政治は、「即時に可否を決する」とか、「事物の順序を司どりて現在の処置を施し」というように、刻々起こってくる問題に優先順位をつけて即刻決断をしていかねばならない“現在性”を属性とします。
学問は、必ずしもその場で結論を出さなくてもよく、むしろ思考と検証の“無限”のプロセスを有し、ロングレンジにものを考えていくことが不可欠です。
政治と学問の分業は、どうあるべきか。
福沢諭吉が火付け役になった論争に、「学者職分論」があります。
文明開化の先頭に立つために、積極的に明治政府の中に入っていくべきか。いや、学者は政府の中に入ってはいけない、「在野」でもって学者としての職分を果たすべきではないか、という論争です。
福沢は、『文明論之概略』の中で、「政治権力指向型を改めない限り、学者は学問の本当の職分を果たせないし、権力からの学問の独立もできないという趣旨のことを述べています。
野にあって、「衆論」を変革することこそが学者の職分だと考えました。
念のため、書きおきますが、
上記は、“明治維新”における“福沢諭吉の考え”です。
ここで、私は、現代においても、上記考えを適応する必要性を述べようとは、考えていません。
学問は、必ずしもその場で結論を出さなくてもよく、むしろ思考と検証の“無限”のプロセスを有し、ロングレンジにものを考えていくことが不可欠です。
政治と学問の分業は、どうあるべきか。
福沢諭吉が火付け役になった論争に、「学者職分論」があります。
文明開化の先頭に立つために、積極的に明治政府の中に入っていくべきか。いや、学者は政府の中に入ってはいけない、「在野」でもって学者としての職分を果たすべきではないか、という論争です。
福沢は、『文明論之概略』の中で、「政治権力指向型を改めない限り、学者は学問の本当の職分を果たせないし、権力からの学問の独立もできないという趣旨のことを述べています。
野にあって、「衆論」を変革することこそが学者の職分だと考えました。
念のため、書きおきますが、
上記は、“明治維新”における“福沢諭吉の考え”です。
ここで、私は、現代においても、上記考えを適応する必要性を述べようとは、考えていません。