「中央区を、子育て日本一の区へ」こども元気クリニック・病児保育室  小児科医 小坂和輝のblog

感染を制御しつつ、子ども達の学び・育ちの環境づくりをして行きましょう!病児保育も鋭意実施中。子ども達に健康への気づきを。

富士山大噴火

2008-01-30 23:20:32 | 防災・減災
『その時歴史が動いた』本日放送分。
和歌山出身の私にとって、同郷の吉宗が
関連していたので、見入った。

万が一起こるやも知れない富士山の噴火や
災害復興の苦労をイメージするのに、
私には、役立った番組であったため
メモ的に、記しておきたい。
途中、どの世の中にも、政府の貴重なお金で、
私利私欲を満たす連中がいるんだなあと思った。

富士山の最後の噴火(宝永の大噴火)を取り上げていた。
去年11月は、それから300年。

富士山はかつて大きな噴火を4回起こしている。
延暦19年(西暦800年)、延暦21年(西暦802年)、
貞観6年(864年)そして宝永4年(1707年)の噴火。

現在、富士山の噴火際のハザードマップ(火砕流や火山灰の被害状況)を
政府は作成している。
入手先:国土交通省富士砂防事務所
〒418-0004 静岡県富士宮市三園平1100
電話:0544-27-5221《代表》 FAX:0544-27-5986

さて、宝永の大噴火の火山灰により、
壊滅的な被害をうけた小田原を、
幕府が小田原を直轄領にして復興。
改革派将軍吉宗が、
田中休愚を抜擢し、
小田原の復興をおこなった。

川崎の元名主で地方立て直しの名手として知られた田中休愚。
彼は、『民間省要(みんかんせいよう)』という
地方行政に関して幕府を厳しく批判した意見書を記し、
それが、吉宗の目に止まったという。
その一節
「酒匂川の工事では、金が空しく豪商のものとなり、
将軍の慈愛も民衆までは届いておりません。」


とくに酒匂(さかわ)川の治水。
火山灰が川底にたまり、
大雨で洪水の被害を繰り返し起こしたため、
堤防をつくり治水事業を行った。

当初、江戸の大商人が工事を行ったが、
質のわるい材料での手抜き工事であったため、
休愚は、公正な入札制度をすることで、
地元の業者を安く入札することに。

できた堤防の維持管理にかかわる、
村々の利害関係の調整も休愚は行った。
また、
祭りを催すことで、村の人々の心の融和も図った。

田中休愚は道半ばで病に倒れ、
娘婿の蓑笠之助が復興を引き継ぐ。

火山灰に覆われたやせた土地に育つものとして、
農作物にさつまいもを採用。

新たな手法の堤防作りも採用し、
決壊しない堤防を作り上げた。

富士山噴火後76年で幕府直轄から小田原藩に帰す。

幕府が、総動員体制で、災害復興した例。

*途中インタビューに出られた山本晃一氏
東京都中央区日本橋の河川環境管理財団で河川整備に関する歴史研究を行っていらっしゃいます。著書に『河道計画の技術史』『日本の水制』などがあります。お近くですので、是非今後、隅田川の堤防整備でご意見をお伺いして行きたいと考えます。
コメント
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