「中央区を、子育て日本一の区へ」こども元気クリニック・病児保育室  小児科医 小坂和輝のblog

感染を制御しつつ、子ども達の学び・育ちの環境づくりをして行きましょう!病児保育も鋭意実施中。子ども達に健康への気づきを。

成熟した公民とは 内田樹先生。多様性を認め合える存在。

2012-05-10 18:09:12 | 言葉について、お役所言葉
 内田樹先生の言。同感です。

 多様性を認め合える地域、社会を目指していきたいと思います。
 それが、地域の活力、パワーとなっていくことでしょう。

 障がいのありなしにかかわらず、日本人であろうが、どこの国のひとであろうが、人種、国籍、宗教、信条、美意識、価値観にかかわらず、お互いを尊重し、高めあっていく。

 国際都市、中央区は、まさに、その模範としてあってほしい。


************************

内田樹先生 街場の至言(非公認bot)‏@tatsuruwords

「成熟した公民」とは、端的に言えば、「不快な隣人の存在に耐えられる人間」のことである。自分と政治的意見が違い、経済的ポジションが違い、宗教が違い、言語が違い、価値観も美意識も違う隣人たちと、それでもにこやかに共生できるだけの度量をもつ人間のことである。
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新潟水俣病教訓 因果関係立証責任は一部企業側 新潟地判S46.9.29安心安全な環境を未来に残して行くために

2012-05-10 11:21:26 | 地球環境問題
 メチル水銀による中毒症状(いわゆる水俣病)が被告の工場から排出された廃液に起因するかどうかの因果関係が争われた新潟水俣病事件を見ます。

 判決にありますが、損害賠償事件の場合、因果関係の立証責任は、被害者側にあります。

 ところが、新潟地判は、その立証責任を緩和しました。

 新潟地判の立証責任の緩和の論理を以下、書きます。

 新潟地判からの直接引用を青字とし、黒字、下線は、小坂補足です。


 因果関係論で問題となる点は、通常の場合、

(1)被害疾患の特性とその原因(病因)物質、

(2)原因物質が被害者に到達する経路(汚染経路)、

(3)加害企業における原因物質の排出(生成・排出に至るまでのメカニズム)



 それぞれを新潟地判では、検討。


(1)については、被害者側において、臨床、病理、疫学等の医学関係の専門家の協力を得ることにより、これを医学的に解明することは可能であるとしても、前記一に認定したような熊本の水俣病の例が端的に示しているように、そのためには、相当数の患者が発生し、かつ、多くの犠牲者とこれが剖検例が得られなければ、明らかにならないことが多く、

(2)については、企業からの排出物質が色とか臭いなどにより外観上確認できるものならばいざ知らず、化学物質には全く外観上確認できないものが多いため、当該企業関係者以外の者が排出物の種類、性質、量などを正確に知ることは至難であるばかりでなく、これが被害者に到達するまでには、自然現象その他の複雑な要因も関係してくるから、その汚染経路を被害者や第三者は、通常の場合、知り得ないといえよう(こうした目に見えない汚染に不特定多数の人が曝らされ、しらずしらずのうちに健康を蝕まれ、被害を受ける、というのが、むしろこの種公害の特質ともいえよう。)。

(3)にいたつては、加害企業の「企業秘密」の故をもつて全く対外的に公開されないのが通常であり、国などの行政機関においてすら企業側の全面的な協力が得られない限り、立入り調査をして試料採取することなどはできず、いわんや権力の一かけらももたない一般住民である被害者が、右立入り等をすることによりこれを科学的に解明することは、不可能に近いともいえよう。加えて、この種公害の被害者は、一般的にいつて加害者と交替できる立場にはなく、加害企業が「企業秘密」を解かぬ以上、その内容を永遠に解き得ない立場にある。一方、これに反し、加害企業は、多くの場合、極言すると、生成、排出のメカニズムにつき排他的独占的な知識を有しており、(3)については、企業内の技術者をもつて容易に立証し、その真実を明らかにすることができる立場にある。


以上からすると、本件のような化学公害事件においては、被害者に対し自然科学的な解明までを求めることは、不法行為制度の根幹をなしている衡平の見地からして相当ではなく、

前記(1)、(2)については、その状況証拠の積み重ねにより、関係諸科学との関連においても矛盾なく説明ができれば、法的因果関係の面ではその証明があつたものと解すべきであり、右程度の(1)、(2)の立証がなされて、汚染源の追求がいわば企業の門前にまで到達した場合、

(3)については、むしろ企業側において、自己の工場が汚染源になり得ない所以を証明しない限り、その存在を事実上推認され、その結果すべての法的困果関係が立証されたものと解すべきである



 簡潔に言うと、
(1)(2)が証明されると、(3)すなわち、企業は自分の方で、原因物質を出していないことを立証しない限り、因果関係が「事実上推認」されるということです。


 それで、実際に、裁判では、

今、これを本件についてみると、

本件中毒症は、すでに認定のような臨床、病理、動物実験等の研究結果により、水俣病と呼ばれる低級アルキル水銀中毒症であつて、その病因物質は低級アルキル水銀、特にメチル水銀であることは科学的にも明らかにされているから、前記(1)については立証はつくされており、

(2)については、患者らが阿賀野川河口に棲むメチル水銀で汚染された川魚を多量に摂食したことが原因であることは明らかにされたものの、その川魚汚染の原因については、科学的に充分解明されたとは解し得ないうらみがあるが、原告ら主張の工場排液説において、鹿瀬工場がアセトアルデヒド製造工程の廃水を含む工場排水を阿賀野川に放出し続けていたこと、鹿瀬工場アセトアルデヒド反応系施設および工場排水口付近の水苔からいずれもメチル水銀化合物ないしその可能性が極めて大きい物質が検出されたこと、食物連鎖による濃縮蓄積により、超稀薄濃度汚染から川魚に高濃度の汚染をもたらすことがありうること、上流の汚染有機物(浮遊物)等は、下流、特に河口感潮帯に沈積し易いともいえることなどが立証され、阿賀野川の時間的、場所的汚染態様との関係も、説明が容易でない現象も一部にはあるとしても、関係諸科学との関連においてもすべて矛盾なく説明できるのであるから、前記1に説示した程度の立証はあつたものと解すべきである。他方、被告主張の農薬説は、塩水楔による汚染経路の可能性しか残らないところ、それ自体にも科学的な疑問点が少なくないばかりではなく、関係諸科学との関連において、阿賀野川の時間的、場所的汚染態様と矛盾し、説明のつかない点もあり、また、農薬説で立証された事実も、工場排液説の成立を妨げるものではない。


そして、前記(3)については、被告は、鹿瀬工場におけるメチル水銀の生成、流出を否定することができなかつたばかりではなく、かえつてその生成、流出の理論的可能性は肯定され、あまつさえ、前記のとおり工場内および排水日付近の水苔よリメチル水銀化合物ないしはその可能性が極めて大きい物質が検出されたことが証明されているから、鹿瀬工場のアセトアルデヒド製造工程において、メチル水銀化合物が生成、流出され、工場排水とともに阿賀野川に放出されていたものと推認せざるを得ない。



 上記理論で、新潟地判では、100%の科学的証明ではないが、「法的因果関係」が証明されました。


 私たちの周りでは、公害事件、汚染事件は、残念ながらこれからも続きます。


 新潟地判のような因果関係の論理展開を記憶し、起こった場合は、裁判で救済することは、もちろんでありますが、実は起こってからでは遅すぎます。

 安心安全な環境づくりを最優先にすることを今一度心新たに持ちたいものです。

 私たち一人ひとりそして、企業もまた安心安全の環境を作り上げ、未来の子ども達に残していきたいと思います。


*****新潟地判昭和46年9月29日 判決文抜粋*****

六 本件中毒症の原因
1 ところで、不法行為に基づく損害賠償事件においては、被害者の蒙つた損害の発生と加害行為との因果関係の立証責任は被害者にあるとされているところ、いわゆる公害事件(ここでは、便宜、公害対策基本法第二条にいう定義を用いる。以下同じ。)においては、被害者が公害に係る被害とその加害行為との因果関係について、因果の環の一つ一つにつき、逐次自然科学的な解明をすることは、極めて困難な場合が多いと考えられる。特に化学工業に関係する企業の事業活動により排出される化学物質によつて、多数の住民に疾患等を惹起させる公害(以下「化学公害」という。)などでは、後記のところから明らかなように、その争点のすべてにわたつて高度の自然科学上の知識を必須とするものである以上、被害者に右の科学的解明を要求することは、民事裁判による被害者救済の途を全く閉ざす結果になりかねない。けだし、右の場合、因果関係論で問題となる点は、通常の場合、(1)被害疾患の特性とその原因(病因)物質、(2)原因物質が被害者に到達する経路(汚染経路)、(3)加害企業における原因物質の排出(生成・排出に至るまでのメカニズム)であると考えられる。ところで、(1)については、被害者側において、臨床、病理、疫学等の医学関係の専門家の協力を得ることにより、これを医学的に解明することは可能であるとしても、前記一に認定したような熊本の水俣病の例が端的に示しているように、そのためには、相当数の患者が発生し、かつ、多くの犠牲者とこれが剖検例が得られなければ、明らかにならないことが多く、(2)については、企業からの排出物質が色とか臭いなどにより外観上確認できるものならばいざ知らず、化学物質には全く外観上確認できないものが多いため、当該企業関係者以外の者が排出物の種類、性質、量などを正確に知ることは至難であるばかりでなく、これが被害者に到達するまでには、自然現象その他の複雑な要因も関係してくるから、その汚染経路を被害者や第三者は、通常の場合、知り得ないといえよう(こうした目に見えない汚染に不特定多数の人が曝らされ、しらずしらずのうちに健康を蝕まれ、被害を受ける、というのが、むしろこの種公害の特質ともいえよう。)。そして、(3)にいたつては、加害企業の「企業秘密」の故をもつて全く対外的に公開されないのが通常であり、国などの行政機関においてすら企業側の全面的な協力が得られない限り、立入り調査をして試料採取することなどはできず、いわんや権力の一かけらももたない一般住民である被害者が、右立入り等をすることによりこれを科学的に解明することは、不可能に近いともいえよう。加えて、この種公害の被害者は、一般的にいつて加害者と交替できる立場にはなく、加害企業が「企業秘密」を解かぬ以上、その内容を永遠に解き得ない立場にある。一方、これに反し、加害企業は、多くの場合、極言すると、生成、排出のメカニズムにつき排他的独占的な知識を有しており、(3)については、企業内の技術者をもつて容易に立証し、その真実を明らかにすることができる立場にある。
 以上からすると、本件のような化学公害事件においては、被害者に対し自然科学的な解明までを求めることは、不法行為制度の根幹をなしている衡平の見地からして相当ではなく、前記(1)、(2)については、その状況証拠の積み重ねにより、関係諸科学との関連においても矛盾なく説明ができれば、法的因果関係の面ではその証明があつたものと解すべきであり、右程度の(1)、(2)の立証がなされて、汚染源の追求がいわば企業の門前にまで到達した場合、(3)については、むしろ企業側において、自己の工場が汚染源になり得ない所以を証明しない限り、その存在を事実上推認され、その結果すべての法的困果関係が立証されたものと解すべきである。

2 今、これを本件についてみると、本件中毒症は、すでに認定のような臨床、病理、動物実験等の研究結果により、水俣病と呼ばれる低級アルキル水銀中毒症であつて、その病因物質は低級アルキル水銀、特にメチル水銀であることは科学的にも明らかにされているから、前記(1)については立証はつくされており、(2)については、患者らが阿賀野川河口に棲むメチル水銀で汚染された川魚を多量に摂食したことが原因であることは明らかにされたものの、その川魚汚染の原因については、科学的に充分解明されたとは解し得ないうらみがあるが、原告ら主張の工場排液説において、鹿瀬工場がアセトアルデヒド製造工程の廃水を含む工場排水を阿賀野川に放出し続けていたこと、鹿瀬工場アセトアルデヒド反応系施設および工場排水口付近の水苔からいずれもメチル水銀化合物ないしその可能性が極めて大きい物質が検出されたこと、食物連鎖による濃縮蓄積により、超稀薄濃度汚染から川魚に高濃度の汚染をもたらすことがありうること、上流の汚染有機物(浮遊物)等は、下流、特に河口感潮帯に沈積し易いともいえることなどが立証され、阿賀野川の時間的、場所的汚染態様との関係も、説明が容易でない現象も一部にはあるとしても、関係諸科学との関連においてもすべて矛盾なく説明できるのであるから、前記1に説示した程度の立証はあつたものと解すべきである。他方、被告主張の農薬説は、塩水楔による汚染経路の可能性しか残らないところ、それ自体にも科学的な疑問点が少なくないばかりではなく、関係諸科学との関連において、阿賀野川の時間的、場所的汚染態様と矛盾し、説明のつかない点もあり、また、農薬説で立証された事実も、工場排液説の成立を妨げるものではない。そして、前記(3)については、被告は、鹿瀬工場におけるメチル水銀の生成、流出を否定することができなかつたばかりではなく、かえつてその生成、流出の理論的可能性は肯定され、あまつさえ、前記のとおり工場内および排水日付近の水苔よリメチル水銀化合物ないしはその可能性が極めて大きい物質が検出されたことが証明されているから、鹿瀬工場のアセトアルデヒド製造工程において、メチル水銀化合物が生成、流出され、工場排水とともに阿賀野川に放出されていたものと推認せざるを得ない。

 以上からして、被告が鹿瀬工場のアセトアルデヒド製造工程中に生じた廃水を含む工場排水を阿賀野川に放出し続けたことと本件中毒症の発生とは、法的因果関係が存在するものと判断すべきである。

 なお、前記因果関係論が加害企業に対して酷を強いるものでないことは、本件におけるつぎの指摘からみても明らかであろう。すなわち、すでに再三指摘したように、被告は、鹿瀬工場アセトアルデヒド製造工程関係の製造工程図を焼却し、反応系施設、反応液等から試料を採取する等して資料を保存することなく、プラントを完全に撤去してしまつている。被告が本件の因果関係の存否の立証に、一企業としては他に例を見ない程、人的、物的設備を動員し、これに莫大な費用を投じていることは、弁論の全趣旨から明らかである。しかし、被告は前記資料を廃棄等する以前、すでに鹿瀬工場が本件中毒症の汚染源として疑われていることを承知していたのであるから、これが疑惑を解くため、前記資料等を保存してさえおけば(これが容易であることは多言を要しない)、これを証拠資料として提出することができ、その場合は、前記因果関係論にしたがつても、(3)について容易に立証でき、もし真実が被告主張のとおりであるとすれば、右因果関係の存在をたやすく覆すことができたものと思われる。

3 要するに、本件中毒症は、被告鹿瀬工場の事業活動により継続的にメチル水銀を含んだ工場排水が阿賀野川に放出され、同川を汚染して同川に棲息している川魚を汚染し、この汚染川魚を多量に摂食した沿岸住民に惹起させたアルキル水銀中毒症であり、原因出所を含めた水俣病に類似するものとして、第二の水俣病と呼称するのも差し支えないといえる。
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救急医療のシビアな現場に対する司法の判断。午前4時30分の心筋梗塞発作 最高裁H12.9.22

2012-05-10 10:35:12 | シチズンシップ教育
 救急医療のものすごくシビアな現場での出来事に対する判決がなされています。

 判決主文では、「疾病のため死亡した患者の診療に当たった医師の医療行為が、その過失により、当時の医療水準にかなったものでなかった場合において、右医療行為と患者の死亡との間の因果関係の存在は証明されないけれども、医療水準にかなった医療が行われていたならば患者がその死亡の時点においてなお生存していた相当程度の可能性の存在が証明されるときは、医師は、患者に対し、不法行為による損害を賠償する責任を負うものと解するのが相当である」と述べられています。


 判決内容とは観点を変えて、いかにすれば、この患者さんを救えたのかという視点でみるならば、この事例の場合、大学病院や三次高度医療救急センターでないと救命しえなかったのではと感じるところです。
 医療の現場、救急医療の現場に生かすべき教訓は、心筋梗塞発作等心臓疾患救急の医療機関同志の緊密な連携の下、救っていかねばならないということです。
 同様な連携は、脳血管疾患、周産期医療などでもあてはまります。
 ぜひ、全国のいずれの地域においても親密な連携がなされているか、再点検をお願いします。
 


【事件の概要】
 Aは、突然背中とみぞおちに痛みを感じ、Y病院を訪れた。
 
 担当医は、急性すい炎を疑い、点滴を始めたが、Aは痙攣とともに呼吸停止状態に陥り、そのまま死亡した。

 原因は、痛みが狭心症および心筋梗塞の発作によるものであったのに必要な検査と薬の投与を怠ったことにあった。
 
 Aの遺族Xが損害賠償請求をした。


****最高裁 判決文から、もう一度、状況を見直します。*****
一 原審が適法に確定した事実関係の概要は、次のとおりである。

1 平成元年七月八日午前四時三〇分ころ、Aは、突然の背部痛で目を覚まし、庭に出たところ、しばらくして軽快した。その後、妻である被上告人Bの強い勧めもあって、Aは、子の被上告人Cと共に自動車で上告人の経営するD病院に向かった。自宅から上告人病院までは車で六、七分くらいの距離であり、当初A自身が運転していたが、途中で背部痛が再発し、被上告人Cが運転を替わった。 

2 午前五時三五分ころ、Aは上告人病院の夜間救急外来の受付を済ませ、その後間もなくして、外来診察室において、D医師の診察が開始された。

3 Aの主訴は、上背部(中央部分)痛及び心か部痛であった。触診所見では心か部に圧痛が認められたものの、聴診所見では、特に心雑音、不整脈等の異常は認められなかった。Aは、D医師に対し、七、八年前にも同様の痛みがあり、そのときは尿管結石であった旨伝えた。D医師は、Aの痛みから考えて、尿管結石については否定的であったが、念のため尿検査を実施した。その結果、潜血の存在が否定されたので、その時点でD医師は、症状の発現、その部位及び経過等から第一次的に急性すい炎、第二次的に狭心症を疑った。

4 次にD医師は、看護婦に鎮痛剤を筋肉内注射させ、さらに、Aを外来診察室の向かいの部屋に移動させた上で、看護婦に急性すい炎に対する薬を加えた点滴を静注させた。なお、診察開始からAが点滴のために診察室を出るまでの時間は一〇分くらいであった

5 点滴のための部屋に移ってから五分くらい後、Aは、点滴中突然「痛い、痛い」と言い、顔をしかめながら身体をよじらせ、ビクッと大きくけいれんした後、すぐにいびきをかき、深い眠りについているような状態となった。被上告人Cの知らせで向かいの外来診察室からD医師が駆けつけ、呼びかけをした。しかし、ほどなく、呼吸が停止し、D医師がAの手首の脈をとったところ、触知可能ではあったが、極めて微弱であった。そこで、D医師は体外心マッサージ等を始めるとともに、午前六時ころ、Aを二階の集中治療室に搬入し、駆けつけた他の医師も加わって各種のそ生術を試みたが、午前七時四五分ころ、Aの死亡が確認された。

6 Aは、自宅において狭心症発作に見舞われ、病院への往路で自動車運転中に再度の発作に見舞われ、心筋こうそくに移行していったものであって、診察当時、心筋こうそくは相当に増悪した状態にあり、点滴中に致死的不整脈を生じ、容体の急変を迎えるに至ったもので、その死因は、不安定型狭心症から切迫性急性心筋こうそくに至り、心不全を来したことにある。

7 背部痛、心か部痛の自覚症状のある患者に対する医療行為について、本件診療当時の医療水準に照らすと、医師としては、まず、緊急を要する胸部疾患を鑑別するために、問診によって既往症等を聞き出すとともに、血圧、脈拍、体温等の測定を行い、その結果や聴診、触診等によって狭心症、心筋こうそく等が疑われた場合には、ニトログリセリンの舌下投与を行いつつ、心電図検査を行って疾患の鑑別及び不整脈の監視を行い、心電図等から心筋こうそくの確定診断がついた場合には、静脈留置針による血管確保、酸素吸入その他の治療行為を開始し、また、致死的不整脈又はその前兆が現れた場合には、リドカイン等の抗不整脈剤を投与すべきであった。
  しかるに、D医師は、Aを診察するに当たり、触診及び聴診を行っただけで、胸部疾患の既往症を聞き出したり、血圧、脈拍、体温等の測定や心電図検査を行うこともせず、狭心症の疑いを持ちながらニトログリセリンの舌下投与もしていないなど、胸部疾患の可能性のある患者に対する初期治療として行うべき基本的義務を果たしていなかった。

8 D医師がAに対して適切な医療を行った場合には、Aを救命し得たであろう高度の蓋然性までは認めることはできないが、これを救命できた可能性はあった。

二 原審は、右事実関係に基づき、D医師が、医療水準にかなった医療を行うべき義務を怠ったことにより、Aが、適切な医療を受ける機会を不当に奪われ、精神的苦痛を被ったものであり、同医師の使用者たる上告人は、民法七一五条に基づき、右苦痛に対する慰謝料として二〇〇万円を支払うべきものとした。





*******最高裁判決******


損害賠償請求事件

【事件番号】 最高裁判所第2小法廷判決/平成9年(オ)第42号
【判決日付】 平成12年9月22日



  主   文

 本件上告を棄却する。
 上告費用は上告人の負担とする。

       理   由

 上告代理人加藤済仁、同松本みどり、同岡田隆志の上告理由第一及び第三について
 所論の点に関する原審の事実認定は、原判決挙示の証拠関係に照らして首肯するに足りる。論旨は、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するものであって、採用することができない。
 同第二について
一 原審が適法に確定した事実関係の概要は、次のとおりである。
1 平成元年七月八日午前四時三〇分ころ、Aは、突然の背部痛で目を覚まし、庭に出たところ、しばらくして軽快した。その後、妻である被上告人Bの強い勧めもあって、Aは、子の被上告人Cと共に自動車で上告人の経営するD病院に向かった。自宅から上告人病院までは車で六、七分くらいの距離であり、当初A自身が運転していたが、途中で背部痛が再発し、被上告人Cが運転を替わった。 
2 午前五時三五分ころ、Aは上告人病院の夜間救急外来の受付を済ませ、その後間もなくして、外来診察室において、D医師の診察が開始された。
3 Aの主訴は、上背部(中央部分)痛及び心か部痛であった。触診所見では心か部に圧痛が認められたものの、聴診所見では、特に心雑音、不整脈等の異常は認められなかった。Aは、D医師に対し、七、八年前にも同様の痛みがあり、そのときは尿管結石であった旨伝えた。D医師は、Aの痛みから考えて、尿管結石については否定的であったが、念のため尿検査を実施した。その結果、潜血の存在が否定されたので、その時点でD医師は、症状の発現、その部位及び経過等から第一次的に急性すい炎、第二次的に狭心症を疑った。
4 次にD医師は、看護婦に鎮痛剤を筋肉内注射させ、さらに、Aを外来診察室の向かいの部屋に移動させた上で、看護婦に急性すい炎に対する薬を加えた点滴を静注させた。なお、診察開始からAが点滴のために診察室を出るまでの時間は一〇分くらいであった。
5 点滴のための部屋に移ってから五分くらい後、Aは、点滴中突然「痛い、痛い」と言い、顔をしかめながら身体をよじらせ、ビクッと大きくけいれんした後、すぐにいびきをかき、深い眠りについているような状態となった。被上告人Cの知らせで向かいの外来診察室からD医師が駆けつけ、呼びかけをした。しかし、ほどなく、呼吸が停止し、D医師がAの手首の脈をとったところ、触知可能ではあったが、極めて微弱であった。そこで、D医師は体外心マッサージ等を始めるとともに、午前六時ころ、Aを二階の集中治療室に搬入し、駆けつけた他の医師も加わって各種のそ生術を試みたが、午前七時四五分ころ、Aの死亡が確認された。
6 Aは、自宅において狭心症発作に見舞われ、病院への往路で自動車運転中に再度の発作に見舞われ、心筋こうそくに移行していったものであって、診察当時、心筋こうそくは相当に増悪した状態にあり、点滴中に致死的不整脈を生じ、容体の急変を迎えるに至ったもので、その死因は、不安定型狭心症から切迫性急性心筋こうそくに至り、心不全を来したことにある。
7 背部痛、心か部痛の自覚症状のある患者に対する医療行為について、本件診療当時の医療水準に照らすと、医師としては、まず、緊急を要する胸部疾患を鑑別するために、問診によって既往症等を聞き出すとともに、血圧、脈拍、体温等の測定を行い、その結果や聴診、触診等によって狭心症、心筋こうそく等が疑われた場合には、ニトログリセリンの舌下投与を行いつつ、心電図検査を行って疾患の鑑別及び不整脈の監視を行い、心電図等から心筋こうそくの確定診断がついた場合には、静脈留置針による血管確保、酸素吸入その他の治療行為を開始し、また、致死的不整脈又はその前兆が現れた場合には、リドカイン等の抗不整脈剤を投与すべきであった。
  しかるに、D医師は、Aを診察するに当たり、触診及び聴診を行っただけで、胸部疾患の既往症を聞き出したり、血圧、脈拍、体温等の測定や心電図検査を行うこともせず、狭心症の疑いを持ちながらニトログリセリンの舌下投与もしていないなど、胸部疾患の可能性のある患者に対する初期治療として行うべき基本的義務を果たしていなかった。
8 D医師がAに対して適切な医療を行った場合には、Aを救命し得たであろう高度の蓋然性までは認めることはできないが、これを救命できた可能性はあった。
二 原審は、右事実関係に基づき、D医師が、医療水準にかなった医療を行うべき義務を怠ったことにより、Aが、適切な医療を受ける機会を不当に奪われ、精神的苦痛を被ったものであり、同医師の使用者たる上告人は、民法七一五条に基づき、右苦痛に対する慰謝料として二〇〇万円を支払うべきものとした。
  論旨は、原審の右判断を不服とするものである。

三 本件のように、【要旨】疾病のため死亡した患者の診療に当たった医師の医療行為が、その過失により、当時の医療水準にかなったものでなかった場合において、右医療行為と患者の死亡との間の因果関係の存在は証明されないけれども、医療水準にかなった医療が行われていたならば患者がその死亡の時点においてなお生存していた相当程度の可能性の存在が証明されるときは、医師は、患者に対し、不法行為による損害を賠償する責任を負うものと解するのが相当である。けだし、生命を維持することは人にとって最も基本的な利益であって、右の可能性は法によって保護されるべき利益であり、医師が過失により医療水準にかなった医療を行わないことによって患者の法益が侵害されたものということができるからである。
  原審は、以上と同旨の法解釈に基づいて、D医師の不法行為の成立を認めた上、その不法行為によってAが受けた精神的苦痛に対し同医師の使用者たる上告人に慰謝料支払の義務があるとしたものであって、この原審の判断は正当として是認することができる。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。
 よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 梶谷 玄 裁判官 河合伸一 裁判官 福田 博 裁判官 北川弘治 裁判官 亀山継夫)
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