしら。ふと私が思ってしまったように、苦しい時には、義時、兄の名前を呼ぶといいよって、私の世界の「鎌倉殿の13人」が言うー。

が、三谷氏の世界ではそれは無い。

18回から、HPの登場人物のページがいろいろと変わっていました。

去りゆくものは消え去るのみ。

だけど、だから今回の巴の登場には嬉しいものがあり、そして和田とワシャワシャしている姿にホッとするものを感じました。

そして義仲、手紙にもその孤高の気高さが表れていましたね。

先週書き忘れてしまったのですが、芭蕉さんが何度も通い、墓も彼の隣に作らせて共に眠ると言う紹介がされた「紀行」で、私は何か救われたような気がしました。

いつか「義仲寺」に行けますように。

 

そして !  とうとう! 次回は壇ノ浦 !

なんかドキドキする~ !!!

 

 

 

 


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「4月の4枚」

2022-05-02 12:25:38 | お散歩&写真日記

#写ん歩クラブさんの月例企画に参加します。詳しくはこちらです→写ん歩クラブ『4月の4枚』のお知らせ

今月は、どれも一度ブログのどこかにアップしたものばかりですが、自分が好きだなと思ったばかりの画像です。

最初の一枚は、4月2日の「江之浦測候所」

下の画像は4月9日の山梨「ハーブ庭園」

 

下の画像は、13日の運河の「窪田味噌醤油」。

下の画像は、16日のお散歩で柏の葉公園。まるで絵画のような世界だな・・・。

 

今絶賛帯状疱疹中。

あまり私の行動に干渉しない夫殿が「ウロウロし過ぎだ。」と申します。

「えっ、そんな事ないよ!!」

お友達と比べたら大したことないし・・・・

ウロウロったって、図書館に行ったり近所の散歩が大半だし・・・

 

しかし、おのれの体力のなさを実感したわけでもあります。

 

何かを変えていかなくちゃ !!


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