NHKラジオで、明石小学校取り壊し問題の解説がなされていました。
放送された内容をおこされたものがありましたので、こちらでも掲載します。
***NHKラジオより*****
問われる歴史的建造物の保存
関東大震災の後に建てられた復興小学校で、国の重要文化財級の価値があるとされる東京中央区内の小学校が建て替えられることになり、校舎の解体作業が始まりました。これに対して地域住民や建築学会が保存運動を続けています。毛利和雄解説委員に聞きます。
Q1 明石小学校の問題はこのところニュースでもしばしば取り上げられていますが、何が問題になっているのですか?
A1 明石小学校は、復興小学校のひとつです。
関東大震災が大正12年(1923年)9月1日に起きました。震災の日はおとといでした。壊滅的な被害をうけた東京や横浜の小学校を建て替えたものを復興小学校といいます。それまで日本の小学校は木造の校舎が当たり前でしたが、復興小学校は、当時では珍しい鉄筋コンクリートで建てられ、その後の小学校建築の基礎が築かれました。
明石小学校は、鉄筋コンクリート三階建てで、柱の形や建物の頂点がカーブするなど、当時ドイツで流行ったデザインが取り入れられています。
日本建築学会では、明石小学校は、最初に設計に取りかり、それによって復興小学校の設計の規格が作られたので、復興小学校を代表して国の重要文化財級の価値があるとしています。
そこで、地域の卒業生や住民で作っている保存運動の人々や学界が、きちんとした調査をして文化財指定をし校舎を保存するよう訴えています。
Q2 校舎を建て替える中央区は、どういう考えなのですか?
A2 矢田美英(やだよしひで)区長が、記者会見をして、今になって解体中止は難しい。区民の間から老朽化しているので建て替えてほしいという要望が以前から出ていた。教室や建物が手狭なので、教育環境の向上と防災拠点など地域の核となる施設の充実を図りたいとして、建て替え計画を変える考えはないことを表明しました。
現場では、校門を防音壁で覆って、建物を象徴する正面玄関の部分から解体作業が進められています。
Q3 地震が起こった際の耐震性に問題はないのですか?
A3 中央区では、明石小学校は建築後84年たって、コンクリートの劣化が進んでおり、今後の児童数の増加に伴う教室の確保や体育館の拡張、バリアフリー化を考えると今の校舎を残して対応することは難しいとしています。
それに対して、学会や地域の住民団体では、震災後の復興小学校は今とは違って頑丈なコンクリートが使われているので、現在の建物を保存した上で再生するリノベーションをすれば、現在の建物を残した上で校舎として使い続けられるとしています。
Q4 そうはいっても解体作業が進められている訳ですから、時間的にも間に合いませんよね?
A4 中央区は、学会から重要文化財の価値があるという要望書が出てきたのが7月になってからなので、遅すぎたとしています。
しかし、今回の件で問題なのは、文化財としての価値が事前に十分検討されなかった点です。区の教育委員会に文化財保護審議会があるにもかかわらず、今回の件について諮られていなかったとして委員の間から批判が出ています。
ニュースで聞きつけた文化財保護審議会の委員の方々が解体作業が始ってから校舎を見学し、それをもとに、明石小学校の「文化財的価値を損なうことなく、保存・活用の措置をとることを強く要望する」という文言で、事実上保存を求める要望書がおととい出されました。
Q4 復興小学校は、ほかにもありますが中央区はどのような考えで臨むのでしょうか?
A4 復興小学校で、今でも現役の小学校として残っているのは10校で、そのうち7校が東京・中央区にあります。東京中央区では、明石小学校を含む三つの小学校をまず建て替える計画です。残りの4校のうち2校は、東京都の歴史的建造物に選定されていますので、免震対策も含め今の校舎の保存・活用について調査研究したいとしています。
文化財に指定されたり、選定されたりしているものは重要で、そうでないものは重要ではないという考え方に陥りがちなのですが、今回の明石小学校のように住民の要望にこたえて学界で調べてみたら重要文化財級の価値がわかったように文化財や歴史遺産の価値は新たに見出されていくものです。
そうした点も踏まえ、中央区の文化財保護審議会の要望書では、中央区内には復興小学校だけでなく、震災復興に関わる建造物、史跡、名勝、文書、歴史資料などの多くの貴重な文化財が残されており、また、中央区を初めとした「震災復興の遺産」は「美しい日本の歴史的風土 100選」のなかにも選ばれていることを指摘し、今回の明石小学校をはじめとする復興小学校の改築問題を契機に、こうした区内の震災復興に関わる文化財の総合的な調査を実施し、その適切な保存・活用に関する方針を立てることも提言しています。
都市の記憶を将来に伝えていくことは成熟していく日本、国際都市東京にとっても大きな課題だと思います。
放送された内容をおこされたものがありましたので、こちらでも掲載します。
***NHKラジオより*****
問われる歴史的建造物の保存
関東大震災の後に建てられた復興小学校で、国の重要文化財級の価値があるとされる東京中央区内の小学校が建て替えられることになり、校舎の解体作業が始まりました。これに対して地域住民や建築学会が保存運動を続けています。毛利和雄解説委員に聞きます。
Q1 明石小学校の問題はこのところニュースでもしばしば取り上げられていますが、何が問題になっているのですか?
A1 明石小学校は、復興小学校のひとつです。
関東大震災が大正12年(1923年)9月1日に起きました。震災の日はおとといでした。壊滅的な被害をうけた東京や横浜の小学校を建て替えたものを復興小学校といいます。それまで日本の小学校は木造の校舎が当たり前でしたが、復興小学校は、当時では珍しい鉄筋コンクリートで建てられ、その後の小学校建築の基礎が築かれました。
明石小学校は、鉄筋コンクリート三階建てで、柱の形や建物の頂点がカーブするなど、当時ドイツで流行ったデザインが取り入れられています。
日本建築学会では、明石小学校は、最初に設計に取りかり、それによって復興小学校の設計の規格が作られたので、復興小学校を代表して国の重要文化財級の価値があるとしています。
そこで、地域の卒業生や住民で作っている保存運動の人々や学界が、きちんとした調査をして文化財指定をし校舎を保存するよう訴えています。
Q2 校舎を建て替える中央区は、どういう考えなのですか?
A2 矢田美英(やだよしひで)区長が、記者会見をして、今になって解体中止は難しい。区民の間から老朽化しているので建て替えてほしいという要望が以前から出ていた。教室や建物が手狭なので、教育環境の向上と防災拠点など地域の核となる施設の充実を図りたいとして、建て替え計画を変える考えはないことを表明しました。
現場では、校門を防音壁で覆って、建物を象徴する正面玄関の部分から解体作業が進められています。
Q3 地震が起こった際の耐震性に問題はないのですか?
A3 中央区では、明石小学校は建築後84年たって、コンクリートの劣化が進んでおり、今後の児童数の増加に伴う教室の確保や体育館の拡張、バリアフリー化を考えると今の校舎を残して対応することは難しいとしています。
それに対して、学会や地域の住民団体では、震災後の復興小学校は今とは違って頑丈なコンクリートが使われているので、現在の建物を保存した上で再生するリノベーションをすれば、現在の建物を残した上で校舎として使い続けられるとしています。
Q4 そうはいっても解体作業が進められている訳ですから、時間的にも間に合いませんよね?
A4 中央区は、学会から重要文化財の価値があるという要望書が出てきたのが7月になってからなので、遅すぎたとしています。
しかし、今回の件で問題なのは、文化財としての価値が事前に十分検討されなかった点です。区の教育委員会に文化財保護審議会があるにもかかわらず、今回の件について諮られていなかったとして委員の間から批判が出ています。
ニュースで聞きつけた文化財保護審議会の委員の方々が解体作業が始ってから校舎を見学し、それをもとに、明石小学校の「文化財的価値を損なうことなく、保存・活用の措置をとることを強く要望する」という文言で、事実上保存を求める要望書がおととい出されました。
Q4 復興小学校は、ほかにもありますが中央区はどのような考えで臨むのでしょうか?
A4 復興小学校で、今でも現役の小学校として残っているのは10校で、そのうち7校が東京・中央区にあります。東京中央区では、明石小学校を含む三つの小学校をまず建て替える計画です。残りの4校のうち2校は、東京都の歴史的建造物に選定されていますので、免震対策も含め今の校舎の保存・活用について調査研究したいとしています。
文化財に指定されたり、選定されたりしているものは重要で、そうでないものは重要ではないという考え方に陥りがちなのですが、今回の明石小学校のように住民の要望にこたえて学界で調べてみたら重要文化財級の価値がわかったように文化財や歴史遺産の価値は新たに見出されていくものです。
そうした点も踏まえ、中央区の文化財保護審議会の要望書では、中央区内には復興小学校だけでなく、震災復興に関わる建造物、史跡、名勝、文書、歴史資料などの多くの貴重な文化財が残されており、また、中央区を初めとした「震災復興の遺産」は「美しい日本の歴史的風土 100選」のなかにも選ばれていることを指摘し、今回の明石小学校をはじめとする復興小学校の改築問題を契機に、こうした区内の震災復興に関わる文化財の総合的な調査を実施し、その適切な保存・活用に関する方針を立てることも提言しています。
都市の記憶を将来に伝えていくことは成熟していく日本、国際都市東京にとっても大きな課題だと思います。