街づくりや文化的、歴史学的な意味を十分検討せず、取り壊されていく校舎・建築物。
本日の朝日新聞が警鐘をならしています。
****朝日新聞(2010/09/15)*****
http://mytown.asahi.com/tokyo/news.php?k_id=13000001009150002
学舎保存地域に宿題
2010年09月15日
◆「重文級」明石小 中央区で解体進む
関東大震災後に建てられた「復興小学校」で、最も古い中央区の明石小学校の校舎が84年の歴史に終止符を打ち、取り壊されつつある。保存を求める卒業生らの声もあったが、街づくりや建築学的な意義から話し合われないまま、姿を消す。こうした古い学校校舎が都内には複数あり、今後、こうした学舎(まなびや)の保存方法などをめぐり、課題が残りそうだ。(井上秀樹、鈴木淑子)
◆「景観」議論尽くせず
卒業生らが明石小の建て替え計画を知ったのは昨秋。今年1月から保存要望書と署名を提出してきたが、3月の区議会で校舎の解体・建設予算が成立した。解体工事開始1カ月前の7月に、日本建築学会が「重要文化財にふさわしい価値を備えている」との見解を示したが、校庭にはすでに仮校舎が建てられていた。
同じ中央区の復興小学校で保存活用が決まっている泰明、常盤の2小学校舎は都選定の歴史的建造物。明石小の評価が遅れたことに、日本建築学会員の山崎鯛介・千葉工業大准教授は「建物の価値は時代によって再発見していくもの」と言い、「以前は復興小学校がもっと残っており、明石小の価値に気づかなかったのかもしれない。今回の調査で、明石小が小学校舎の原型であることが初めて明らかになった」と説明する。
一方の中央区は、耐震補強工事はしたものの、冷暖房を完備した他の新築校舎に比べ老朽化は否めず、建て替えやむなしと判断した。保存要望は8月に解体工事が始まってからも繰り返され、記者会見で矢田美英区長は「一部の人に不満を与えてしまったことは反省している」と話した。
都内の建物や景観保存に取り組んできた作家の森まゆみさんは「地域にとって何が重要な建物なのか、地域のコンセンサス(共通認識)づくりを進めることが大切」と強調する。地域の魅力、象徴する景観を、住民がリストアップするといった地道な作業が、歴史的な景観を守ることになるとしている。
◆改修で生き残り
保存活用か、取り壊しかで議論が分かれる中、うまく保存につながったケースが港区の高輪台小だ。
復興小学校とほぼ同時期の1935(昭和10)年に建てられ、ガラス面を大きめにとった外壁は当時の最先端の様式とされる。学校の近隣は、かつての大名屋敷の石垣が残り、軍艦を思わせる火の見やぐらの造形が特徴的な高輪消防署二本榎出張所(都選定歴史的建造物)と対をなして独自の景観を生み出していた。
港区にも、九つの復興小学校があったが、70年代から改築が始まり、少子化を受けた90年代初めの学校配置計画で廃校も進み、現存するのは旧愛宕小(旧都立港工高)のみになっている。高輪台小の場合、2003年から2年がかりで耐震補強やバリアフリーのためのエレベーター設置などの改修工事をし、保存にこぎつけた。05年に都の歴史的建造物に選ばれ、今も子どもたちの声が響く。
◆新たな活用例も
学校としての役割を終え、新しい利用のされ方をしているケースもある。
復興小学校の一つ、文京区の旧元町小は取り壊す計画があったが、住民らの運動で保存活用が決まった。現在、順天堂大本郷キャンパスの改築に伴う仮校舎として使われており、併設の病児保育施設が地域に開放されている。
1級建築士で学校跡地の活用に詳しい三菱総合研究所の椿幹夫主任研究員は「むしろ学校の機能を終えた建物の方がオープンな議論ができるのではないか」と話した。
ただ、全体としては、保存活用は不透明だ。旧元町小の利用も暫定的なもの。地域の環境浄化を図る「歌舞伎町ルネッサンス事業」で吉本興業東京本部として使われている旧四谷五小も、吉本との契約は18年3月末までだ。
財政難の自治体にとって、学校跡に土地信託方式で賃貸ビルを建てたり、民間のカネを呼び込んで産業振興施設を建てたりする方が、「はるかに魅力的」との声もある。
◇統廃合や解体・改築が計画されている戦前の小学校(※は復興小学校)
中央区・明正小※(明石小※、中央小※は解体中)
新宿区・津久戸小、江戸川小
文京区・明化小、誠之小、千駄木小、旧五中(旧黒田小)、六中(旧追分小・本郷小)
台東区・旧福井中(旧福井小※)
三菱総合研究所椿幹夫主任研究員のデータをもとに作成
◇明石小学校 1926(大正15)年に完成。当時としては珍しい鉄筋コンクリート造り。暖房や水洗トイレといった最先端の機能性に加え円柱やアーチ形の窓など曲線を多用したモダンな外観がシンボルだった。