朝日新聞5/5の投書欄『声』に、中央区のことが取り上げられていました。
ここに、その投書を掲載いたします。
****朝日新聞『声』(2010/05/05)*****
「自分はぬれ、義足の私に傘」
主婦 (米カリフォルニア州 75)
先頃、家族を訪ねて来日した時、都心(中央区)で心温まる体験をした。私の右足は義足で、松葉づえがなくては歩けない。ある雨の日、傘をさせないでぬれながらホテルからバス停へと向かっていた。すると途中で、先ほど通り過ぎたはずの黄色い傘をさした30歳代の男性が戻ってきて私と一緒に歩き始めた。傘を私にさし向け、自分はぬれている。
「ノー、ノー、あなたがぬれてしまいます。私は大丈夫です」とお断りをすると、「傘もさしていない。そしてあなたはお体が不自由でいらっしゃいます」と言って、笑顔で私のために傘をかざし続け、バス停まで送って下さったのだ。「God bless you!(神のご加護を)」と言いたかったが、口を開いたら涙が止まらなくなりそうで、代わりに深く頭を下げてお礼を繰り返した。彼のような人がこの世にあふれたら、世界は必ず平和になると感じた。
その後、中央区の広報紙を見つけたので早速、区に電話でこの体験を読者の声として掲載してほしいとお願いしたが、「そういう欄はありません」のひと言。「こんにちは区長です」の大きな欄を少しだけ削って「こんにちは区民です」とでもして載せてほしいとも申し出たが、やはり「規定に反する」と考えてもくれなかった。こちらは本当に残念だ。
*****以上****
優しい心をお持ちの区民が多くいらっしゃるこの区を誇りに思っています。
一方、投書された方のご要望をいただいた「区の広報紙に掲載すること」は、規定がない以上、担当者の回答もそのご要望に即答できなかったのはいたし方ないと理解はできます。
ただし、そっけない対応であったことは反省しなければならないと思います。
ならば掲載のための他の方法はとりえなかったのか、要望として検討課題に挙げることはできなかったのか、検討課題として一度区に持ち帰り、検討の末、「現段階では難しい」と改めてお返事をできなかったのか、いろいろ考えてしまいます。
せっかくの貴重な区への提案であったわけです。
ひとりひとりの声を大切にしていく中央区でありたいと思います。
区政に携わらさせていただいているひとりとして、このかたの『声』を真摯に受け止めさせていただきます。
ここに、その投書を掲載いたします。
****朝日新聞『声』(2010/05/05)*****
「自分はぬれ、義足の私に傘」
主婦 (米カリフォルニア州 75)
先頃、家族を訪ねて来日した時、都心(中央区)で心温まる体験をした。私の右足は義足で、松葉づえがなくては歩けない。ある雨の日、傘をさせないでぬれながらホテルからバス停へと向かっていた。すると途中で、先ほど通り過ぎたはずの黄色い傘をさした30歳代の男性が戻ってきて私と一緒に歩き始めた。傘を私にさし向け、自分はぬれている。
「ノー、ノー、あなたがぬれてしまいます。私は大丈夫です」とお断りをすると、「傘もさしていない。そしてあなたはお体が不自由でいらっしゃいます」と言って、笑顔で私のために傘をかざし続け、バス停まで送って下さったのだ。「God bless you!(神のご加護を)」と言いたかったが、口を開いたら涙が止まらなくなりそうで、代わりに深く頭を下げてお礼を繰り返した。彼のような人がこの世にあふれたら、世界は必ず平和になると感じた。
その後、中央区の広報紙を見つけたので早速、区に電話でこの体験を読者の声として掲載してほしいとお願いしたが、「そういう欄はありません」のひと言。「こんにちは区長です」の大きな欄を少しだけ削って「こんにちは区民です」とでもして載せてほしいとも申し出たが、やはり「規定に反する」と考えてもくれなかった。こちらは本当に残念だ。
*****以上****
優しい心をお持ちの区民が多くいらっしゃるこの区を誇りに思っています。
一方、投書された方のご要望をいただいた「区の広報紙に掲載すること」は、規定がない以上、担当者の回答もそのご要望に即答できなかったのはいたし方ないと理解はできます。
ただし、そっけない対応であったことは反省しなければならないと思います。
ならば掲載のための他の方法はとりえなかったのか、要望として検討課題に挙げることはできなかったのか、検討課題として一度区に持ち帰り、検討の末、「現段階では難しい」と改めてお返事をできなかったのか、いろいろ考えてしまいます。
せっかくの貴重な区への提案であったわけです。
ひとりひとりの声を大切にしていく中央区でありたいと思います。
区政に携わらさせていただいているひとりとして、このかたの『声』を真摯に受け止めさせていただきます。