「中央区を、子育て日本一の区へ」こども元気クリニック・病児保育室  小児科医 小坂和輝のblog

感染を制御しつつ、子ども達の学び・育ちの環境づくりをして行きましょう!病児保育も鋭意実施中。子ども達に健康への気づきを。

敗レテ目覚メル、ソレ以外ニドウシテ日本ガ救ハレルカ

2007-10-12 19:32:49 | 政策・マニフェスト
 私は、苦しい時に思うことがあります。
 自分の苦しさは、戦艦大和に載って、海に散っていった3000人以上の若者の苦しみ・無念からすると、むしけらのようだと。
 臼淵磐(うすぶち いわお)大尉が残した言葉、「敗レテ目覚メル、ソレ以外ニドウシテ日本ガ救ハレルカ」「日本ノ新生ニ、サキガケテ散ル、マサニ本望ヂヤナイカ」。
 この言葉に、なんとしても、応えなければならない自分がいる。
 
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 目をしっかり開け、歴史のフィルターを通して今を見つめなければ、正しい判断も進歩も生まれません。戦艦大和で散った人たちの悲痛な叫びが聞こえます。
 「進歩のない者は決して勝たない。負けて目覚めることが最上の道だ。日本は進歩ということを軽んじすぎた。…本当の進歩を忘れていた。敗れて目覚める、それ以外に日本がどうして救われるか。今目覚めずしていつ救われるか。俺(おれ)たちはその先導になるのだ。まさに本望じゃないか」
 一九四五年四月、生還の見込みがない沖縄海域への特攻出撃を前に、戦艦大和の艦内で死の意味をめぐり煩悶(はんもん)、激論する同僚たちを、臼淵磐大尉はこう言って沈黙させました。
 
必敗を覚悟した大和特攻
 もし、この臼淵大尉が昨今の日本社会を見たら何と言うでしょう。
 大和の特攻は、制海、制空権を奪われ、敗戦間近いことが明らかな情勢下で、片道分の燃料しか与えられず、戦闘機の護衛なしに臨む戦いです。合わせて三千人を超える将校、下士官、兵士たちの誰もが「必敗」を覚悟していました。
 臼淵大尉は死を美化したのではありません。科学的、合理的思考を放棄し、誤った精神主義で無謀な戦争を始め破滅に導いた国の指導者を暗に批判したのでしょう。そして、日本人がその愚に気づいて目覚めることに、自分たちの死の意味を求めたのでしょう。
 彼の発言には深い深い思いが込められていました。目前の戦闘に負ける意味だけではなく、「失敗」によって目覚め、教訓を得ることの重要性の指摘です。
 数少ない生還者の一人、吉田満氏(当時少尉)の名著「戦艦大和ノ最期」にこの場面は感動的に描かれています。昨年暮れから正月にかけて百数十万人の観客を集めた映画「男たちの大和」でも、かなりの時間を使って紹介されました。

継承されない先人の教訓
 しかし、大尉役の元プロ野球選手の未熟な演技、大尉の言葉の重さに気づいていそうもない平板なセリフ回しでは、大事なメッセージが伝わりません。スクリーンの前の人々はほとんど無反応でした。
 観客、とりわけ若者たちには「敗れて目覚め」た先人の教訓が継承されていないように見えました。
 継承していないのは若者だけではありません。侵略戦争に駆り立てた責任者を、駆り立てられた人々と同列に祭っている靖国神社に参拝し、中国などからの批判に「罪を憎んで人を憎まず」と開き直った小泉純一郎首相に至っては、目覚めてもいないと言わざるを得ません。
 大和に特攻作戦を伝達にきた連合艦隊参謀長に、大和とともに出撃する駆逐艦の若手艦長が迫ります。
 「なぜ連合艦隊司令長官らは防空壕(ごう)から出て作戦の陣頭指揮をとらないのか」
 このシーンには現在の改憲論議が重なります。自衛隊を自衛軍にして海外派兵も可能にする自民党の「新憲法草案」をつくったのは、自らは銃をとらない国会議員たちでした。いつの世も犠牲を強いる側は大抵、安全地帯にいるのです。
 米軍の猛攻で沈んでゆく艦内で、兵士が「命をかけて戦ったが何も守れなかった。家族も、故郷も…」
とつぶやきます。
 これに対し、自民党草案の前文に国民が守るべき対象として掲げられたのは「帰属する国や社会」です。“滅私奉公”を強制されたあの時代でさえ兵士たちが守ろうとした、家族のことには触れていません。
 歴史研究家の半藤一利さんはベストセラーとなった自著「昭和史」について「歴史を振り返りつつ読者に伝えたかったのは“今を見る目”をしっかり持つことだった」と語り、日本人が目をきちんと開くよう求めています。
 自由にものが言えなかった戦時中と違って言論の自由も参政権も保障されています。土壇場で「なぜ?」「そんな!」と後悔しないように、有権者、特に今後の日本を背負う若者はもっと声をあげましょう。
 学ぶべきは古いことだけではありません。自民党は九・一一総選挙で虚業家だった堀江貴文ライブドア前社長の生き方を推奨モデルとして宣伝し、同調した有権者も少なくありません。バブル経済崩壊で苦い思いをしたのはつい最近なのに…。
 改革の旗手のように振る舞う竹中平蔵総務相(当時金融財政担当相)が同容疑者の応援に駆けつけたのは象徴的でした。社会的弱者への配慮より強者の自由を優先し、過度な格差拡大も放置する-堀江容疑者の考え方と小泉内閣の改革路線には共通点があるからです。

今度こそ‥‥のメッセージ
 昭和の初期、革新官僚、革新将校と呼ばれた人たちが日本をしだいに泥沼へ引きずり込んでいった、歴史上の事実を思い起こします。
 臼淵大尉のメッセージが「今度こそ敗れる前に目覚めよ」と聞こえます。改憲、改革の連呼による集団催眠からさめ、改や革の字に潜む真実を見極めなければなりません。
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(2006年2月5日東京新聞社説より)
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産科医療の現場 「お産は怖い」

2007-10-12 18:11:48 | 小児医療
 産科医の不足、出産トラブルを引き受ける病院が見つからず母子死亡など、産科医療をめぐる現場の悲惨な状況は、ニュースとしてよく取り上げあれ、ご存知のことと思います。
 今回、「お産は怖い」と題した産科医療の現場のレポートがございました。是非、皆様にその現状を知っていただきたく、筆者の許可を得て、転載いたします。 まさに現場の声です。
 現状を直視し、少しでも産科の現場の状況を改善していけるように、知恵を出し合って行きたいと考えます。

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「お産は怖い」
 国立成育医療センター 周産期診療部 産科 医長  久保 隆彦氏

 インターネットの医療ニュースを検索すると産科関係のニュースが無い日は無いというほどに「お産」関係のことが最近話題となっています。このニュースには大きく3つに大別されます。

 一つは病院、産院がお産を止めたためにお産をする場所が無い、いわゆる「お産難民」についてです。これは北海道・東北あるいは離島の話だけではなく、首都圏ですらそうなのです。この結果が「たらいまわし」と表現される事態をおこしています。しかし、「妊婦たらいまわし」の持つ悪いイメージではなく、ハイリスク妊婦・赤ちゃんを受け入れる施設が現実に無くなったため、何件も探さなければいけないのです。病院が断っているのではなく、受け入れるNICU(重症な赤ちゃんを管理するベッド)と妊婦のベッドが著しく足らないのです。

 二つ目は産科医が少ないことについてです。先進国の中で国民に占める医師の割合は日本はダントツに最下位です。そのなかでも産婦人科医、さらには分娩に従事している産婦人科医(産科医)は激減しています。労働基準法を全く無視した長時間ハードワークで低賃金の産科医のなり手が減少しただけではなく、心身共にボロボロとなった産科医がお産から撤退しているのです。

 三番目は今日お話をしようとしている産科医療事故についてです。
 今、刑事裁判となっている「福島大野病院事件」、全く不可解な「堀病院看護師内診事件」、「どんな病院でも救命できなかった脳実質内出血による妊婦死亡した奈良大淀病院事件」が大きなものですが、全国で見ると数多くの妊婦死亡、新生児死亡事故が掲載されています。
 これらのことに共通するのは、現場の産科医の認識とマスコミ・一般国民との認識のズレです。「こんなことは日常的に起こり、救命することは極めて困難なのになぜ事件として取り上げるのか」と思う産科医師と、「日本の進んだ医療の中でお産は安全なはずなのに、なぜ妊婦や赤ちゃんは死ななければならなかったのか」と思うマスコミ・一般国民の印象の違いです。
 良く考えると、毎日お産に携わっている産科医は普通のなんてことないお産が一変して、蛇口の栓を開放したように迸りでる大量出血(数分間で2000-3000mlの出血)はまれならずあることなのです。また、生まれた赤ちゃんが息をせずに蘇生しなければならないことにも遭遇します。
 大家族制が機能していた第二次世界大戦までの日本では、お嫁さんが妊娠するとお婆ちゃんがそっとお嫁さんを呼んで、「お産を甘くみたらいかん、棺桶に片足突っ込んでいるようなものだから」と諭したそうです。しかし、我が国は核家族化し、その貴重な情報が伝達されなくなったのです。

 確かに、日本の周産期医療は世界最高まで上昇し、妊産婦死亡に関しては米国の半分、新生児死亡は世界で一番低いと極めて素晴らしい成績なのです。世界平均の妊産婦死亡率(先進国も全て含んだ)は分娩250人に1人が死亡するという、日本の約60倍も高いものです。
 そこで、日本の妊娠・分娩で死にかけるような重症の妊産婦数の全国調査を、日本産科婦人科学会の指示で私が昨年行いました。日本の妊産婦死亡の約2/3を網羅する調査で分かったことは、たくさんの妊産婦さんが大量出血、頭蓋内出血、救急救命センターでの管理を受けていたことでした。その数は年間4000-5000人であり、これを分娩数で割ると250人に1人が重症管理を受けていたことになり、世界の妊産婦死亡率と全く同じだったのです。ということは、妊娠・分娩が持つ本来の危険性は250人に1人といえるのです。幸い、産科医が労働基準法で定められた時間の倍以上働き、その多くを救命したわけです。事件となっている妊婦死亡は氷山の一角であり、妊娠・分娩には危険はつきものなのです。

 また、赤ちゃんに関しても厚生労働科学研究「産科領域における医療事故の解析と予防対策」(中林班)でのローリスク妊婦(妊娠の危険性の極めて低いと考えられる妊婦)から出生した赤ちゃんの仮死率(専門の新生児科医が蘇生を要する状態)は3%であり、当院でのローリスク妊婦1965人の検討でも仮死率は6%でした。このことは種々の合併症や高齢の妊婦だけではなく、正常に分娩できるだろうと考えていたお産で生まれた赤ちゃんの30人中1人に適切な治療を行なわなければ、重篤な後遺症を含めた不幸な結果となりうることを示しています。

 最後に、妊娠・分娩の母児の危険性は、妊産婦は1/250人、赤ちゃんは1/30人が日本の実態です。お産はお母さんにとっても、赤ちゃんにとっても本当は怖いのです。賢い妊産婦さんはご自分で自分と赤ちゃんを守らなければいけません。「お産の安全神話」は全くの虚構です。ご自分の妊娠、分娩管理を受けている施設の母児救急対応能力と連携施設について良く知っておかなければいけません。


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