5/3は、新聞各社の社説が「憲法」に関連したものでした。
それぞれ、見てみたいと思います。
下線は、重要部分に引きました。
****朝日新聞社説(2010/05/03)*****
憲法記念日に―失われた民意を求めて 日本国憲法の前文を読んでみる。
「ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」
昨夏、国民は主権者として歴史的な決定を下した。自民党長期政権が終わり、民主党が政権に就いた。日本を変えたいという明らかな民意を示し、その通りになった、と思った。
それから8カ月。しかし、鳩山政権の支持率はつるべ落とし。政治は期待通りに動いていないという気分が広がる。多くの国民は、本当に主人公かどうか、自問し始めているだろう。
■すれ違う政治と国民
確かに難しい時代だ。
経済のグローバル化が進み、人々の暮らしはしばしば巨大な市場に翻弄(ほんろう)される。少子高齢化という大きな時代の流れも簡単には止められない。政治にのしかかっているのが難問であることはわかる。
しかし、鳩山政権の繰り広げる光景は既視感に満ち、激変する時代の挑戦を受けて立つ構えが見えない。政治とカネの問題に揺さぶられ、利益誘導体質や財源の裏付けのないマニフェストは、カネで民意を買えると思い込んでいるかのようだ。集票に躍起になればなるほど、政治家たちは民意を見失っていく。
しかしだからといって、政治そのものに背を向けるわけにはいかない。私たちは主権者であることをやめるわけにはいかない。どうすれは再び政治とのつながりを見いだせるのか。
小さな「憲法」で、そんな危機を乗り切ろうとしている自治体がある。
北海道福島町は津軽海峡に面した5千人余りの町だ。推計では、2035年には2千人余りに減る。
その町議会に、全国から視察が絶えない。積み重ねた議会改革と、その末にまとめた「憲法」、議会基本条例を学びにくるのだ。
■熟慮する民主主義
とりわけ、意を用いているのは、議会への広範な町民参加だ。財政は厳しい。何を我慢し、どこに集中投資するか。町民とともに議論しないと納得が得られないからだ。
12人の全議員が加わる委員会を設け、「子育て支援」などテーマごとに町民の声を聞く。陳情が来れば、政策提言として議会で説明してもらう。議会の傍聴者にも討議への参加を認める。選挙での「支持者」とは違う声がそこに集まる。
これは議員同士の議論を徐々に変えていった。町が温めていた町営温泉ホテル構想は中止。下水道計画は浄化槽に切り替え。支持者の利益ではなく無駄をなくすために議会が動いた。
東京都三鷹市の「憲法」、自治基本条例も市政の基本は参加と協働だとうたう。それに基づいて始めたのが市民討議会だ。市民を無作為抽出し、参加を求める。応じてくれた人が現状説明などを聞いた上で議論し、合意点を探る。市民の縮図に近い人たちから熟慮のうえでの判断を聞ける。
11年度からの市の4次基本計画も、この市民討議会や地域ごとの懇談会など様々な市民参加の場で練る。市長のマニフェストに沿った資料を基に市民がよりよい形を探っていく。マニフェストは、細部まで有権者が承認したわけではないと考えるからだ。
討議会の原型はドイツにある。ナチスは選挙を経て独裁に至った。その反省も踏まえ、どう民主主義を再生するか。立案した学者はそんな思いを抱いていたという。
■新しい公共空間を
民意が見えにくい時代でもある。
経済成長が続いたころなら予算も増え、支持者への利益誘導による政治にもあまり抵抗はなかったかもしれない。だがいまは、その裏で必ずだれかが割を食う。「総中流」と言われたのは遠い昔。格差は広がり価値観も多様化した。求められる施策は地域や世代によって時に正反対になる。
もちろん民意を問う基本は選挙だ。1票の格差は早急に是正しなければならない。ただ、公平な選挙のためにはさらに工夫も必要だろう。たとえば、地域間以上に世代間の利害が対立する時代にどんな選挙制度が望ましいか。世代ごとに選挙区を分ける案を提唱する識者もいる。二院制のあり方についての議論もいずれは避けられまい。
だが、公平な選挙制度が実現しても問題は残る。
そもそも民意とは手を伸ばせばそこにあるものではない。確固とした意見や情報を持たない人々が、問題に突き当たってお互いの考えをぶつけ合いながら次第に形成されていく。であれば選挙だけでは足りない。政治と有権者の間に多様な回路を開くしかない。
福島町や三鷹市の「憲法」が試みているのも、そんな回路を増やすことにほかならない。三鷹市にならった市民討議会はすでに全国各地で100回近く開かれている。政府も一部で動き始めている。文部科学省はインターネット上で、政務三役と、教師や学生、保護者らが政策について議論する場を設けた。それから約2週間、書き込まれた意見は1700を超えた。
国民が主権者であり続けるには、民意を育む新しい公共空間を広げ、「数」に還元されない民意を政治の力にしていく知恵と努力が必要だろう。そして、そのプロセス自体が政治への信頼を回復し、ポピュリズムに引きずられない民主主義の基盤にもなる。
*****以上*****
****毎日新聞社説(2010/05/03)*****
社説:憲法記念日に考える 「安保」の将来含め論憲を
今、鳩山由紀夫首相は「普天間問題」で窮地に立っている。直接のきっかけは、いうまでもなく政権の稚拙な対応である。沖縄県民の失望と怒りは増し、首相が約束した5月末決着は難しい。日米間の信頼関係も大きく損ねかねない状況だ。
だが一方で考えるべきことは多い。沖縄は太平洋戦争末期、米軍との激戦で多くの犠牲者を出した。米軍は戦後、「銃剣とブルドーザー」で基地を拡大した。本土復帰後38年になるが、在日米軍基地の4分の3が集中したままだ。怒りのマグマはきっかけさえあればいつでも噴出する状態だった。沖縄の過剰な基地負担の軽減が緊急課題であることを改めて示したのも今回の事態だ。
◇米国が作った枠組み
憲法記念日に憲法と日米安保について考えてみたい。憲法の英語に当たるconstitutionはいわゆる憲法とともに「国のかたち」を示す。
まず戦後日本の枠組みを作った米国との関係を振り返ってみよう。
1945年9月2日、日本が太平洋戦争の降伏文書に調印した米戦艦ミズーリにはペリーが黒船で使用した米国旗が掲げられていた。州を示す星の数から31星旗と呼ばれる。幕末に日本開国をもたらしたペリーの砲艦外交は米国の成功体験であり、その旗を持ち出したのはいかにもマッカーサー(連合国軍最高司令官)らしい演出だった。
日本を占領した米軍はこのあと絶大な権力を振るって大改革を行ったが、日本側には「第二の開国」という肯定的な言葉が生まれた。戦争で疲弊した日本人の多くが新憲法を含む占領改革を歓迎したのである。
日本の講和は米ソ冷戦の激化、特に朝鮮戦争に大きく影響された。51年に日本は憲法9条の非武装条項を維持しつつ講和条約と安保条約を一体のものとして受け入れ、翌年独立を回復した。米軍の駐留継続は日本側の要望でもあった。交渉を担ったジョン・F・ダレスは講和直後の論文で「日本を太平洋地域の集団安全保障体制の一員として積極的に関与させる必要が生じた」と説明した。朝鮮戦争に出撃する米軍の後方基地との位置付けだったが、国際情勢を考えれば不可避だったろう。これに対し革新勢力を中心に「対米従属」との批判が強まり、戦後政治の最大の対立軸となった。
結果的に国民の支持を得たのは吉田茂首相を起点とする軽武装経済重視のいわゆる保守本流路線だった。憲法と日米安保を車の両輪として「国のかたち」を形成してきた。両者は理念として矛盾するようだが、「軍事」の部分を安保条約が補完することで憲法9条が維持されたともいえる。
だが、歴代政権が日米安保の現実を率直に語ってきたとはいえない。例えば在日米軍基地の存在理由について、特に沖縄への基地集中について、日本の防衛以外の要素をていねいに説明してきただろうか。核の傘と非核三原則の関係についても真剣に説明してきたとはいえない。
岡田克也外相が進めた日米密約の検証作業では、米艦船による核持ち込みにからむ「広義の密約」の存在を指摘した。世論の反発を避けるためだったというが、これも安保の現実を語ってこなかった一例だ。
◇沖縄の負担軽減は急務
憲法と日米安保について、事実に即した率直な議論をしてこなかったことのツケは大きい。今こそ隠し立てのない誠実な議論を積み上げるときであろう。最近の各種世論調査では日米安保の継続を支持する人は多数となっており議論の素地はできている。アジア太平洋地域の安全保障の仕組みを日米同盟を軸として構想することも必要になるだろう。憲法の平和主義を堅持しつつ、具体的にどのような条文や解釈が最適かも真剣に考えなければならない。
私たちは日米同盟と、世界の平和と繁栄のための日米共同作業を支持している。しかし、冷戦後の国際・国内情勢の変化は激しい。1996年の日米安保共同宣言が「アジア太平洋地域安定のための公共財」とする「再定義」などで当面しのいできたが、今秋予定されるオバマ米大統領来日を機に、まさに「再々定義」が必要になっている。
「普天間」が示すように、沖縄の過剰な負担を放置していては日米同盟が維持できなくなる可能性がある。「再々定義」の機会に、在日米軍基地の配置や負担についても、日本側の意向を米国側に率直に示し、将来に向けた負担軽減のビジョンを作る作業を始めるべきだろう。
私たちはかねて「論憲」を主張してきた。現憲法の掲げる基本価値を支持しつつ、現状に合わせたよりよい憲法を求めて議論を深めようとする立場である。
今月18日に憲法改正の手続きを定めた国民投票法が施行される。本社世論調査によれば、憲法改正の動きが進むことを「期待する」50%、「期待しない」48%という拮抗(きっこう)する結果だった。改憲を急ぐというより、どのような改憲が必要になるかを慎重に論議しようという世論と見ていいのではないか。21世紀の日本の「国のかたち」を練る「論憲」を進めるときである。
*****以上*****
*****読売新聞(2010/05/03)****
憲法記念日 改正論議を危機打開の一助に(5月3日付・読売社説)
八方ふさがりの日本。いま、憲法改正論議の暇(いとま)はない、と言う人は少なくないかもしれない。
だが、こうした時だからこそ、国の統治の基本を定めた憲法の問題に立ち返ってみることが必要ではないか。
政治や経済の危機的な状況を打開する一助になるはずだ。
きょうは憲法記念日。改憲を改めて考える一日にしたい。
◆憲法審査会を動かせ◆
今月18日、憲法改正手続きを定めた国民投票法が、同法成立後3年を経てようやく施行される。これからは、いつでも憲法改正原案の国会提出が可能になる。
だが、原案などを審査する場になる、国会の憲法審査会が動いていない。
衆院は審査会を運営するための審査会規程を定めただけだ。参院に至っては規程すらない。民主党の西岡武夫参院議院運営委員長が「違法状態」と言っている。
最大の責任は、政略的思惑から改憲論議を棚上げしている民主党にある。さらに改憲を党是としながら、推進力を欠く自民党の責任も否めない。
憲法に改正条項があるのに、手続き法を作ってこなかった国会の“不作為”は解消されたが、審査会始動をサボタージュしていては、不作為の継続に等しい。
◆気がかりな憲法解釈◆
政権が交代した昨年来、気になるのが、与党・民主党による独自の憲法解釈だ。
小沢幹事長らは、永住外国人への地方参政権付与について積極姿勢をみせている。
鳩山首相も、国会で「憲法に抵触する話ではない」と答弁した。だが、これは1995年の最高裁判決での、判決の結論とは関係のない傍論を根拠としていた。
憲法の国民主権に照らせば、憲法15条の公務員を選定・罷免する権利の保障は、日本国籍を持つ「日本国民」を対象とし、外国人には及ばない。この判決の本論こそ尊重すべき考え方である。
民主党は「地域主権国家」を目指すとしている。
憲法で明記した「主権」の意味の一つは、国家の統治権だ。「地域主権」という表現は、国の統治権を地方に移譲し、連邦制に移行するかのような誤解を与える。不適切な用い方だ。
菅副総理は国会で、「憲法には三権分立という言葉はない。国会は内閣を生み出す親。国会と内閣は独立した関係ではありえない」という趣旨を述べている。
しかし、憲法は各章に「国会」「内閣」「司法」を設けており、権力分立原則に立っていることは明らかだろう。
天皇と外国要人との会見は、憲法7条の「天皇の国事行為」ではなく、「公的行為」である。
小沢幹事長は、天皇陛下と中国要人との「特例会見」問題で、そこを取り違えたうえ、天皇陛下も会うと「必ずおっしゃる」と陛下の判断に言及するなど、「天皇の政治利用」批判を招いた。
鳩山首相は、米軍普天間飛行場移設問題の処理を誤り、立ち往生している。混乱は「対等な日米関係」を唱えながら政権として確固たる安全保障政策をもたないため、という指摘は多い。
◆国の基本に立ち返ろう◆
「対等」を掲げるなら、まず、集団的自衛権行使という憲法上の問題に正面から向き合わなければならない。
今年度予算は、国債発行額が税収を大きく上回っている。財政状況は悪化の一途だ。ところが、首相は、衆院議員の任期中、「消費税率は引き上げない」との発言を繰り返している。
しかし、これでは財政の立て直しは不可能だ。財政規律の維持をうたう条項を憲法にどう盛り込むかが、切実さを増すゆえんだ。
衆参ねじれ国会の下で問われた参院の強すぎる権限の見直しも、さっぱり議論されなくなった。喉元(のどもと)過ぎれば熱さを忘れる、ということでは困る。
昨年衆院選の小選挙区での「1票の格差」をめぐる訴訟では、全国各地の高裁で、「合憲」判断を上回る「違憲」「違憲状態」の判決が相次いでいる。国会も安閑としてはいられない。
政治の現場で、「国のかたち」や中長期にわたる政策課題をめぐる議論が衰えている。そうした議論を盛んにしていくためにも、いま一度、憲法改正論議を活性化させていく必要がある。
(2010年5月3日01時11分 読売新聞)
****以上*****
****日経新聞(2010/05/03)****
憲法審査会で議論を始めよ
2010/5/3付
63年前のきょう施行された現行憲法は今年、大きな節目を迎える。国民投票法が18日に施行され、国会が改正を発議できる仕組みが初めて整う。戦後の民主主義の礎となった理念を大事にしつつ、新たな時代にふさわしい憲法の姿について議論を深めていく時期にきている。
国民投票法は本来ならば憲法施行後すぐに制定されるべきだった。憲法96条が定める改正のための手続き法が存在しなかったこと自体、国会の怠慢である。ただ憲法改正の議論を避ける空気は、今なお政界に色濃く残っている。
国民投票法は2007年5月に成立し、衆参両院に「憲法審査会」が設置された。民主党は委員数や表決方法などのルール作りに慎重姿勢を示し、衆院は09年にようやく自民、公明両党の主導で審査会規定が制定された。参院がいまだに規定を設けていないのは大きな問題である。
「平和主義」「国民主権」「基本的人権の尊重」という憲法の精神は今後も次世代に引き継いでいかねばならない。一方、各論では議論すべきテーマはいくつもある。
07年の参院選での自民党敗北は、衆参の多数勢力が異なる「ねじれ国会」を生んだ。首相の解散権が及ばない参院が法案審議などで衆院並みの強大な権限を有していることが、政治の停滞につながった。
政権交代でねじれは解消したが、二大政党制に近づけば政権が同様の困難に直面する可能性は高い。衆院の3分の2以上による「再可決」が使える状況は例外的であり、衆参の役割を考え直す必要がある。
自民党は05年にまとめた新憲法草案で、9条を改正し自衛軍の保持と国際貢献を明記するよう提案した。
「道州制」を検討する上では国と地方自治体の関係の再定義が必要になるかもしれない。地球温暖化対策などとの関連で「環境権」に関する国際的な意識は変わりつつある。
明治憲法も現行憲法も国民は制定プロセスに直接かかわっていない。国会が今すぐ改正を発議する状況にはないとしても、様々な課題をめぐる国民的な議論は重要である。衆参の憲法審査会を少しでも早く動かし、21世紀にふさわしい憲法をつくる意識を明確にしてほしい。
*****以上*****
*****東京新聞(2010/05/03)*****
憲法記念日に考える 初心をいまに生かす
2010年5月3日
長い戦争から解放され、人々は新しい憲法を歓迎しました。その“初心”実現に向けて積極的理念を世界に発信できるか、日本の英知が試されます。
米軍普天間飛行場の移設問題が迷走し、憲法改正国民投票法の施行が十八日に迫る中で今年も憲法記念日を迎えました。この状況は非武装平和宣言の第九条をとりわけ強く意識させます。
日本国憲法の公布は一九四六年十一月三日、施行は翌年五月三日でした。当時の新聞には「日本の夜明け」「新しい日本の出発」「新日本建設の礎石」「平和新生へ道開く」など新憲法誕生を祝う見出しが並んでいます。
新しい歴史を刻む息吹
長かった戦争のトンネルからやっと抜け出せた人々の、新たな歴史を刻もうとする息吹が紙面から伝わってきます。新生日本の初心表明ともいえるでしょう。
あれから六十年余、日本は武力行使により一人も殺すことなく、殺されることもなく過ごしてきました。憲法の力が働いていることは明らかです。
しかし、現代日本人、特に本土に住む人たちの胸には先人の思いがどれほどとどまっているのでしょう。少なくとも国内は平和で、戦争を体験した世代も少なくなり、憲法の効果を日常的に意識することはありません。憲法は空気のような存在になっています。
「初心忘るべからず」と言いますが、忘れてはいけない初心が次世代にきちんと継承されているでしょうか。
かつて沖縄県民は「平和憲法の下へ帰りたい」と島ぐるみで粘り強い復帰運動を展開しました。そのかいあって七二年にやっと復帰が実現し、米軍による支配から脱したものの、四十年近くたった今でも県民の熱望は「憲法の恩恵に浴する」ことです。
沖縄を犠牲にした平和
幼い子どもが最初に覚えた言葉は「怖い!」だった。
沖縄で基地問題を取材している記者が本土の記者に披露した余話です。母親が米軍機の爆音を聞くたびに発した言葉でした。
普天間飛行場や嘉手納基地で離着陸する米軍機の轟音(ごうおん)、迷彩服で公道を行進する米兵、多発する軍人犯罪…沖縄に残る現実は、太平洋戦争末期に島内全域で行われた地上戦を思い起こさせます。憲法誕生時、多くの日本人が抱いた初心の背景と似ています。
復帰後、本土では立川、調布、朝霞など米軍の施設・区域が次々返還され大幅に縮小しましたが、沖縄には日本全体の米軍基地の面積で74%が集中し、県土の10%は基地です。
本土の人たちが享受している平和と安定は、こうした負担、犠牲の上に築かれていることに気づかなければなりません。基地の存在自体を根本から問い直してみることも必要でしょう。
身動きもままならない管理社会態勢、拡大し定着する格差、それらがもたらす閉塞(へいそく)感で生まれる不満と不安…関心はもっぱら自分を守ることに向かい、大きな視野が失われがちです。
その間隙(かんげき)をついて一部で戦史の書き換えが進み、あの戦争を容認し、美化する動きさえあります。他方で自衛隊は世界有数の軍事力を持ち、海外派遣が当たり前のようになっています。
いまこそ憲法が生まれた歴史的背景、経緯を正しく語り伝え、六十年前の初心を再確認しなければなりません。
憲法前文には「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」とあります。
制定者の念頭には諸国民の先頭に立つ日本の姿がありましたが、いまだに戦火と混乱に苦しむ人々が世界各地にいます。沖縄の基地はそれと無縁ではありません。
第九条を自国に対する制約と考えるのではなく、日本国憲法の有する普遍的価値を国際社会に向かって発信してゆくことが、日本には求められます。
北朝鮮が核実験を行い、中国が軍拡路線を歩む一方で、米ロが核軍縮に取り組もうとしているだけに日本の姿勢が問われます。
鳩山由紀夫首相は核安保サミットで「核廃絶の先頭に立つ」と誓い、民主党は東アジア共同体構想を掲げました。
構想の詳細は不明確ですが、これらは歴代政権が無視してきた九条の理念を構築する足がかりになるかもしれません。
存在感の肥大化を防ぐ
歴史の産物であり教訓である憲法の将来を考えるには、現実に流されたつじつま合わせではなく、過去を緻密(ちみつ)に検証したうえでの議論が欠かせません。
歴史に学んで第九条の現代的意味を追求し続けることが、改正手続きを定めた国民投票法の存在感肥大化、独り歩きを防ぎます。
******以上*****
それぞれ、見てみたいと思います。
下線は、重要部分に引きました。
****朝日新聞社説(2010/05/03)*****
憲法記念日に―失われた民意を求めて 日本国憲法の前文を読んでみる。
「ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」
昨夏、国民は主権者として歴史的な決定を下した。自民党長期政権が終わり、民主党が政権に就いた。日本を変えたいという明らかな民意を示し、その通りになった、と思った。
それから8カ月。しかし、鳩山政権の支持率はつるべ落とし。政治は期待通りに動いていないという気分が広がる。多くの国民は、本当に主人公かどうか、自問し始めているだろう。
■すれ違う政治と国民
確かに難しい時代だ。
経済のグローバル化が進み、人々の暮らしはしばしば巨大な市場に翻弄(ほんろう)される。少子高齢化という大きな時代の流れも簡単には止められない。政治にのしかかっているのが難問であることはわかる。
しかし、鳩山政権の繰り広げる光景は既視感に満ち、激変する時代の挑戦を受けて立つ構えが見えない。政治とカネの問題に揺さぶられ、利益誘導体質や財源の裏付けのないマニフェストは、カネで民意を買えると思い込んでいるかのようだ。集票に躍起になればなるほど、政治家たちは民意を見失っていく。
しかしだからといって、政治そのものに背を向けるわけにはいかない。私たちは主権者であることをやめるわけにはいかない。どうすれは再び政治とのつながりを見いだせるのか。
小さな「憲法」で、そんな危機を乗り切ろうとしている自治体がある。
北海道福島町は津軽海峡に面した5千人余りの町だ。推計では、2035年には2千人余りに減る。
その町議会に、全国から視察が絶えない。積み重ねた議会改革と、その末にまとめた「憲法」、議会基本条例を学びにくるのだ。
■熟慮する民主主義
とりわけ、意を用いているのは、議会への広範な町民参加だ。財政は厳しい。何を我慢し、どこに集中投資するか。町民とともに議論しないと納得が得られないからだ。
12人の全議員が加わる委員会を設け、「子育て支援」などテーマごとに町民の声を聞く。陳情が来れば、政策提言として議会で説明してもらう。議会の傍聴者にも討議への参加を認める。選挙での「支持者」とは違う声がそこに集まる。
これは議員同士の議論を徐々に変えていった。町が温めていた町営温泉ホテル構想は中止。下水道計画は浄化槽に切り替え。支持者の利益ではなく無駄をなくすために議会が動いた。
東京都三鷹市の「憲法」、自治基本条例も市政の基本は参加と協働だとうたう。それに基づいて始めたのが市民討議会だ。市民を無作為抽出し、参加を求める。応じてくれた人が現状説明などを聞いた上で議論し、合意点を探る。市民の縮図に近い人たちから熟慮のうえでの判断を聞ける。
11年度からの市の4次基本計画も、この市民討議会や地域ごとの懇談会など様々な市民参加の場で練る。市長のマニフェストに沿った資料を基に市民がよりよい形を探っていく。マニフェストは、細部まで有権者が承認したわけではないと考えるからだ。
討議会の原型はドイツにある。ナチスは選挙を経て独裁に至った。その反省も踏まえ、どう民主主義を再生するか。立案した学者はそんな思いを抱いていたという。
■新しい公共空間を
民意が見えにくい時代でもある。
経済成長が続いたころなら予算も増え、支持者への利益誘導による政治にもあまり抵抗はなかったかもしれない。だがいまは、その裏で必ずだれかが割を食う。「総中流」と言われたのは遠い昔。格差は広がり価値観も多様化した。求められる施策は地域や世代によって時に正反対になる。
もちろん民意を問う基本は選挙だ。1票の格差は早急に是正しなければならない。ただ、公平な選挙のためにはさらに工夫も必要だろう。たとえば、地域間以上に世代間の利害が対立する時代にどんな選挙制度が望ましいか。世代ごとに選挙区を分ける案を提唱する識者もいる。二院制のあり方についての議論もいずれは避けられまい。
だが、公平な選挙制度が実現しても問題は残る。
そもそも民意とは手を伸ばせばそこにあるものではない。確固とした意見や情報を持たない人々が、問題に突き当たってお互いの考えをぶつけ合いながら次第に形成されていく。であれば選挙だけでは足りない。政治と有権者の間に多様な回路を開くしかない。
福島町や三鷹市の「憲法」が試みているのも、そんな回路を増やすことにほかならない。三鷹市にならった市民討議会はすでに全国各地で100回近く開かれている。政府も一部で動き始めている。文部科学省はインターネット上で、政務三役と、教師や学生、保護者らが政策について議論する場を設けた。それから約2週間、書き込まれた意見は1700を超えた。
国民が主権者であり続けるには、民意を育む新しい公共空間を広げ、「数」に還元されない民意を政治の力にしていく知恵と努力が必要だろう。そして、そのプロセス自体が政治への信頼を回復し、ポピュリズムに引きずられない民主主義の基盤にもなる。
*****以上*****
****毎日新聞社説(2010/05/03)*****
社説:憲法記念日に考える 「安保」の将来含め論憲を
今、鳩山由紀夫首相は「普天間問題」で窮地に立っている。直接のきっかけは、いうまでもなく政権の稚拙な対応である。沖縄県民の失望と怒りは増し、首相が約束した5月末決着は難しい。日米間の信頼関係も大きく損ねかねない状況だ。
だが一方で考えるべきことは多い。沖縄は太平洋戦争末期、米軍との激戦で多くの犠牲者を出した。米軍は戦後、「銃剣とブルドーザー」で基地を拡大した。本土復帰後38年になるが、在日米軍基地の4分の3が集中したままだ。怒りのマグマはきっかけさえあればいつでも噴出する状態だった。沖縄の過剰な基地負担の軽減が緊急課題であることを改めて示したのも今回の事態だ。
◇米国が作った枠組み
憲法記念日に憲法と日米安保について考えてみたい。憲法の英語に当たるconstitutionはいわゆる憲法とともに「国のかたち」を示す。
まず戦後日本の枠組みを作った米国との関係を振り返ってみよう。
1945年9月2日、日本が太平洋戦争の降伏文書に調印した米戦艦ミズーリにはペリーが黒船で使用した米国旗が掲げられていた。州を示す星の数から31星旗と呼ばれる。幕末に日本開国をもたらしたペリーの砲艦外交は米国の成功体験であり、その旗を持ち出したのはいかにもマッカーサー(連合国軍最高司令官)らしい演出だった。
日本を占領した米軍はこのあと絶大な権力を振るって大改革を行ったが、日本側には「第二の開国」という肯定的な言葉が生まれた。戦争で疲弊した日本人の多くが新憲法を含む占領改革を歓迎したのである。
日本の講和は米ソ冷戦の激化、特に朝鮮戦争に大きく影響された。51年に日本は憲法9条の非武装条項を維持しつつ講和条約と安保条約を一体のものとして受け入れ、翌年独立を回復した。米軍の駐留継続は日本側の要望でもあった。交渉を担ったジョン・F・ダレスは講和直後の論文で「日本を太平洋地域の集団安全保障体制の一員として積極的に関与させる必要が生じた」と説明した。朝鮮戦争に出撃する米軍の後方基地との位置付けだったが、国際情勢を考えれば不可避だったろう。これに対し革新勢力を中心に「対米従属」との批判が強まり、戦後政治の最大の対立軸となった。
結果的に国民の支持を得たのは吉田茂首相を起点とする軽武装経済重視のいわゆる保守本流路線だった。憲法と日米安保を車の両輪として「国のかたち」を形成してきた。両者は理念として矛盾するようだが、「軍事」の部分を安保条約が補完することで憲法9条が維持されたともいえる。
だが、歴代政権が日米安保の現実を率直に語ってきたとはいえない。例えば在日米軍基地の存在理由について、特に沖縄への基地集中について、日本の防衛以外の要素をていねいに説明してきただろうか。核の傘と非核三原則の関係についても真剣に説明してきたとはいえない。
岡田克也外相が進めた日米密約の検証作業では、米艦船による核持ち込みにからむ「広義の密約」の存在を指摘した。世論の反発を避けるためだったというが、これも安保の現実を語ってこなかった一例だ。
◇沖縄の負担軽減は急務
憲法と日米安保について、事実に即した率直な議論をしてこなかったことのツケは大きい。今こそ隠し立てのない誠実な議論を積み上げるときであろう。最近の各種世論調査では日米安保の継続を支持する人は多数となっており議論の素地はできている。アジア太平洋地域の安全保障の仕組みを日米同盟を軸として構想することも必要になるだろう。憲法の平和主義を堅持しつつ、具体的にどのような条文や解釈が最適かも真剣に考えなければならない。
私たちは日米同盟と、世界の平和と繁栄のための日米共同作業を支持している。しかし、冷戦後の国際・国内情勢の変化は激しい。1996年の日米安保共同宣言が「アジア太平洋地域安定のための公共財」とする「再定義」などで当面しのいできたが、今秋予定されるオバマ米大統領来日を機に、まさに「再々定義」が必要になっている。
「普天間」が示すように、沖縄の過剰な負担を放置していては日米同盟が維持できなくなる可能性がある。「再々定義」の機会に、在日米軍基地の配置や負担についても、日本側の意向を米国側に率直に示し、将来に向けた負担軽減のビジョンを作る作業を始めるべきだろう。
私たちはかねて「論憲」を主張してきた。現憲法の掲げる基本価値を支持しつつ、現状に合わせたよりよい憲法を求めて議論を深めようとする立場である。
今月18日に憲法改正の手続きを定めた国民投票法が施行される。本社世論調査によれば、憲法改正の動きが進むことを「期待する」50%、「期待しない」48%という拮抗(きっこう)する結果だった。改憲を急ぐというより、どのような改憲が必要になるかを慎重に論議しようという世論と見ていいのではないか。21世紀の日本の「国のかたち」を練る「論憲」を進めるときである。
*****以上*****
*****読売新聞(2010/05/03)****
憲法記念日 改正論議を危機打開の一助に(5月3日付・読売社説)
八方ふさがりの日本。いま、憲法改正論議の暇(いとま)はない、と言う人は少なくないかもしれない。
だが、こうした時だからこそ、国の統治の基本を定めた憲法の問題に立ち返ってみることが必要ではないか。
政治や経済の危機的な状況を打開する一助になるはずだ。
きょうは憲法記念日。改憲を改めて考える一日にしたい。
◆憲法審査会を動かせ◆
今月18日、憲法改正手続きを定めた国民投票法が、同法成立後3年を経てようやく施行される。これからは、いつでも憲法改正原案の国会提出が可能になる。
だが、原案などを審査する場になる、国会の憲法審査会が動いていない。
衆院は審査会を運営するための審査会規程を定めただけだ。参院に至っては規程すらない。民主党の西岡武夫参院議院運営委員長が「違法状態」と言っている。
最大の責任は、政略的思惑から改憲論議を棚上げしている民主党にある。さらに改憲を党是としながら、推進力を欠く自民党の責任も否めない。
憲法に改正条項があるのに、手続き法を作ってこなかった国会の“不作為”は解消されたが、審査会始動をサボタージュしていては、不作為の継続に等しい。
◆気がかりな憲法解釈◆
政権が交代した昨年来、気になるのが、与党・民主党による独自の憲法解釈だ。
小沢幹事長らは、永住外国人への地方参政権付与について積極姿勢をみせている。
鳩山首相も、国会で「憲法に抵触する話ではない」と答弁した。だが、これは1995年の最高裁判決での、判決の結論とは関係のない傍論を根拠としていた。
憲法の国民主権に照らせば、憲法15条の公務員を選定・罷免する権利の保障は、日本国籍を持つ「日本国民」を対象とし、外国人には及ばない。この判決の本論こそ尊重すべき考え方である。
民主党は「地域主権国家」を目指すとしている。
憲法で明記した「主権」の意味の一つは、国家の統治権だ。「地域主権」という表現は、国の統治権を地方に移譲し、連邦制に移行するかのような誤解を与える。不適切な用い方だ。
菅副総理は国会で、「憲法には三権分立という言葉はない。国会は内閣を生み出す親。国会と内閣は独立した関係ではありえない」という趣旨を述べている。
しかし、憲法は各章に「国会」「内閣」「司法」を設けており、権力分立原則に立っていることは明らかだろう。
天皇と外国要人との会見は、憲法7条の「天皇の国事行為」ではなく、「公的行為」である。
小沢幹事長は、天皇陛下と中国要人との「特例会見」問題で、そこを取り違えたうえ、天皇陛下も会うと「必ずおっしゃる」と陛下の判断に言及するなど、「天皇の政治利用」批判を招いた。
鳩山首相は、米軍普天間飛行場移設問題の処理を誤り、立ち往生している。混乱は「対等な日米関係」を唱えながら政権として確固たる安全保障政策をもたないため、という指摘は多い。
◆国の基本に立ち返ろう◆
「対等」を掲げるなら、まず、集団的自衛権行使という憲法上の問題に正面から向き合わなければならない。
今年度予算は、国債発行額が税収を大きく上回っている。財政状況は悪化の一途だ。ところが、首相は、衆院議員の任期中、「消費税率は引き上げない」との発言を繰り返している。
しかし、これでは財政の立て直しは不可能だ。財政規律の維持をうたう条項を憲法にどう盛り込むかが、切実さを増すゆえんだ。
衆参ねじれ国会の下で問われた参院の強すぎる権限の見直しも、さっぱり議論されなくなった。喉元(のどもと)過ぎれば熱さを忘れる、ということでは困る。
昨年衆院選の小選挙区での「1票の格差」をめぐる訴訟では、全国各地の高裁で、「合憲」判断を上回る「違憲」「違憲状態」の判決が相次いでいる。国会も安閑としてはいられない。
政治の現場で、「国のかたち」や中長期にわたる政策課題をめぐる議論が衰えている。そうした議論を盛んにしていくためにも、いま一度、憲法改正論議を活性化させていく必要がある。
(2010年5月3日01時11分 読売新聞)
****以上*****
****日経新聞(2010/05/03)****
憲法審査会で議論を始めよ
2010/5/3付
63年前のきょう施行された現行憲法は今年、大きな節目を迎える。国民投票法が18日に施行され、国会が改正を発議できる仕組みが初めて整う。戦後の民主主義の礎となった理念を大事にしつつ、新たな時代にふさわしい憲法の姿について議論を深めていく時期にきている。
国民投票法は本来ならば憲法施行後すぐに制定されるべきだった。憲法96条が定める改正のための手続き法が存在しなかったこと自体、国会の怠慢である。ただ憲法改正の議論を避ける空気は、今なお政界に色濃く残っている。
国民投票法は2007年5月に成立し、衆参両院に「憲法審査会」が設置された。民主党は委員数や表決方法などのルール作りに慎重姿勢を示し、衆院は09年にようやく自民、公明両党の主導で審査会規定が制定された。参院がいまだに規定を設けていないのは大きな問題である。
「平和主義」「国民主権」「基本的人権の尊重」という憲法の精神は今後も次世代に引き継いでいかねばならない。一方、各論では議論すべきテーマはいくつもある。
07年の参院選での自民党敗北は、衆参の多数勢力が異なる「ねじれ国会」を生んだ。首相の解散権が及ばない参院が法案審議などで衆院並みの強大な権限を有していることが、政治の停滞につながった。
政権交代でねじれは解消したが、二大政党制に近づけば政権が同様の困難に直面する可能性は高い。衆院の3分の2以上による「再可決」が使える状況は例外的であり、衆参の役割を考え直す必要がある。
自民党は05年にまとめた新憲法草案で、9条を改正し自衛軍の保持と国際貢献を明記するよう提案した。
「道州制」を検討する上では国と地方自治体の関係の再定義が必要になるかもしれない。地球温暖化対策などとの関連で「環境権」に関する国際的な意識は変わりつつある。
明治憲法も現行憲法も国民は制定プロセスに直接かかわっていない。国会が今すぐ改正を発議する状況にはないとしても、様々な課題をめぐる国民的な議論は重要である。衆参の憲法審査会を少しでも早く動かし、21世紀にふさわしい憲法をつくる意識を明確にしてほしい。
*****以上*****
*****東京新聞(2010/05/03)*****
憲法記念日に考える 初心をいまに生かす
2010年5月3日
長い戦争から解放され、人々は新しい憲法を歓迎しました。その“初心”実現に向けて積極的理念を世界に発信できるか、日本の英知が試されます。
米軍普天間飛行場の移設問題が迷走し、憲法改正国民投票法の施行が十八日に迫る中で今年も憲法記念日を迎えました。この状況は非武装平和宣言の第九条をとりわけ強く意識させます。
日本国憲法の公布は一九四六年十一月三日、施行は翌年五月三日でした。当時の新聞には「日本の夜明け」「新しい日本の出発」「新日本建設の礎石」「平和新生へ道開く」など新憲法誕生を祝う見出しが並んでいます。
新しい歴史を刻む息吹
長かった戦争のトンネルからやっと抜け出せた人々の、新たな歴史を刻もうとする息吹が紙面から伝わってきます。新生日本の初心表明ともいえるでしょう。
あれから六十年余、日本は武力行使により一人も殺すことなく、殺されることもなく過ごしてきました。憲法の力が働いていることは明らかです。
しかし、現代日本人、特に本土に住む人たちの胸には先人の思いがどれほどとどまっているのでしょう。少なくとも国内は平和で、戦争を体験した世代も少なくなり、憲法の効果を日常的に意識することはありません。憲法は空気のような存在になっています。
「初心忘るべからず」と言いますが、忘れてはいけない初心が次世代にきちんと継承されているでしょうか。
かつて沖縄県民は「平和憲法の下へ帰りたい」と島ぐるみで粘り強い復帰運動を展開しました。そのかいあって七二年にやっと復帰が実現し、米軍による支配から脱したものの、四十年近くたった今でも県民の熱望は「憲法の恩恵に浴する」ことです。
沖縄を犠牲にした平和
幼い子どもが最初に覚えた言葉は「怖い!」だった。
沖縄で基地問題を取材している記者が本土の記者に披露した余話です。母親が米軍機の爆音を聞くたびに発した言葉でした。
普天間飛行場や嘉手納基地で離着陸する米軍機の轟音(ごうおん)、迷彩服で公道を行進する米兵、多発する軍人犯罪…沖縄に残る現実は、太平洋戦争末期に島内全域で行われた地上戦を思い起こさせます。憲法誕生時、多くの日本人が抱いた初心の背景と似ています。
復帰後、本土では立川、調布、朝霞など米軍の施設・区域が次々返還され大幅に縮小しましたが、沖縄には日本全体の米軍基地の面積で74%が集中し、県土の10%は基地です。
本土の人たちが享受している平和と安定は、こうした負担、犠牲の上に築かれていることに気づかなければなりません。基地の存在自体を根本から問い直してみることも必要でしょう。
身動きもままならない管理社会態勢、拡大し定着する格差、それらがもたらす閉塞(へいそく)感で生まれる不満と不安…関心はもっぱら自分を守ることに向かい、大きな視野が失われがちです。
その間隙(かんげき)をついて一部で戦史の書き換えが進み、あの戦争を容認し、美化する動きさえあります。他方で自衛隊は世界有数の軍事力を持ち、海外派遣が当たり前のようになっています。
いまこそ憲法が生まれた歴史的背景、経緯を正しく語り伝え、六十年前の初心を再確認しなければなりません。
憲法前文には「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」とあります。
制定者の念頭には諸国民の先頭に立つ日本の姿がありましたが、いまだに戦火と混乱に苦しむ人々が世界各地にいます。沖縄の基地はそれと無縁ではありません。
第九条を自国に対する制約と考えるのではなく、日本国憲法の有する普遍的価値を国際社会に向かって発信してゆくことが、日本には求められます。
北朝鮮が核実験を行い、中国が軍拡路線を歩む一方で、米ロが核軍縮に取り組もうとしているだけに日本の姿勢が問われます。
鳩山由紀夫首相は核安保サミットで「核廃絶の先頭に立つ」と誓い、民主党は東アジア共同体構想を掲げました。
構想の詳細は不明確ですが、これらは歴代政権が無視してきた九条の理念を構築する足がかりになるかもしれません。
存在感の肥大化を防ぐ
歴史の産物であり教訓である憲法の将来を考えるには、現実に流されたつじつま合わせではなく、過去を緻密(ちみつ)に検証したうえでの議論が欠かせません。
歴史に学んで第九条の現代的意味を追求し続けることが、改正手続きを定めた国民投票法の存在感肥大化、独り歩きを防ぎます。
******以上*****