『国富論』を読んでいての発見。
あくまでもアダム・スミスの分析。
こういう考え方もあるのかと、参考になったため、転載。
アダム・スミス曰く、
教育によって、国は少なからぬ利益を得られる。無知な民族では、狂信や迷信によって社会が大混乱に陥ることがあるが、教育が進めば、これらに惑わされにくくなる。それに、教育を受けた知的な人は、無知で愚かな人より、かならず礼儀正しく、秩序を守る。自分はまともな人間だし、目上の人がまともな人間として対応してくれるはずだと考えており、そのため、目上の人間に敬意を示す傾向が強い。反対派や扇動者が政府の政策に反対した時、その裏にどのような利害が絡んでいるのかを考えようとするし、それを見抜く能力も高いので、理不尽な反対や、ためにする反対に踊らされにくい。自由な国では、政府の行動について国民がどこまで好意的な判断を下すのかで、政府の安定性がかなり左右されるので、国民が早まった判断や気まぐれな判断を下す傾向をもたないことは、政府にとってきわめて重要なはずである。
あくまでもアダム・スミスの分析。
こういう考え方もあるのかと、参考になったため、転載。
アダム・スミス曰く、
教育によって、国は少なからぬ利益を得られる。無知な民族では、狂信や迷信によって社会が大混乱に陥ることがあるが、教育が進めば、これらに惑わされにくくなる。それに、教育を受けた知的な人は、無知で愚かな人より、かならず礼儀正しく、秩序を守る。自分はまともな人間だし、目上の人がまともな人間として対応してくれるはずだと考えており、そのため、目上の人間に敬意を示す傾向が強い。反対派や扇動者が政府の政策に反対した時、その裏にどのような利害が絡んでいるのかを考えようとするし、それを見抜く能力も高いので、理不尽な反対や、ためにする反対に踊らされにくい。自由な国では、政府の行動について国民がどこまで好意的な判断を下すのかで、政府の安定性がかなり左右されるので、国民が早まった判断や気まぐれな判断を下す傾向をもたないことは、政府にとってきわめて重要なはずである。