「中央区を、子育て日本一の区へ」こども元気クリニック・病児保育室  小児科医 小坂和輝のblog

感染を制御しつつ、子ども達の学び・育ちの環境づくりをして行きましょう!病児保育も鋭意実施中。子ども達に健康への気づきを。

「せんたく」に、期待!!

2008-01-22 12:33:18 | 政策・マニフェスト
地域・生活者起点で日本を洗濯(選択)する国民連合
略称:せんたく
発起人代表:北川正恭早大教授(前三重県県知事)

1月20日発足した。
北川代表によると、
母体の二十一世紀臨調は、これまでも政策提言を続けてきたが、
今後は『運動』に踏み込む必要があるとして立ち上げられたとのこと。

「平成の民権運動」をスローガンに
与野党の国会議員との政策協議、
マニフェスト(政権公約)本位の選挙に向け
運動を展開する。

二月から本格的に活動する方針で、
賛同した国会議員による超党派議連も
同時に発足するという。

地方分権、社会保障など、
広範に政策論争を盛り上げてくれることを、
大いに期待しながら、
今後の「せんたく」の運動・活動を
見守って行きたい。
考えに賛同する国会議員に声を掛けているというが、
地方議員版があれば、是非参加したいとも考える。

*参照 日本経済新聞08/01/22関東圏ページ
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あるときは 船より高き 卯浪かな

2008-01-22 10:23:52 | 社会問題
あるときは 船より高き 卯浪かな
                 真砂女

卯浪(うなみ):旧暦4月(現在の5月)ごろときどきある風の強い日の高い波のこと

「人生は、波の上に立つこともあれば、
底に落ちることもある」
真砂女が自らの人生をなぞらえて詠んだ句。



俳人 鈴木真砂女(まさじょ)=明治39~平成15年が、
銀座に開いた小料理屋「卯波」
(画数を考え、浪⇒波に変えたという。)

2008年1月25日に、半世紀の歴史に幕を下ろします。
再開発に伴い、立ち退きをすることとなってしまいました。

中央区にあるすばらしいものが
またひとつ消えます。
仲間の議員と昨夜1/21、訪れました。

****************
小料理屋「卯波」

昭和32年、真砂女が、
千葉県の旅館のおかみだった真砂女が、
離婚して50歳で始めた。
妻子ある男性と不倫関係になり、
追い出されたも同然の離婚。
「老舗旅館を追い出された意地もあったのであろう。
店を出すなら日本一の場所」ということで銀座に開いたという。
カウンター9席、座敷2部屋だけの小さな店は、
川端康成、安岡章太郎ら作家、
石田波郷ら俳人に愛された。

「俳句と店とどっちをとると聞かれたら、
迷わず店を取る」そう真砂女は、孫に話していた。

最後まで、店に立ちたいと望んでいた
真砂女だったが、
なくなる数年前から足腰が立たなくなり、
孫の今田宗男さん(47)が切り盛りするように。
今田さんは、おばあちゃん子だったという。

真砂女が15年3月に96歳で生涯を終えた後も、
店の灯を守ってきた。

しかし、昨年7月、
大家がかわり、
突然、立ち退きを迫られた。
弁護士にも相談したが、打つ手はないという。

小料理屋「卯波」中央区銀座1-5-14
(産経新聞2007年1月14日を参考に書きました。)
************

店にいながら、何度となく、
店の最後を惜しむ常連客が、
ひっきりなしに店を訪れては、
席がいっぱいで入れず、帰っていった。
中には、芸者を3人連れた社長さんも来られていたが、
いっぱいで入れず退散。
名残惜しい店の最後の姿を、カメラに収める客も。

おいしく料理をいただきながら、
仲間議員と話した。
せめて、句碑だけでも残したいね

心ある中央区、
名犬ちろりの像も建てることができている。
だから、きっと実現できるのではないだろうか。

日本中のいたるところにある話であるが、
再開発の波にのみこまれ、
路地裏の歴史ある小さな店が、
多くの人に愛された小さな店が、
消えていく。
容赦なく消されていく。


**********
なお、昨日一緒に行った区議が、
ご自身のブログで、卯波の記事を書かれています。
江戸川区議会議員 上田令子氏
http://blog.livedoor.jp/edomam/archives/2008-01.html#20080122






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